世間解    平成21年


せ けん げ
世間解 第二五一号
   平成二十一年 一 月
       発行 西法寺
 


  念仏もうさるべし
       ーあたらしいとしにー

 
 
「帰命尽十方無礙光如来」と申すは、「帰命」は南無なり、また帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり。「尽十方無礙光如来」と申すはすなはち阿弥陀如来なり、この如来は光明なり。「尽十方」といふは、「尽」はつくすといふ、ことごとくといふ、十方世界をつくしてことごとくみちたまへるなり。「無礙」といふは、さはることなしとなり。さはることなしと申すは、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。「光如来」と申すは阿弥陀仏なり。この如来はすなはち不可思議光仏と申す。この如来は智慧のかたちなり、十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり。
 
 新らしい年がまいりました。旧年中は何かとお世話とご心配をおかけいたしました。昨年はみなさま方のお陰で無事にご本堂の修復がなり、十一月の二十三日・二十四日と二日間にわたり、「親鸞聖人七五〇回大遠忌」〈お待ち受け〉法要、並びに「西法寺本堂修復」慶讃法要をお勤めさせていただきました。誠に有り難く尊いご縁でありました。
 本年もご一緒にお念仏ご相続させていただきながら、ご聴聞させていただきたいと存じます。何卒宜しくお願い申しあげます。
 冒頭のご法語は親鸞聖人のお言葉です。お宅のお内仏さまをご覧いただくと、阿弥陀さまが真ん中に御安置されていて左右にもお軸がかかっていると思います。親鸞聖人と蓮如上人のご絵像がお御安置されているお内仏のおありでしょうし、ずらずら〜っと文字が書かれてあるお軸のお宅もおありだと思います。文字が書かれているお軸ですと向かって右側のお軸には「帰命尽十方無碍光如来」と書かれています。これは「南無阿弥陀仏」のおはたらきを具体的にあらわしてくださったものであります。親鸞聖人は晩年、ことにこの十字のお名号を大切にされました。この十字のお名号の意味をご解釈くださったのが、このご法語であります。あらためて、ゆっくりとご拝読くださいませ。
難しいなぁ」「わからんなぁ」などとことさらに我々の小さい知識をひねくり回していただく必要はありません。かといって「わからへん」いうて横に置いていただくのもよくありません。私が納得するとかしないとかではなく、ご法語が開いてくださる世界をいただく事です。そこに新しい心の世界が開かれるのであります。
この如来は智慧のかたちなり、十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり
“阿弥陀さまのお心の、おはたらきの届いていないところはないよ”ということであります。
 さて、以前の『世間解』を見ていただきますと、時々に「それぞれのご縁の中お念仏ご相続のことと思います」などと書かせていただいておったのであります。
また、お話しをさせていただくご縁の中では「折に触れ、縁に随いお念仏ご相続させていただきましょう」などと申しあげておったのであります。
ついこの前、梯和上のお話しをお聞ききしていて「ああ、こういう言い方はしたらいかんねんなぁ」とお教えいただいたのでありました。
『…あの、鎌倉時代の中頃に出られた一遍上人智真という方がおられるでしょ、念仏聖で大変尊い方ですが、あの方の最初の法名は随縁といったんです。ところが後に師匠から〈随縁というのは自力的な名前だ〉ということで智真という名をもらったんです。良い名前をもらったもんです。師匠おっしゃるとうりで、私がお念仏申しているのは本願の催しによってお念仏しているんです。…』
と、まあこんなお話しであります。
 私の口から「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏が出てくださるのは阿弥陀さまの「お前さん、必ず支えてるから安心してお念仏申して、お念仏を間違いのない救いのあらわれであると聞きながら生きてきてくれよ」というご本願のお力が私に届いてくださっている証拠なのであります。
私はいろいろなご縁で「なんまんだぶ」とお念仏を申します。
実はそのいろいろなご縁の中にもも阿弥陀さまの「お前さん必ず支えてるで」というご本願のお心がかかってくださっておるのであります。      合 掌
 

せ けん げ
世間解 第二五二号
   平成二十一年 二 月
       発行 西法寺
 
                   
                   
  念仏もうさるべし 
       ー他力のお念仏ー  
                   
                   
 年が明け、ひと月が経ちました。有縁みなさま方にはご本願のおはたらきの中、お念仏ご相続のことと存じます。昨年十一月に親鸞聖人七五〇回大遠忌お待ち受け法要にあわせて、西法寺本堂修復慶讃法要をお勤めさせていただき、十二月には山本攝叡先生にお越しいただいて久しぶりにご本堂で定例法座を開かせていただきました。本当にありがたいことでした。いよいよ今年から本格的にご本堂でご法座が再開されます。みなさまのご懇念で再建されたご本堂に、どんどんお念仏の、お勤めの声が染み込んでいったくださることを住職として、そして、親鸞聖人がお説き残しをくださった阿弥陀さまのご法義に遇い得た一人として心から念願いたします。
 さて、ご法話をご聴聞させていただいてますと時々“自力”だとか“他力”だとかいう言葉を聞くことがあります。親鸞聖人のおみのりを味わわせていただく上での大変大事なお言葉であります。この“自力”“他力”を“自力は自分の力”“他力は他の人の力”と考えてしまう、もっといえば“自力は自分が一生懸命やって”“他力は何か知らんけど自分はなんにもせんでも誰かが何とかしてくれる”されに言えば“なんにもせんで、なんにも知らんでも阿弥陀さん何とかしてくれはんねん”などと考えてしまうことがありますが、浄土真宗で言う“自力”“他力”とは[私が努力をするとか、しないとか]そう言う次元のものではないのであります。親鸞聖人がお説き残しくださった阿弥陀さまのおみのりの中ではそういう考え方をいたしません。と申しますより、そういうふうに考えると阿弥陀さまの「お前さん必ず支えてるで、お念仏しながら生きてくるねんで」という大悲のおはたらきを取り違えてしまうことになります。
 いま、“他力”は日常用語として使われています。それはそれで仕方のないこととして、しかし、〈親鸞聖人の浄土真宗のおみのりの中では“他力”をこのように味わい、その意味はこのようなことである〉ということを何度も何度も繰り返し確認をさせていただきましょう。
 浄土真宗のおみのりでは“他力”は〈阿弥陀さまが私を利益してくださる力〉〈阿弥陀さまが私を支え護ってくださっている力〉つまり〈阿弥陀さまのおはたらき〉のことで、それ以外には“他力”という言葉を使わないのであります。私に「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」とお念仏をさせてくださっているのはまぎれもない“他力”のおはたらきでありますが、隣のおじさんが私を助けてくださった力は“隣のおじさんが私を助けてくださった力”であってそれは“他力”ではないのであります。
なんやらややこしいなぁと思われるかもわかりませんが、ややこしいことはありません。“他力”と言うた時には〈阿弥陀さまのおはたらきをあらわす言葉〉〈阿弥陀さまのおはたらき以外で“他力”という言葉を使わない〉と決めていただければそれでエエのであります。
 もっといえば、私をそう味わうことの出来るものに育てあげてくださるのも
“他力”のおはたらきであります。
“他力”のおはたらきの大きなあらわれ、それが「なもあみだぶつ」という
お念仏であります。
阿弥陀さまが私の上にはたらいてくださっている、それがお念仏です。「お前を必ず助けるぞ」という他力のおはたらきが今私の上には「なんまんだぶ、なんまんだぶ」というお念仏になって出てくださっているのであります。
その意味でお念仏は〈阿弥陀さまや先立たれた方にお聞かせしているもの〉ではなくて〈聞きもの〉なのであります。
 どう聞くか、「ああ、このようにお念仏出来ているということは、阿弥陀さまやご往生くださった方がいま私とともに生きて、私を願い支えてくださってるんやなぁ」「阿弥陀さま“お前さん必ず支えてるでぇ”いうてはたらいてくださってるんやなぁ」とお聞かせいただくのであります。
ですから、朝から晩まで一日中お念仏称えても、「コンだけ称えた〜」というのではなくて「今日は阿弥陀さまからええ説法聞かせてもろたよ」といただく、これが“他力”のお味わいなのであります。お念仏を通して阿弥陀さまのおはたらきに遇わせていただく。念仏申もうさるべしであります。       合 掌

せ けん げ
世間解 第二五三号
   平成二十一年 三 月
       発行 西法寺
 
                   
                   
  念仏もうさるべし 
       ーお念仏がお育てくださるー
                   
                   
 一歩ずつ春に近づいています。三月であります。有縁皆様にはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。
 昨年十二月にご出講いただいた山本攝叡先生は時々、
「阿弥陀さまのご法義に遇わせていただくと、“わぁ、この人すごいなぁ”と思う人の前でも特別に萎縮することはないし。どうかすると“もう一つやなぁ”と思う人にあっても傲慢になることがない、そんなお育てをうけるんやないですかな」とお教えくださることがあります。
 ご法義に遇わせていただくということはいよいよ私自身の本当の相をお知らせいただくということでありましょう。
 そこに、私の至らなさを思い、どこまでも真実を聞いてゆこういう思いが恵まれてくるのだと思います。だからこそ傲慢にも卑屈にもならないという、正しい生き方が恵まれてくるのでしょう。
真実に遇うからこそその真実に背き続けている私の本性を、縁によっては傲慢になって人をそしり、縁によっては卑屈になって真実から目を背けるという私の本当の相を思い知り、そんな私をこそご本願の目当てとしておはたらきくださる阿弥陀さまのお心を知らせていただき安心させていただく。
真実に背き続けている私を知ればこそ傲慢になって他を見下すこともなく、真実を聞いてゆこういう思いの中に卑屈になる心も消えるのでありましょう。
 私をそのようにお育てくださるのが阿弥陀さまのご本願のあらわれである 「なんまんだぶ」というお念仏であります。
 先日あるお宅で“なるほどなぁ”という言葉に出会いました。
〈上手は下手の見本 下手は上手の手本〉
というお言葉であります。
 上手も下手もそれぞれに自分の今の相を知って、それぞれに相手に敬意を持たないことにはこうはいかないでしょう。
 上手は下手の手本になるようにしっかりとしましょう、下手は上手くなるようにしっかりやりましょう。
 下手は上手を見習って一生懸命やりましょう、上手はその下手な相を見て初心戻って一層しっかりしましょう。
ということでありましょうか。
上手が“俺は上手や”いうて威張るとそれを見る下手は、“俺もうまくなって威張ったろ”という間違った見本になってしまいます。
 下手の見本になる上手には見本になるだけの努力が求められるのでしょうし、下手を大切な手本とするようなを謙虚さが上手には必要であるということでしょうか。
 上手が上手に驕り傲慢になると下降の一途をたどり、下手が下手に卑下してどうせアカンわと諦めると進歩することはありません。
 上手さに傲らず、下手さに卑下せず。上手いものは上手い上にも謙虚に、下手なものは下手を知って懸命にということでありましょう。
大変考えさせられれる事の多いありがたいお言葉だなぁとお育てをいただいたことでありました。上手いだけの人も下手なだけの人もいません。それぞれに素晴らしいところともう一つやなぁという所を、綯い交ぜに持ち合わせて、あーでもない、こーでもないと日暮らしを重ねさせていただいておるのであります。そんなわれわれであるからこそ阿弥陀さまにお育てをいただいて,阿弥陀さまのお心にお尋ねしながら日暮らしをさせていただかねばならないのでしょう。上手は下手の努力の結果だし、下手は上手の始めの一歩であります。上手も下手もそれぞれ尊い意味を持って生かされてゆく世界があるのであります。縁にふれては自分の経験や思いを間違いのない絶対のものと考えて他を裁いて、善し悪しを決めてしまうしまう。そんな私の本当の相を照らし出してくださるのがご法義であり、そのことを常に私にはたらきかけ思い起こさせてくださるのが「なもあみだぶつ」というお念仏であります。お念仏を称え聞かせていただきながら、そこに阿弥陀さまのお心と、ともすれば自分勝手に他を裁いてしまう私の至らなさに気づくお育てをいただくのであります。念仏申さるべしであります。  合 掌

せ けん げ
世間解 第二五四号
   平成二十一年 四 月
       発行 西法寺
 
                   
                   
  念仏もうさるべし 
       ーやうやうすこしづつー
                   
 
 春。四月であります。有縁皆様にはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。
  まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひ  しが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします  身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあう  て候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、    三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあ  うて候ふぞかし。しかるに、なほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやら  ぬに、なほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、ここ  ろにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにも  おもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこ  そ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきに、なほ酒をすすめ、毒も消えやらぬ  に、いよいよ毒をすすめんがごとし。
さて、この御文は建長四年、親鸞聖人が八十歳の時に関東におられたお弟子にあてて出された『御消息』(お手紙)の一節であります。
 親鸞聖人のお説き残しをくださった阿弥陀さまのおはたらき、浄土真宗のご法義は一言でいえば『すべてもののをさわり無く救いきってくださる』というものであります。その教えを、
“阿弥陀さまの救いに漏れるものはない思うにまかせて行動すればいい、そういう者こそが阿弥陀さまのお目当てである”
と、自分の都合のいいように誤解する人たちがあらわれ、そして広がっていったようです。そういう状況に対して親鸞聖人が厳しく誡められたお手紙であります。あえて現代語に訳すことはいたしません。
親鸞聖人のお言葉に直接お触れいただき何度も何度もお味わいいただきたいと思います。私たちは、おみのりを聞かせていただくご縁にお育ていただきますと、いろいろな仏教用語を耳にいたします。それはそれで大変尊いことでありますが、どうかするとその言葉を自分勝手に解釈してしまうことがあるぞ、気をつけなければならないぞというのがお手紙であろうかと思います。
 例えば“凡夫”という言葉、親鸞聖人は、
  「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、  ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、
とお教えくださいます。私の本当の相は息が切れるまで“ええの、悪いの、好きの、嫌いの”という自分中心の思い“煩悩”から離れられないものだよ、ということであります。ここで大切なのは、その言葉を聞いて、「そやからしゃぁないねんな」「凡夫やねんから仕方おまへんがな」と言い出したらめちゃくちゃになるよということでありましょう。
 梯實圓和上は「凡夫やからしゃあない、なんか言いなさんなや、煩悩具足の凡夫というのは“お恥ずかしいことでございます、申し訳ないことでございます”といただくべき言葉で、決して自分を正当化する言葉と思ったらダメです。」とお教えくださいました。
 しかしまた、御法義を聞けばすべてが劇的に変わるのではないこともお教えくださっています。
「無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、」 であります。
ご法義に遇わせていただき阿弥陀さまのおここをを味わわせていただく身になったからといって他の人を「あの人はまだまだやな」などと言うことは慎むべきです。ご法義に遇わせていただいた私も、これからご法義に遇われる方も、もう何十年とご法義を聞かれている方も、どんなものでも阿弥陀さまから願われている“いのち”を恵まれ、阿弥陀さまのご本願のおはたらきによって「なんまんだぶ。なんまんだぶ…」とお念仏申す身にお育てをいただくのであります。そして、その同じおはたらきの力が、ともすれば自分勝手に物事を考えてしまう、自身の本当の相をお知らせくださる。お念仏が私をお育てくださるのであります。そこから「すこししづつ」ではあるけれども慎みや嗜みをもつ身とさせていただくのであります。念仏申さるべしであります。              合 掌

せ けん げ
世間解 第二五五号
   平成二十一年 五 月
       発行 西法寺
 
                   
                   
  念仏もうさるべし 
       ー七日参りの意味ー
                   
                   
 五月であります。有縁皆様にはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。
親鸞聖人は、
  念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕、大般涅槃を  超証す。
とお示しくださいます。むつかしいお言葉がならんでいますが、阿弥陀さまのご本願のはたらきに摂められ念仏申すご縁に遇った者は、この世の息が切れたその瞬間に阿弥陀さまと同じ覚りの仏さまと生まれさせていただくのですよ。ということであります。
 浄土真宗・阿弥陀さまのおみのりでは、臨終を迎えられた方、先立たれた方をただ“お亡くなりになった方”とは考えずに“ご往生くださった方”として仰がせていただくのであります。
 さて、ご葬儀のご縁がありますと、もうほとんどといってよいほどお聞きしますのが、“四十九日が三ヶ月にかかるといけない”という事であります。
何故、「四十九日が三ヶ月にかかるといけない」のでしょうか?
これにスパッと誰でもが納得できる答えを出せる方はまずいらっしゃらないと思います。「昔から言われてることやから…」「私はいいけど親戚が…」と、みなさまなんとか収めようと色々と思案をなさるのであります。
失礼な言い方ですが、まあ、早い話が“何や知らんけどちょっと気持ち悪い”というような所がおありになるのだろなと思います。
 なぜ、スパッと誰でもが納得できる答えを出せる方がいないのか。それは「四十九日が三ヶ月にかかるといけない」は根も葉もない事だからです。
はっきりと申しあげれば、駄洒落と言えば駄洒落が「バカにするな」いうて怒ってきそうなくらい質の悪い言いぐさなのであります。
つまり、こういう事です。「四十九日」を「しじゅうく」これを「始終苦」に、
「三ヶ月」を「みつき」これを「身付」。「四十九日が三ヶ月」で「始終苦が身に付く」と読ませたわけです。
お聞きいただけば、「何や、あほらしい」というようなことです。
 しかし、こんなあほらしい事でも我々は「ひょっとしたら…」という気持ちになるんです。「そやけど、なんやこわいなぁ」という気持ちになるのであります。
そんな、何かの縁ですぐに崩れてしまう心の私たちに、決して崩れることのない阿弥陀さまのご本願のおはたらきが「なもあみだぶつ」というお念仏になって今の私を支えてくださっているといただくことであります。浄土真宗のご法義では
満中陰までの七日、七日のお参りは、決して、先立たれた方を“お亡くなりになった方”として“お弔い”するためのものではありません。
“先立たれた方がすでに阿弥陀さまと一緒になって今の私を支えてくれてはんねんなぁ”と阿弥陀さまとご往生くださった方の今のおはたらきをあらためて味わわせていただくご法縁なのであります。
「阿弥陀さんと同じ仏さんになってんねんやったら七日参りなんかせんでもよろしいやんか」と思われるかもしれません。
その通りです。“お弔い”の為なら全く必要はありません。
しかし、大切な方とご縁の深い方と別かれねばならなくなったという心の痛みをどうするのか?「阿弥陀さんと一緒でんねん、なぁんにも心配いりまへんねん」などとスッと思えるのか?寂しさ、悲しさの中にいる私、“なぁんにも心配いりまへんねん”などと思えない私。その私にこそ、浄土真宗の七日参りの大きな意味があるのです。例え週に一回でも僧侶と共にお勤めのご縁にあうことによって、一緒にお勤めをし、お念仏を称えて、「先立たれた方は今このお念仏になって私を支えてくれてるんや」という思いを、少しずつ、ほのかにではあっても少しずつ味わわせていただく。“弔わねばならない”と思っていた私が、実は先立たれた方に願われている身であった。七日、七日のお勤めは三月にかかったらアカンなどという心配の種になるものではなく、先立たれた方が今このお念仏になって私を支えてくれているということを味わわせていただく、そういう尊い仏縁なのであります。さあ、お念仏申しましょうぞ。         合 掌

せ けん げ
世間解 第二五六号
   平成二十一年 六 月
       発行 西法寺
 
                   
                   
  念仏もうさるべし 
      ー結果をいただいているー   
                   
 
 六月になりました。世情何かと騒がしい昨今でありますが、有縁皆様にはお念仏ご相続のことと存じます。世の中が、イヤ、この私自身がどんなふうに変わってしまっても決して変わらないもの、それが阿弥陀さまのご本願であり、ご本願のおはたらきの顕れであるところの「なもあみだぶつ」というお念仏であります。
 私が称えてはいるけれども、私の口から出てくださっている「なもあみだぶつ」というお念仏は阿弥陀さまの“お前さん必ず支えてるで”というご本願が完成したことを私に知らせてくださっている阿弥陀さまのおはたらきそのものなのであります。私の口から出て私の耳に届いてくださっている「なもあみだぶつ」は阿弥陀さまの“すべてのものの苦を支え、すべてのものを阿弥陀仏と同じ覚りの身にしてみせる”という阿弥陀さまのご本願がそのとおりに完成したことをあらわす阿弥陀さまからのお喚び声なのであります。
 この言葉がそのまま適切かどうか分かりませんが、言い方を変えますと,阿弥陀さまの願い(本願)が完成したその結果なのであります。
 平成十五年の十二月にご出講先の広島でご往生になった利井明弘先生は〈結果〉ということをおっしゃる時によくこんなお話しをしてくださいました。
『…あのね、〈なんまんだぶつ〉は結果やねん、阿弥陀さまの願いがその通り完成したぞという事を私に知らせる結果なんです。結果いうのは変われへんからね、結果は変わりませんよ、結果となった時には変わりません。因の時やったらどうなるか分からんわね、ちゃんと果になるかどうかわからんでしょ。何があるかわからへんやん。リンゴの木があるからというて必ずリンゴがなるとは限らんでしょ、ねぇ。リンゴの木があってもリンゴがならん時あるよ。この前も台風で青森の人らエライ目におうてはったやん。そうでしょ。でもね、リンゴ手に持ってね、“このリンゴはこの木になってましてん”いうてこれは確実に言えるでしょ。何でいえんの?…結果やからやん。このリンゴはこの木になっていたというのはリンゴという結果があったら必ず言えるんです。結果になってしもたら変わることはないんですわ。因の間はアカンよ、どうなるかわからへん。しかし、結果となればもう変わることはないんです。私の口を通して出る〈なんまんだぶつ〉は、阿弥陀さまの“お前、ちゃ〜んとお浄土帰ってこいよ”という願いが願いの通りに完成した結果なんです。…』
 〈なもあみだぶつ〉が阿弥陀さまのご本願が完成した結果である。
このことをしっかりと聞かせておいていただくことが大事であると思います。
私が、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続させていただいておるという事は“阿弥陀さまのご本願の結果を口にかけ、そして聞かせていただいている”といただくことであります。
 お念仏を称え聞く身にならせていただいたうえは「これで本当に大丈夫だろうか」などという心配はいりません。阿弥陀さまの“必ず支えている”という結果をいただいているのですから。やがて八月がくると関西では“お盆”の時季です。先立たれた方は決して“お亡くなりになった方”ではなく“ご往生くださった方”と味わわせていただきましょう。先立たれた方が何時帰ってきはるのか、という心配はいらないのであります。先立たれた方はお浄土に往って阿弥陀仏と同じ覚りの身に生まれて、お浄土から阿弥陀さまと同じおはたらきで今の私を支えてくださっている、願い続けてくださっている。だから今、私はこうして「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続させていただけている。〈なもあみがぶつ〉を通してそう安心させていただくんです。
 お念仏を私がとなえて、それを阿弥陀さまや先立たれた方に聞いてもろて、その引き替えになんかしてもらおうとか、ええ所いってもらおうとか、そう考えていると何時までたっても安心できません。自分がやったことで自分が安心しようとしているんですから…。そこに本当の安心はないのであります。
 私の口から「なんまんだぶ」とお念仏が出る前に、〈お前さん必ず支えてるで〉という阿弥陀さまのご本願のおはたらきとご往生くださった方々が私を包んでくださっておるのであります。だからお念仏出来てるんです、私たちは。
念仏申さるべしであります。                   合 掌
 

せ けん げ
世間解 第二五七号
   平成二十一年 七 月
       発行 西法寺
 
                   
                   
  念仏もうさるべし 
      ーお盆のこころー 
                   
                   
 七月になりました。しばらくは暑い日が続くことと思います。有縁みなさま方には、お大事に、お念仏ご相続くださいませ。
 親や兄弟、家族や親しい人が先立たれてゆく。残った私たちは大きな悲しみに包まれます。その悲しみと共に、何とかその方をお弔いしたいという心がおこるのもわれわれの人情としては当たり前のことであろうと思います。八月がまいりますと関西では“お盆”。先立たれた方を思うという人情がいっそう強くなるのがこのお盆の頃でありましょう。さて、浄土真宗では“お盆”のお勤めはありません。厳密には世間一般でいわれているようなと申しあげた方がいいかもしれません。「えっ、どういう事!」と思われるかもしれませんが、こういう事であります…。一般的に“お盆”は〈亡くなった人が帰ってきはる時〉というふうに考えられています。そんな事ですから夏が近づきますといろんな方々から「ご院さん、お盆て何時からいつまでですの?」というご質問をよくいただきます。お仏事について「こんな事したらアカンのとちゃうやろか…。」「こうしても心配おまへんわな…。」等々の気持ちは、その多くは“先立たれた方を亡くなった方”すなわち残った者がお弔いをしなければならない人と考えて“何か間違えたことをしたら悪いことがおこるんやないか”という心配からくるものです。先立たれた人をどう考えてゆくのかという事によって“お盆”の意味と味わいは大きく変わります。先立たれた方を出来るだけ丁寧に…、間違いのないように…、というお心であるのはよく分かりますが…。はっきりと申しあげると、先立たれた方を〈亡くなった方〉〈死んだ人〉〈お弔いをしなければならない亡者〉と考えるところに“怖さ”“畏れ”が出てくるのであります。残念ながら“先立たれた方を亡くなった方”とお考えになっている間はそこに本当の安心はありません。先立たれた方を充分に弔っていきたいという思いは本当でしょう。しかし、いつもお聞かせいただいているように、われわれの阿弥陀さまのご法義では先立たれた方を“ご往生くださった方”と仰がしていただくのであります。その意味では先立たれた方はお偲びする方ではあっても、お弔いしてゆかねばならない方ではありません。ここにお盆の考え方の大きな違いがあります。“ご往生くださった方”と仰ぐ時そこに恵まれるのは〈安らぎ〉であります。どこまでもお偲びをしながら、その偲ぶ方が、偲んでいる私を今、願い続け支え続けてくださっていると安心させていただくのであります。私たちは縁の中では、怪我もするし病気にもなります。しかし、それは決して“亡くなった方が禍をしている”のでも何でもありません。そう考えてしまうことはそのまま“先立たれた方”を“死んで迷っている亡者”にしてしまっていることに他なりません。私がお偲びをしてゆくかたは決して死んで亡くなってしまった方ではありません。阿弥陀さまのご本願のおはたらきによって、阿弥陀さまと同じお浄土にって阿弥陀さまと同じお覚りの身とおまれくださった方であります。阿弥陀さまと同じおはたらきをしてくださっているということは〈何時でも何処でも〉〈どんな時でも〉〈私がどんなふうになったとしても〉もっといえば、〈先立たれた方をお偲びすることが出来なくなるようなことになったとしても〉先立たれた方は阿弥陀さまと共に今の私を願い続け、支え続けてくださっておるのであります。『何時でも支えている。どんなことがあっても必ず浄土という覚りの世界【決して天国ではありません】に生まれることが出来ると安心して、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申しながら日暮らししてくれよ』これが阿弥陀さまやご往生くださった方の“願い”であります。「お盆になったら帰ってきはる」から、という形でお弔いするのではなく。「お盆の時だけやない、何時でも私と一緒に居って、支えてくれてはんねんなぁ、お念仏せえよいうて願ってくださってんねんなぁ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…。」とお念仏申しながら生きてゆく。お盆になったからといって、〈どないしてお迎えしょ、どうお弔いしよう〉と心配をするのではなく、お盆のご縁を通してあらためて先立たれた方のご恩を偲びながら、ご往生くださった方の願いを身にかけてお念仏申してゆく。それこそがご往生くださった方がなによりも慶んでくださることであり、何よりも阿弥陀さまやご往生くださった方のお心に適うことなのであります。さあ、お念仏を申しながら歓んで安心してお盆のご縁をお迎えしましょう。           合 掌

せ けん げ
世間解 第二五八号
   平成二十一年 八 月
       発行 西法寺
 
                    
                    
  念仏もうさるべし  
      ー歓喜会のこころー      
                    
 
 八月になりました。本格的な夏であります。有縁みなさま方にはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。我々が“いのち”恵まれている娑婆ではいろいろな出来事にあっていかなければなりません。いや、色々なことにあっていかねばならない処を“娑婆”というのでしょう。親鸞聖人がお教えくださった“浄土真宗”という阿弥陀さまのおはたらきの中には“往生”という仏語(仏さまからの言葉)があってくださって本当によかったなぁと思います。つくづく思います。実は、今年は私の祖父の五十回忌の年でありました。九月のご法座であらためて五十回忌のお勤めをさせていただきたいと思っておりますが、私は祖父を全く知りません。お同行様方の中でも祖父のことをご存じの方はどんどん少なくなっておられることでしょう。それでも「先々代は長い髭で、いつも下駄はいて歩いてお参り来てくれはってなぁ…。」などと懐かしそうに祖父のことをお話しくださる方もまだ沢山おってくださいます。全然知らんおじいちゃんやけど、お浄土にいてはるんやろなぁと思います。ありがたいことです。
 阿弥陀さまのご本願のおはたらきによって、阿弥陀さまのお浄土に往って、阿弥陀さまと同じお覚りの身と生まれさせていただく。これが“往生”です。
『歎異抄』とうお書物には、
  なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、  かの土へはまゐるべきなり。
という親鸞聖人のご法語があります。
 自分自身でも、また自分にとって大切な人であっても、どれだけ思いや力を尽くしても、この娑婆の縁は切れてゆかねばなりません。つらく、悲しいことでありますが、そこに“浄土”という世界と“往生”という仏語があってくださって本当によかったと思います。
 さて、八月。関西では“お盆”正確には“盂蘭盆会”の時期です。
この“浄土”という世界と“往生”仏語があってくださることによって“お盆”の味わいはすっかり変わります。先立たれた方は“死んでしまった人”ではなく“阿弥陀さまのお浄土にご往生くださった方”であります。〈亡くなった人、もっといえば亡者〉として弔うのではなくて、〈阿弥陀さまと同じお覚りの身とお生まれくださっている、私を願い続けてくださっている方〉と仰がせていただくのであります。浄土真宗では“盂蘭盆会”のことを“歓喜会”と申しあげるのであります。“歓喜のお勤めであります。”決して“亡くなった方を特別にお弔いする法要”ではないのであります。その事を私にハッキリと、しっかりとお伝えくださっているのが“浄土”と“往生”という仏さまからのお言葉であります。
 今年、十二月で七回忌をお迎えになります行信教校元校長・利井明弘先生はある時のご法話で『みなさん、どうですか、“ああ、もういっぺんあの人に会いたいなぁ〜”いうような人いてませんか、おるでしょ、何人かは…、ねぇ、何かこう懐へ飛び込んで愚癡の一つもよしよし≠「うて聞いてくれるような…。父もおらん、山本仏骨先生も、宮崎円遵先生も、三田先生も、桐溪和上も…、僕なんか弟まで先おらんようになったもんね…。もう、向こうの方が賑やかいくらいや…。そやけどね、お浄土往ったらみんな会えますねんで、もういっぺん。それだけやない、僕は鮮妙や明朗やいうて本は読んでるけど会うたことはないわね、そらそうやん大正時代の人やからね。そやけど娑婆では会うことが出来なかった人たちとも懐かしい思いを持って会うことが出来る。それがお浄土ですわ。』 ということを仰ってくださっていました。
 私は、お祖父さんののお目にかかったことはありませんが、確かにそのお祖父さんが父親とそして阿弥陀さまと一緒になって、“お盆の時だけ”ではなしに、“いつでも・どこでも”私と一緒におって私を願い続け支え続けてくださっている。その一番のあらわれが「なもあみだぶつ」というお念仏であります。私がお念仏出来ているということは阿弥陀さまがそしてご往生くださった方々が間違いなしに私を包んでくださっておることなのであります。おかげさまであります。その事をまた、改めて味わわせていただくそれが“歓喜会”でしょう。 “お盆”のご縁は、今、私がご往生くださった方々に支えられお念仏出来ていることを喜ぶ“歓喜会”のご縁であります。              合 掌

せ けん げ
世間解 第二五九号
   平成二十一年 九 月
       発行 西法寺
 
                    
                    
  念仏もうさるべし  
        ー分陀利華ー     
                    
                    
 九月であります。みなさま方にはご本願のおはたらきのもと、それぞれのご縁の中で「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと思います。
 さて、お内仏さまにお参りくださった時にご注意をいただきますと、阿弥陀さまは何かの上に乗っておられます。蓮の花の開いた形をかたどった、蓮台(蓮の華の台)であります。
 インドでは蓮を大変大事にされます。日本ならば、どんな色でも蓮は蓮。せいぜい赤い蓮、青い蓮…という言い方になるのでしょうが、インドでは青い蓮を優鉢羅華、赤い蓮を鉢曇摩華、黄い蓮を拘物頭華、白い蓮を分陀利華というように華の色によってそれぞれ色によって違う名前がついているということからも分かります。
そんな中で、もっとも尊いものが白い色の蓮、すなわち分陀利華だといわれておるのであります。
 蓮の華は泥沼に咲きます。決してきれいな高原に咲くことはありません。足を踏み入れるのもはばかられるような泥の中に咲きながら、決してその泥に染まることなく花を咲かせます。そんんな中で、泥の中にありながら泥に染まらない事をもっとも象徴的にあらわしているのが、分陀利華、すなわち白蓮華なのでしょう。
そして、その上に蓮の華は泥沼に咲きながらその泥沼に染まらないだけではなくその泥沼を美事に荘厳してゆく。泥沼をきれいに飾ってゆくという徳を持ちます。 われわれが毎日ご拝読をさせていただく、親鸞聖人がお造り残しをくださった、「正信念仏偈」には、
  一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願  仏言広大勝解者 是人名分陀利華
というご文がございます。
  一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解のひととのた  まへり。この人を分陀利華と名づく。
と読ませていただきます。
本願寺から出ている「現代語訳版」では、
  善人も悪人も、どのような凡夫であっても、阿弥陀仏の本願を信じれば、仏  はこの人をすぐれた智慧を得たものであるとたたえ、汚れのない白い蓮の花  のような人とおほめになる。
とあります。
阿弥陀さまのご本願のお念仏をいただき、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏させていただいておるわれわれを、如来さまは分陀利華、すなわち白い蓮の華のようだとおっしゃってくださっているよ、ということであります。
 親鸞聖人は『一念多念文意』というお書物の中に、
  まさにこのひとはこれ、人中の分陀利華なりとしるべしとなり。これは    如来のみことに、分陀利華を念仏のひとにたとへたまへるなり。とお示しくださっています。
 私が、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏させていただいておるということは、ちょうど泥沼に蓮の花が咲いたのと同じ事だ。明けても暮れても、憎い、可愛い、通る、通らん、エエの、悪いのと自分の都合だけで相手や事柄の良し悪しを決めつけてしまう。そんな私の上に、ちょうど雨が降れば地面に当たってハネがあがるように。阿弥陀さまの“お前さん必ず支えてるで”というご本願のはたらきが届いて、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏になって出てくださっておるのであります。
 私がお念仏を称え、聞く身になったということは、私に阿弥陀さまのご本願のおはたらきが間違いなしに届いてくださっておるということであり、煩悩の中に本願の花が開いてくださっておるということであります。
 お念仏を称えたから煩悩が無くなるんじゃぁない。お念仏を聞きながらいよいよ私の煩悩の心に気づかせていただく身になる。
 自分の煩悩を恥ずかしいことであったと気づく身になる、そういうおはたらきに遇っている人を如来さまは分陀利華、白い蓮の華のように尊い者だとお讃えくださるのでありましょう。                     合 掌
 

せ けん げ
世間解 第二六十号
   平成二十一年 十 月
       発行 西法寺
 
                                            念仏もうさるべし  
        ーあ み だ さ まー                         
 
 秋・十月であります。みなさま方にはご本願のおはたらきの中、お念仏ご相続のことと思います。
 親鸞聖人がお味わいくださり、お説き残しをくださった、阿弥陀さまのご本願のお念仏「なもあみだぶつ」に遇わせていただくご縁に恵まれて本当にありがたいことであると思います。
 われわれのご宗旨の正式名称は「浄土真宗本願寺派」と申します。
日本には色々なご宗旨があります。そしてそれぞれにご本尊とする仏さま・如来さまがあります。
 私どもは申しあげるまでもなく、阿弥陀さま、阿弥陀如来さまであります。
よそのご宗旨では、例えば真言宗などは大日如来をご本尊としますし、禅宗はお釈迦様を、天台宗はお釈迦様や阿弥陀さま薬師如来など、ご縁によってさまざまなご本尊をご安置されます。
 このように如来さま、仏さまと申しあげても色々な仏さまがおられるのであります。われわれになじみの深い、折にふれてご拝読をさせていただきます『仏説阿弥陀経』というお経さまには、
  舎利弗、西方の世界に、無量寿仏・無量相仏・無量幢仏・大光仏・大明仏・  宝相仏・浄光仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのそ  の国において、広長の舌相を出し、あまねく三千大千世界に覆ひて、誠実の  言を説きたまはく、〈なんぢら衆生、まさにこの不可思議の功徳を称讃した  まふ一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし〉と。
六方段と申しあげまして、このように、東・西・南・北・上・下の六つの方角にそれぞれ数限りのない如来さまが居られてそれぞれに阿弥陀さまのおはらたきの間違いのないことを証明してくださっている。と説かれています。
 いろんな、数限りのない如来さまの中で、阿弥陀さまの、そして、親鸞聖人がお味わいくださった阿弥陀さまのご縁に遇わせていただいたということ。
「なもあみだぶつ」というお念仏を、親鸞聖人と同じように味わわせていただくご縁に恵まれたことの“不思議”と“有り難さ”を思うのであります。
 山本仏骨という和上さまが居られました。山本和上は「十方世界にさまざまな如来さまが居られて、どの仏様、どの如来様も素晴らしいお覚りをお開きくださっておる。それはそれで大変ありがたいことなんだ、しかし、うちの仏さまのお覚りと、よその仏さまのお覚り。阿弥陀様のお覚りと他の仏様のお覚りで全く違うところが一つあるんだ。“私は、こんな素晴らしい覚りの境地を開いた。
こんな素晴らしい覚りの境地があるぞ、これこれこんだけの事をして、お前達もここまでおいでよ”と言うのが他の仏様のお覚りです。分かりましたか。
阿弥陀さまのお覚りはそうじゃぁないんだ。“お前達を一人残らず私と同じお覚りの境地に生まれさせることが出来るように成ったよ”というのが阿弥陀様のお覚りです。どうです。十方世界にどれだけ如来さまが居られても、“この私を必ず自分と同じ覚りを開かせてみせる”と決めてくださる如来さまは阿弥陀さまだけです。どうです分かりますか、ありがたいねぇ」と仰っておられました。
 阿弥陀さまのご本願のおはたらきが、私に「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏をさせてくださっている。私を念仏する者に育てあげてくださっている。
 私を念仏する者に育てあげてくださった力が、私を、先立たれた人をお浄土に生まれさせてくださるはたらきである。
 私を浄土に生まれさせ、先立たれた方を浄土に生まれさせた力が、今私の上に「なもあみだぶつ」というお念仏となって出てくださっている。
これが、親鸞聖人がお味わいくださった阿弥陀さまのおはたらきであり、
お念仏のお味わいであります。
 西法寺では、十一月一日・二日と親鸞聖人のご命日のお勤めである報恩講さまが勤まります。
 親鸞聖人がお生まれくださり、阿弥陀さまのご法義をお伝えくださったご恩と、その教えに遇いえたことの有り難さを、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏をご相続させていただきながら慶ばせていただきたいものであると思います。
是非、お参りください。                      合 掌

せ けん げ
世間解 第二六一号
   平成二十一年 十一 月
       発行 西法寺
 
                  
                  
 念仏もうさるべし 
   ー追悼 野々村智剣先生ー 
                  
                  
 十一月になりました。今年もあとわずか、時の流れの速さを思います。時の流れの中で、色々なことに振り回され、色々な思いにあっていかねばならない私に阿弥陀さまのご本願のおはたらき“なもあみだぶつ”がしっかりと届いてくださっておるのであります。
 さて、去る十月十四日に野々村智剣先生がご往生になりました。ここ十年ばかり毎年十二月の定例にご出講くださっていました。先生は今私に届いているお念仏が、もちろん阿弥陀さまのご本願のおはたらきに違いないけれどもそれを庶民はどんなふうに受け止め伝えてくださったのか、ということは色々な習俗や、伝承の中からお教えくださいました。マスコミというところに身を置かれながらマスコミの危うさ傲慢さにも常に警鐘を鳴らし続けてくださった方でもありました。ここに平成九年に西法寺にご出講くださったときのご法話の一部を改めてお聞かせいただき先生をお偲びしお育てのご恩を謝たいと思います。
【…われわれは、おみのりを説く教義を聞くということよりも、先輩たちがお念仏を護るために、お念仏を伝えるためにどういう状況の中でお念仏を護ってこられたかというね、むしろそちらの方を重視したいと私は思うのであります。
 例えば、江戸時代までは七歳までの子どもは神さんの子だからと言ってお葬式をしなかったんです。七五三という儀礼が今にそれをとどめています。あれは、節目節目に神さんに挨拶に行くんです。七歳までと言うのはそれまでは神さんの子やという認識が日本人の心の中にずーっとあってるという事を示しています。
だから、七歳までの子どもが死んでもお葬式をしないんです。[神さんの所へ帰って行った。]そう考えたんです。
しかし、真宗門徒はそれをしなかった。しなかったんです。いいですか。
 七歳までの子は神さんの元へ帰ったから、もう死体ほかしたらそれで仕舞いやったんや、七歳までの子どもの法事なんかしたら近所に憚ったんや。
そういうムードが続いている中で江戸中期の石橋寿閑というお医者さんは何をしたか。今までは、「後生の一大事などということを言うのは医者として堕落や」と、こういうとった人が、自分の四歳か五歳の娘に死なれた。死なれたときに聴聞をするようになったら“なんと、我が子はこの強情なワシにお念仏を称えさせるために極楽浄土からワシの子になって生まれてきてくれた。そうして、人生の最後にその使命である、この強情なワシの口から〈なんまんだぶ、なんまんだぶ〉といわして、お浄土へ帰ってくれたんやなぁ”いうてねお念仏慶ぶようになった。江戸中期ですよ、江戸中期にそういう人がいたということを『妙好人伝』は伝えている。浄土真宗にはこれだけの文化がある。
 七歳までの子は死んでも葬式をしないというムードの中で、真宗門徒は葬式をし、ちゃんと法名を付けて仏事を営んだ。
妙好人はこういうお念仏を慶んだんです。
こういうお念仏を慶んだという一面をわれわれはあまりにも重視しないで、理屈ばかりに走ってきたんではないでしょうか。私は何か違うなぁという思いがするのでございます。仏教を伝えてきた底力というものが、そういう念仏を伝えてきた人の中にあるというような思いがこのごろしているのであります。ですから、いろんな方々と話をしておりましても、ご先祖のことを思い、仏さまのことを思い…ということを思っている人の話をするとびんびん伝わっていきますけれども、頭の中で考えたような親鸞聖人の話をしてもきょとんとしている。
 これは本当に今の仏教というものが力を失いつつある大きな欠点ではないかと思うのであります。どうぞみなさまがご相続いただくお念仏というものが、お念仏は本の知識として学びたいのであればいくらでも情報として話がありますけれどが、それよりも何よりもみなさまのお父さんやお母さんが、お爺さんやお婆さんが、慶んでおられた、あのお念仏のね、その肉声を思い出して、そういう中で「オレは先祖からご恩受けたな、わしらも先祖になんねんで」という大きな循環の世の中で、われわれはお念仏というものをもういっぺん力を取り戻す必要があるのではないかとこのごろ私は思っておるのであります。
どうぞみなさまのお伝えなさっているお念仏を慶んでいただければ有り難いと思います。】                       なもあみだぶつ

せ けん げ
世間解 第二六二号
   平成二十一年 十二 月
       発行 西法寺
 
                 
                 
 念仏もうさるべし
  ー追悼 野々村智剣先生 その二ー 
                 
                 
 十二月、年の瀬であります。本年もお世話になりまして誠にありがとうございました。出会いや別れ、辛いこと楽しいこと、色々なことがあった中、みなさま方それぞれご本願のお念仏ご相続のことと存じます。
 私の口から「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と出て私の耳に「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と聞こえてくださるお念仏は阿弥陀さまが“お前さん必ず支えてるで、娑婆の臨終を迎えたら必ず私の浄土に生まれさせて私と同じ覚りの身としてみせるから安心してお念仏しながら生きていってくれよ”というご本願がそのまま力となって、私の身と心に届き、私を揺り動かしてお念仏させてくださってるんやなぁといただくことであります。浄土真宗のご信心はそれ以外にないのであります。後はそのご本願のおはたらきによって色々なお育てを受けていくのであります。さて、去る十月十四日にご往生になった野々村智剣先生。先生はそのお育てを受けた人々がどのような思いで“お念仏のこころ”を残し伝えてきてくださったかをさまざまな史料の中からお教えくださいました。先月に引き続いてもう一度。【…ある冬です、新聞にこんな投書がありました。滋賀県の方の投書です。〈兄を送った。葬斂をして土葬にした。思い出を大事に大事に凍土に埋めるようで大変有り難い気持ちになった。しかし、その後、甥や、親族が墓場の入り口に筵を敷いてお参りくださった一人一人に土下座をするという習慣だけは何とかならないものだろうか…。〉こんな投書です。私は、日本人の罪というものに対する原風景がここにまだ生きておったと少し興奮を覚えたのであります。話は少し変わります。近世の東北地方の民族資料にこんなものがあると報告されています。大変な飢饉があるんです。そうすると人は蕨の根を掘る、それも掘り尽くしていよいよ食べるものがない。そうなると残る選択肢は二つです。一つはあらゆる雑根にチャレンジする。何でも食べてみる。これは命がけです、トリカブトのようなものもありますから命がけであらゆるものを食べる。もう一つは旅に出る。この土地には食べるものがないけれども向こうの土地に行けば食べるものがあると言って旅に出る。老夫婦と若夫婦そして赤ん坊という五人家族がいた。若い主人が“旅に出るべ”といった。老夫婦が賛成した。若い嫁さんは“私は子どもを産んだばかりなので足手まといになります。どうぞみなさまだけでお越しになってください”と言った。仕方がないので嫁さんと子どもを残して食べ物を求めて旅に出た。次の日、役人が見回りに来て“ああ、ここの家は嫁さんと子どもを残して旅に出たな”と分かって明くる日の見回りに来てみるとお母さんが授乳の体勢のまま息絶えていた。赤ん坊はそのおっぱいにしがみついている。こうなったら赤ん坊だけでも助けようと思って抱き上げようとしたらしっかりとお母さんに攫まって離れない。仕方がないのでその日はそのままにして、次の日、訪ねたら赤ん坊も昨日の格好のまま絶命していた。こんな記録です。実はこれは見殺しの論理なんです。大人が赤ん坊引き離せないはずはないんです。しかし、この赤ん坊を助けたらみんな救けんならん。村の秩序が持たないんです。そこで“引き離せなかった”ということにして置いておいたんです。
 少なくとも今から五十年ほど前までの山間部や農村部の主婦層は文献でそんなことは知らなくても実体験としてそんな思いを共有していた。だから門口に物乞いが立ったら追いかけて行ってでも何かを与えたんです。それは“私は見殺しにするような惨い振る舞いはいたしません”という思いの表れです。その根底に“私は見殺しにするような惨い振る舞いはしないけれども、今私がこうして生きているということは、私の先祖の誰かが何時か誰かを見殺しにしてきたからに違いない。”という切実な思いがあるからなんです。滋賀県の土下座、あれ、〈お参りくださった人に対する会葬御礼〉なら土下座はやり過ぎです。そうやないんです。あれは「故人は今までみなさまに色々なご苦労やらご心配をおかけいたしました。時には惨い振る舞いをしたかもしれません。しかしそれはここに残っている我々を養い、支えるためであったんです。故人の無礼は我々が代わりにお詫び申しあげます。」という意味の土下座なんです。私は東アジアに伝わった仏教のこころというものが我々の内面に罪というものをそういうふうに意識づけた。私はそれが土下座という形でまだちゃんと生きておってくれたなぁと一つの感慨を持ったのであります。…】              なもあみだぶつ
 
 


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