世間解 第359号 平成30年 1月
念仏もうさるべし
阿弥陀さまと共に生きる名前
新しい年を迎えました。平成三十年。みなさま方にはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。縁の中では何がやってくるか分からない日暮らしでありますが、本年も何卒よろしくお願い申しあげます。
われわれの浄土真宗の宗祖(一宗・一山をお開きくださったということで、ご開山ともいいます)は親鸞聖人であります。承安三年(1173)にお生まれくださって弘長二年(1263)にご往生になられました。
ご開山は親鸞聖人というお名前で通っておりますし、その通りなのですが、実は親鸞聖人はいくたびかお名前を変えておられます。
梯實圓和上は「親鸞聖人は何か大きな精神的転換があった時に今までの名前を変えられるということをされる方であったようですね」とおっしゃっていました。
今回はそんな親鸞聖人のお名前の歴史をお聞かせいただこうと思います。
親鸞聖人の幼名はハッキリとは分かっておりません。後に色々な伝記で幼名が語られますが、確証はありません。ご開山は九歳で出家をなさいます。お得度の師匠は後に天台座主をつとめられる慈円僧正であったといわれております。
親鸞聖人の曾孫にあたる、本願寺第三代・覚如上人がお書きくださった『御伝鈔』(親鸞聖人の伝記)には〈鬢髪を剃除したまひき。範宴少納言公と号す。〉とあって出家された時のお名前は“範宴”であったことが分かります。
二十九歳で法然聖人のお弟子になられた時、法然聖人から名前をいただかれますそれが“綽空”というお名前です。
三十三歳、法然聖人から主著である『選択本願念仏集』(『選択集』)の伝授を受けられた時、ご自身からお師匠さまの法然聖人にお願いをされて名を改められます。
師匠からいただいた名前を変えるというのですから、よほどのことであったと思います。法然聖人もそれをお許しになるわけですから、弟子・綽空の気持ちがよくお分かりであったのでしょう。
“善信”という名前に変わられます。
そして時期は分かりませんが、おそらく天親菩薩・曇鸞大師のお書物によって阿弥陀さまのご本願のおはたらき、本願力回向のおいわれを確認された時からご自身で“親鸞”と名乗られるようになり、『選択集』をいただかれた時の“善信”という名を房号(通称)として用いられます。
ですから親鸞聖人の正式のお名前は“善信房親鸞聖人”と申しあげるのであります。
ざっとまとめますと、親鸞聖人のお名前は、
“範宴”ーご出家~二十九歳まで。
“綽空”ー法然聖人のお弟子になられてから。
“善信”ー三十三歳で『選択集』の伝授を受けられてから(後に房号とされる)
“親鸞”ー天親菩薩・曇鸞大師から一字ずついただかれて。
このように親鸞聖人のお名前の変遷はそのまま仏道の確認の変遷でもあったのであります。
《阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中に生かされ生ききってゆこう》というご自身の“いのち”の意味と方向がより明るく確認されるたびにご開山はお名前を変えて新しい真の自分と向きあわれたのでしょう。
ご自身では釋親鸞とおっしゃいます。
ご開山のご法名です。阿弥陀さまと共に生きる仏道を歩む上でのお名前です。
坊守が以前に『月刊こなつちゃん』に“帰敬式”(本願寺でご法名をいただく入門式)のことを書いてくれました。
それをお読みくださって「“帰敬式”を受けたいがどないしたらよろしいか」と何人かのお同行さまからお尋ねをいただきました。
西法寺では毎年、聖跡参拝と称してバスツアーを行っていますが、
今年は6月17日に本願寺でご一緒に“ご法名をいただきませんか”という形にいたしました。
この機会にご縁の皆さまには親御さまからいただかれた願いのこもってお名前(ご本名)と共に、
ご自身で“阿弥陀さまの願いの中に生きさせていただいている”ことを確認する(ご法名)をお受けになられませんか。
合 掌
世間解 第360号 平成30年 2月
念仏もうさるべし
阿弥陀さまと共に生きる名前 2
2月になりました。久しぶりに寒い冬を感じる年明けからの1ヶ月でありましたがみなさま方には阿弥陀さまの暖かいまなざしの中お念仏ご相続のことと思います。
平成7年1月17日の阪神淡路大震災から23年の月日が重なりました。
その後、東北や熊本の震災、各地での災害が起きる中、年々全国ニュースでは取り上げられることが少なくなる中でおこなわれた今年の追悼の日は雨でした。
被災されたたくさんの方や震災後に生まれた人たちが各々の思いを持って集まられた公園。追悼の竹灯ろうの多くが雨で点灯出来ない状態でした。寒さの中で、竹灯ろうに傘をさしかけて雨から護っている人、傘もささずに水の溜まったいくつもの竹灯ろうじーっと見ている人、一つの傘の中でお母さんにしがみつくようにしてそんな光景を見ている小さな女の子、合掌をする人、雨空を見上げている人…。
色々な人の色々な思いを感じると共に、テレビの前で「うわぁ~、雨か…」と言うだけで何も出来ない自身の全くの無力さを感じた
1月17日でした。
「障りのない人生はありませんよ。」こうハッキリとおっしゃってくださったのは梯實圓和上でした。
阿弥陀さまのご法義に遇わせていただいて“障りをなくす”のではなかったのであります。“障りがなくなる”のでもありません。
“障りの多い日暮らし”を親鸞聖人が歩んでくださった阿弥陀さまのご本願のおはたらきに照らされ、護られ、支えられながら歩ませていただくのであります。
無力な私をそのお徳のすべてをかけて支えてくださっているおはたらきがあるのであります。それが“南無阿弥陀仏”というお念仏さまでありました。
あえて“お念仏さま”と申しあげました。
遠藤秀善という山本仏骨和上や梯和上のお師匠さまがおられました。
この遠藤和上が晩年に
「私はこの頃、“なもあみだぶつ”に“さま”をつけて味わわせてもらっております。“なもあみだぶつさま、なもあみだぶつさま…”」とおっしゃっておられたそうであります。〈私が私の声で、私の口から称えているお念仏でありますがその根源に阿弥陀さまの“お前さんどんな事があっても必ず支えてるよ”というおはたらきがあってくださっている。そのおはたらきが私の口からお念仏となって出てくださっている。何があっても私を支えてくださっているおはたらきがある〉そんなお心が“なもあみだぶつさま”申させていただいているという遠藤和上のお味わいでありましょう。
さて、先月からご法名のお話しをさせていただいております。
浄土真宗では“戒名”といわずに“法名”と申しあげます。〈阿弥陀さまのご法義の中に日暮らしさせていたただいている名前〉ということであります。
親御さまからいただかれた願いのこもったお名前(ご本名)と共ご自身で
“阿弥陀さまの願いの中に生きさせていただいている”ことを確認する
(ご法名)名告りと申しあげてよいでしょう。
西法寺では今年の6月17日にご縁の方と共にご本山でご法名をいただく
「帰敬式」お受けになりませんかとお誘いを申しあげております。
受式いただくとご本山からお経さまや親鸞聖人のお言葉から取られた「釋○○」というご法名がその法名の意味を記したものと共にいただけます。
また、(内願)といいますが、ご自分のお名前から一字取られたり、お好きな物や言葉から一字取られたりして「こういうご法名がいただきたい」と願い出ていただくことも出来ます。
親鸞聖人は阿弥陀さまの救いのおはたらきを確認し、新しい心の開けがおありになった時、自ら意識をして二度お名前を変えておられるということを先月お聞かせいただきました。
障りの中の日暮らしを生きる私が、その障りの中の“いのち”を支えてくださっている阿弥陀さまのおはたらきに遇わせていただいてあったという、今までの日暮らしを包みこれからの日暮らしに安心をもち「阿弥陀さまのお照らしの中の“いのち”であった」と新しい心の開け確認をさせていただくことの出来る名告りがご法名でありましょう。「帰敬式」お受けになりませんか。 合 掌
世間解 第361号 平成30年 3月
念仏もうさるべし
阿弥陀さまと共に生きる
気がつけば三月であります。有縁皆さまには阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと思います。
『歎異抄』というお聖教があります。世界中で色んな言葉に翻訳されて読み続けられているお聖教であります。親鸞聖人のお弟子であった唯円房さまという方が親鸞聖人のご往生の後、二十年ほどたってからお書きくださったと考えられる親鸞聖人のお言葉を中心として編集されているお書物です。
そこには色んな事が説かれてありますが、唯円房さまがこのお書物をお書きくださる元になったお心は“歎き”であります。
当時の人々の中には親鸞聖人にお遇いをしお念仏を申しながら、自分勝手に教えを解釈して親鸞聖人のおっしゃった事とは違うことをいっていた方がおられたようであります。
そんな人たちをご覧になって、
〈今、こうして親鸞聖人がお説き残しをくださった阿弥陀さまのご本願のお念仏に遇いながらどうして阿弥陀さまのご本願の大悲のお心を、親鸞聖人のお心を素直に聞かずに自らも安心することなく、そして人々おも惑わして不安にさせてゆくのだろう。〉というお心であります。
教えを曲げる人はもちろんいけませんが、間違った教えに振り回される人にもどうぞ真実の教えに安心してほしいというお心の流れているお書物であります。
さて『歎異抄』の第一条は、
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じ て念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益に あづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・悪善のひとをえらばれず、 ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をた すけんがための願にまします。しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要に あらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の 本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと[云々]。
というご法語であります。梯實圓和上は、
『 一、阿弥陀仏の誓願の不可思議なはたらきにお救いいただいて、必ず浄土に往生するのであると信じて、念仏を称えようという思いがおこるとき、ただちに阿弥陀仏は、その光明の中に摂め取って決して捨てないという利益をお与えくださるのです。阿弥陀仏の本願は老いも若きも善人も悪人もわけへだてなさいません。ただ、その本願を聞きひらく信心がかなめであると心得なければなりません。なぜなら、深く重い罪を持ち、激しい煩悩をかかえて生きるものを救おうとしておこされた願いだからです。ですから、本願を信じるものには、念仏以外のどんな善もいりません。念仏よりもすぐれた善はないからです。また、どんな悪も恐れることはありません。阿弥陀仏の本願をさまたげるほどの悪はないからです。
このように聖人は仰せになりました。』と現代語訳をしてくださっています。
阿弥陀さまの「あらゆる“いのち”を必ず覚りの身にしてみせる」というご本願のおはたらきが私の“いのち”の全体を包み支え育んでくださっていて、そのおはたらきが今私の口から「なんまんだぶ」 というお念仏となって出てくださっておるのであります。
私がお念仏をしてその引き替えに阿弥陀さまのお救いが来るのではありません。
今、お念仏出来ているということが阿弥陀さまのお救いの真っ只中におらせていただいている、阿弥陀さまが共に生きてくださっている証拠なのであります。
お念仏申しているからといって私の上から苦しみや悲しみが劇的になくなるなどということはありません。色々心配にもなるし、寂しい別れにも遭ってゆかねばなりません。
しかしその先立たれた方も阿弥陀さまと同じお覚りをお開きくださっている方と仰いでゆく。
“そう安心させていただいていいんだ”という証拠がわたしが「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏出来ているということなのであります。
お念仏出来ていることは阿弥陀さまと共に生きさせていただいているということであります。
「しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑに」なのであります。 合 掌
世間解 第362号 平成30年 4月
念仏もうさるべし
大悲無倦常照我
春、四月であります。色んな事が新しく始まる季節であります。
また、その色々な事が新しく始まる中で私たちは色々な事柄にあい、色々な言葉にあい、色々な場面の中で色々な思いを持ってゆかねばなりません。
楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、辛いことも、うまくいくことも、どうにもならないことも…本当に色々な事にあってゆかねばなりません。
その時その時で一生懸命考えて周りの人に助けられたり支えられたりしながら大切に日暮らしをさせていただくのであります。
考えてみれば、私たちは年齢や経験、知識などはまったくく関係なく一瞬一瞬まったく新しい時を、もっといえば未知の時を迎えるのであります。
そんな中で私は、場面場面で色々な事を思ったり考えたりいたします。
正直に申しますと、私は一日のうちで阿弥陀さまのことやご法義のことや、お念仏のことを思っている時間はほんのわずかであります。先だった父や母のことなどは朝、お内仏さまのお勤めをさせていただく時に過去帳をめくって父や母の命日に「あっ、今日は月命日か」いうて思い出すくらいのものです。
お念仏さまにしてもそうです。お衣を着せてもらって、お同行さまのお家にお参りに寄せていただきますので、その時は「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏をご相続させていただきますが、平生お念仏を度々ご相続させていただいておるかといえば「……すみません」と申しあげるより外ありません。
早い話が、昨年の暮れからこの冬の間“お念仏ご相続した数”と“あ~寒っ”いうた数とどっちが多い?と聞かれたらこれも「……すみません」であります。
何時も何時もお聞かせをいただきます。そんな私の日暮らしを一瞬たりとも途切れずに願い続け支え続けてくださっているおはたらきがあるのであります。
阿弥陀さまのご本願、そして今阿弥陀さまと全く同じおはたらきとなってくださっているご往生くださった方々であります。
そのおはたらきの、支えの、願いの力が私にかかってくださっている何よりもの証拠が“私が「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏させていただいている”ことであります。
何時もご拝読をさせていただく「お正信偈」さまに、
極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
という一節がございます。〈お念仏を申している私は間違いなしに阿弥陀さまのご本願のお心の中に摂め取られている。私の煩悩の眼では阿弥陀さまを直に拝見することは出来ないけれども、阿弥陀さまの大悲のお心は途切れることなく私を照らし護ってくださっている〉というお言葉であります。
親鸞聖人は、このお心を「ご和讃」にも、
煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり
と讃詠されております。〈常照我〉〈つねにわが身をてらすなり〉
色んな事にあい、色んな思いを持ってゆかねばならない私に“常”という阿弥陀さまのおはたらきがあってくださるのであります。
「常照我身」といふは、「常」はつねにといふ、「照」はてらしたまふと いふ。無礙の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。
つねにてらすといふは、つねにまもりたまふとなり。「我身」は、わが身を 大慈大悲ものうきことなくして、つねにまもりたまふとおもへとなり。摂取 不捨の御めぐみのこころをあらはしたまふなり。
親鸞聖人のお言葉であります。
阿弥陀さまの「お前さん、色んな事はやって来ようけど、必ず支えてるから、間違いなしに覚りの身と生まれるんやと安心してお念仏申しながら生ききってくるんやで」というご本願のおはたらきは一瞬たりとも私から離れることも途切れることもなく私を育みて続けてくださっておるのであります。
来月もう少し“常”ということについてお聞かせをいただきます。 合 掌
世間解 第363号 平成30年 5月
念仏もうさるべし
大悲無倦常照我 その2
五月になりました。新緑の眩しい季節です。有縁皆さまにはご本願のおはたらきの中、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。
さて、先月は「常」ということについて少しお聞かせをいただきました。
阿弥陀さまのどんな事があっても私を覚りの身にしてみせるというおはたらきは決して途切れることがないのであります。
前回もお聞かせいただきましたように親鸞聖人はこの「常」ということに深い思いを持っておられたのか、お書物の中で度々ご解釈くださっています。
私の日暮らしは縁にふれて色んな事にあいながら、色んな思いを持ちながらその状況が、心もちが、コロコロと変わります。
私は、色々な場面や思いの中で心のあり方が一瞬一瞬、怒ったり、笑たり、嬉しかったり、悲しかったり、イライラしたり、何ともなかったり…、自分の都合でコロコロと変わってゆきます。しかし、そんな中でも時々にお念仏出来るのは阿弥陀さまのご本願が途切れずにかかり続けて私を包み育ててくださっているからでありましょう。私がお念仏させていただくのは時々であります。
「恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前」といふは、「恒」はつねにといふ、 「願」はねがふといふなり。いまつねにといふは、たえぬこころなり、をり にしたがうて、ときどきもねがへといふなり。いまつねにといふは、常の 義にはあらず。常といふは、つねなること、ひまなかれといふこころなり。 ときとしてたえず、ところとしてへだてずきらはぬを常といふなり。
『一念多念文意』というお聖教に残された親鸞聖人のお言葉であります。
ここで親鸞聖人は「恒」という“つね”と「常」という“つね”の意味を変えて味わっておられます。「恒」と「常」はどちらも“つね”と読む字でありますが、「同じ“つね”でも意味が違うねんで」とおっしゃるのであります。
「常」の“つね”は先月からお聞かせをいただいている通り“ずーっと”ということであります。〈つねなること、ひまなかれといふこころなり。ときとしてたえず、ところとしてへだてずきらはぬを常といふなり〉どの時間、どの場所であっても間断なく続いていることを「常」というとおっしゃるのであります。
まさに阿弥陀さまのご本願のおはたらきであります。
それに対して、「恒」の“つね”は“時々”ということでありましょう。〈いまつねにといふは、たえぬこころなり、をりにしたがうて、ときどきも〉“時々だけど継続している”とおっしゃるのであります。これが私の口から出て私の耳に届いてくださるお念仏の相でありましょう。
わたしが「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏さまをご相続させていただくのは本当に時々であります。一日のほとんどはお念仏さま以外のことを思い、お念仏さま以外のことをしゃべっているのであります。
しかし、その私が時々に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏さまをご相続させていただく…。阿弥陀さまのご本願のおはたらきがあってくださるからであります。逆に言えば阿弥陀さまのご本願のおはたらきがなければ私はお念仏さまをご相続させていただく事は決して無いのであります。
日暮らしの、さまざまな縁の中に生きる私の時々のお念仏さまの源に〈つねなること、ひまなかれといふこころなり。ときとしてたえず、ところとしてへだてずきらはぬ〉阿弥陀さまの「お前さん、どんな事があっても支えているからその“いのち”を臨終というご縁まで大事に大事に生ききって、私の浄土に生まれてくるんだよ」というご本願のおはたらきが途切れずにあってくださるんやなぁと安心させていただくのであります。
「恒」である、時々の私のお念仏さまは、
「常」なる、決して途切れることのない阿弥陀さまのご本願のおはたらきのあらわれなのであります。
お念仏申しておる時だけ阿弥陀さまのおはたらきがかかってくださっておるのではないのであります。私の日暮らしの一瞬、一瞬何処をとっても途切れることのない阿弥陀さまのおはたらきがかかり続けてくださってあるから私は時々お念仏申すことが出来ておるのであります。 合 掌
世間解 第364号 平成30年 6月
念仏もうさるべし
梯 實圓和上筆
六月であります。梅雨の季節、しばらくは雨の日とつき合いながらお念仏
ご相続させていただくのであります。
あっさりと「お天気がいいですねぇ」などと申しますが、これも限度の話でズーッとかんかん照りの日が続くと大変なことになりますし、反対にズーッと雨が続いてもえらいことになるのであります。
太陽(陽の光)と雨(水分)はどちらも私の身体的な“いのち”(気分も含めて)を支え育ててくださる大切な要素であります。
しかし相対的に雨の日は好ましく思われないようです。お天気なら「エエ天気やなぁ~」いうて空を見上げますが、雨の日には「うわぁ、雨か…」となりますし、今にも降りそうな空模様ですと「降らんといて~」と思たり言うたりするのであります。
利井明弘先生が、
『…この前、ある村でね、そこは村中の人で村の真ん中にある土地を田んぼや畑にして護っててね、すごいよ、そらもう村の中の畑なんか座敷みたい、ゴミ一つおちてない、そこでね「しばらく天気続いてええなぁ」言うたらね、「先生、何いうてはりますねん、この時期、毎日、田んぼや畑に水やらなアカンのに天気ばっかり続いて大変ですがな…、この時期に天気ようて喜んでんのは怠けもんだけでっせ!」いわれてね、はずかしかった…』とおっしゃっていたことがありました。
私もご多分にもれずと申しあげてよいかどうか分かりませんが、あまり雨が好きではありません。雨が降りますと何かしら気分が重たくなりますし、今にも降りそうな気配ですとなんやらどんよりした感じになるのであります。先の明弘先生のお話に照らしますと本当に申し訳ないことであります。
お天気は私の都合に左右されません。一切のものに平等に照り、平等に降りそそぎます。
「雨は、毒の草の上にも薬草にもおなじようにふりそそぐんですよ。なあに、毒の草と言うけれどもわれわれにとってそうなのであって同じ草を必要としている“いのち”もあるんでしょ…」とお教えくださったのは梯實圓和上でした。
エエ天気や言うのも、もう一つや言うのも、かなんなぁ~言うのも実はすべて私の都合から出る思い出あります。その意味では、雨一つとっても私の身勝手さをお知らせくださるお育てということかもしれません。
お経さまには“雨”にまつわるお言葉がしばしば出てまいりますが、雨そのものをあらわす場合と“あめふらす”と読んで教えや仏法を讃える麗しい音楽や花びらがふりそそぐことをあらわす場合があるようです。
お釈迦さまがお生まれになった時も九匹の龍が甘露の水を雨ふらせてその
ご誕生を讃えたということが言われております。今でもお釈迦さまのお誕生日である“花祭り”にお釈迦さまの誕生仏に甘茶をおかけするのはそれであります。
さて、お経さまでありますが、お経さまとはお釈迦さまのお説教でありますから、お覚りを開かれた方のお言葉であります。
『仏説無量寿経』というお経さまに「澍法雨」というお言葉があります。
〈法雨をそそぐ〉と読ませていただきます。
〈ご法義によってあらゆるものを潤してくださる〉ということであります。その部分の現代語訳がこうであります、
仏となったこの菩薩はあちらこちらに足を運び、説法を始める。それはあた かも、太鼓をたたき、法螺貝を吹き、剣を執り、旗を立てて勇ましく進むよ うに、また雷鳴がとどろき、稲妻が走り、雨が降りそそいで草木を潤すよう に、教えを説き、常に尊い声で世の人々の迷いの夢を覚すのである。
同じ雨を見ても、お覚りをお開きくださったお方がご覧くだされば〈雨があらゆるものを平等に潤すように阿弥陀さまのおはたらきはあらゆる“いのち”にかかり続けてお育てくださっているんだなぁ〉となるのでありましょう。
雨の日に“迷いの夢を覚し”続けてくださっている阿弥陀さまのおはたらきに思いをいたすことが出来るならば、雨もまた有り難いかなぁと…。なもあみだぶつ
世間解 第365号 平成30年 7月
念仏もうさるべし
お見通しである
七月であります。ご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。今年もしっかり半年がすんだのであります。はやいのであります。つい先日お同行さまが「はやいでんなぁ~、一昨日くらいお正月やと思てたのに」とおっしゃっていました。ほんまにその通りであります。
六月十八日に大きな地震がありました。皆さまにお見舞いを申しあげ、被害のほとんどなかった者として、出来るだけのことをさせていただかねばならないと思っております。「地震来んといて~」とどれほど言っても来るものはやってくることが今回ハッキリと分かりました。
「うわっ!来た!」という次の瞬間にどう対応するかを考えておかねばならんということでありましょう。暑さに余震に、皆さま充分にお気をつけくださいませ。
さて、これは以前にもお聞かせをいただいたことであったと思いますが…、
利井明弘先生のお話しであります。
『…、若い時分に友だちと議論したことがあってね。“冥”という字よ。
ご和讃に〈世の盲冥を照らすなり〉とあるじゃないですか。あの“冥”ね、普通は“めい”と読むけどここでは“みょう”やね。この字について友だちと議論になったわけですわ。
友だちはね
「冥という字はもともと‘薄暗がり’という意味やから‘見えるような見えんような’ということや」と言うてね、
僕は「何いうてんねん、あれは‘見えん’言うことや。大体〈世の盲冥を照らす〉いうのは阿弥陀さまのおはたらきやねんから‘見えるような見えんような’なんかいう中途半端なことあるかい!」いうていうとったんですわ。
ほんなら向こうは向こうで
「いや!字ぃの意味みてみい、冥という字は‘薄暗がり’という意味やないか‘薄暗がり’やったらどう考えても‘見えるような見えんような’ということにならんとおかしい。」いうて言うわけよ。
「いやちがう!阿弥陀はんのおはたらきがそんなボーッとしたようなことあるかい!」いうて議論しとったんですわ。
ほんで結局ね「わしら二人で言いあいしとったってしゃあない、先生に聞こ」いうことになったんですわ。
ほんで聞きに行ってん。梯先生のとこへ。
ほんで僕言うてん「先生、“冥”という事で友だちと意見が分かれてんけどどうです?」いうて梯先生に説明したんよ、友だちは「見えるような見えんような」いうて言うてるし、僕は「見えへんということや」いうて頑張ってんねんけどどっちでっしゃろ?いうて聞いたらね
梯先生どういうたと思う?
ニコニコしながらね“どっちも半分ずつしか的たってないな”いうて言いはったわ。「半分ずつテ何でんねん」いうて聞いたらね「あのな、“冥”というのはな“向こうからは丸見えで、こっちからは全然見えへん”言うことや」いうておしえてくれはったわ。エエですか、阿弥陀さまの方からはこっち全部お見通しやねん。エエとこだけ見てくださってるなんか思たら大間違いよ。私のすべてを見通してくださって、“お前、必ず救てみせるぞ、念仏してこい”いうて言うてくださるんです…』
こちらから阿弥陀さまのことを見たり確認したりすることは出来ないけれども、阿弥陀さまは私のすべてをお見通しである。
とても大切なことであります。
すべてお見通しの方に対して〈これでいいでしょうか?〉〈こんなことしてはいけませんでしょうか?〉などというこちらのはからいや、心配は全く要らないのであります。
私のすべてを知っておってくださてるんやなと“おまかせ”するだけであります。
私が“今、お念仏申すことが出来ている“”お念仏が聞こえるところにご縁をいただいている”“南無阿弥陀仏ということばをいただいている”という事こそが
阿弥陀さまの『お前さん、色んなめにおうて行かねばならないし、色んな思いを持ってゆかねばならないけれども、どんな事がやってきても、どんな事になってもお前の“いのち”を必ず覚りの身にしてみせることが出来るようになったからどうぞ安心してくれよ、大切な“いのち”をお念仏とともに生ききってくれよ』というご本願のおはたらきの中におらせていただいてあることだと安心させていただくのであります。もう少しお聞かせをいただきます。 合 掌
世間解 第366号 平成30年 8月
念仏もうさるべし
お見通しである2
8月になりました。暑い夏であります。有縁皆さまにはご本願のおはたらきの中それぞれのご縁でお念仏ご相続のことと存じます。
関西ではお盆の行事が各地でお勤まりになります。
数年前に山本攝叡先生にお聞きした、
〈盆は嬉しや 別れた人も 晴れてこの世に あいに来る〉
という山本仏骨和上が八月になると必ずご自坊の山門横の掲示板に書いて貼っておられたというお歌が本当に有り難く感じられます。
浄土真宗の公式的な教えでは
“先立たれた方は阿弥陀さまのお浄土にご往生くださって阿弥陀さまとおんなじお覚りをお開きくださっているのであるからお盆のときだけ特別のお帰りになられる方ではないのですよ”ともうしますし、私もそのようにお取り次ぎをさせていただいております。
しかし、その上で、このお歌をお聴きしてからはもっと豊かにお盆のお心を味わわせていただけるようになったと思っています。
先だってくださった方々は確かに阿弥陀さまのお浄土へお生まれくださって阿弥陀さまと一緒になって色んな事にあい、色んな思いを持ってゆかねばならない私を途切れることなく願い続け支え続けてくださる方でありましょうが、お父ちゃんはお父ちゃんのまま、お母ちゃんはお母ちゃんのまま、おじいちゃんはおじいちゃんの、おばあちゃんはおばあちゃんの、先だったあの子は先だったあの子のまま、今の私に遇いに来てくれている…。この頃はそれでいいんだと思うようになっています。
お盆の時期、改めてご先祖となってくださった方々とお話しをしましょう。阿弥陀さまの事をお尋ねするのもいいですよ。
さて、阿弥陀さま。先月は利井明弘先生と梯和上のお話しを通して
〈こちらから阿弥陀さまのおはたらきを見ることは出来ないが、阿弥陀さまはすべてお見通しである〉ということをお聞かせいただいたのであります。
桐溪順忍和上はそのことを
「私から阿弥陀さまの方へは断絶で、阿弥陀さまから私の方へは何時も連続してくださっておるんでないかいのぉ」とおっしゃっておられました。
そして、このお話をしてくださるときの利井明弘先生は必ず次のようにおっしゃっておられました。
『…エエですか、全部お見通しでっせ。阿弥陀はんの方からはこちらは全部見えたあんねん。これねエエとこだけ見てくださってる思たら大きな間違いよ。こないしてお寺に参ってお勤めして、お話聞いて…そんなとこだけ見てはる思たらあきませんよ。全部見てくださってんねん。私の心の裏の裏までお見通しでっせ。その上で、よろしいか、全部お見通しでその上で“念仏してこい、必ず救う”いうておっしゃってる。こっちはアーもスーもないねんて。全部知られてんねんから。…』
すべて知ってくださっている阿弥陀さまには“おまかせ”するだけでよいのであります。
〈お前さん、必ず覚りの身にしてみせるから色んな事はやって来ようけれどもお念仏申しながら生ききってくれよ〉
という阿弥陀さまのご本願のお言葉とおはたらきおまかせをするのであります。
阿弥陀さまに願われ支えられている方の私どもが、願ってくださっている阿弥陀さまに向かって“これで大丈夫でしょうか”“こんな事ではいけませんでしょうね”などと計らうのではないのであります。
私の心の隅から隅までお見通しで“安心しろ”と阿弥陀さまはおっしゃってくださるのでありますから、私の“いのち”の意味と方向を阿弥陀さまのご本願のお言葉によって
「私の“いのち”は阿弥陀さまのお浄土にまっすぐ向いているし、私はやがて阿弥陀さまと同じお覚りの身とならせていただくんだ」
と安心して。
“こんな事では…”と心配したり“これでこれで…”と私の思いや行動を手柄にしたりしないこと。阿弥陀さまがすべてお見通しであるということは、私にそういう心の世界を開いてくださることなのでありましょう。 合 掌
世間解 第367号 平成30年 9月
念仏もうさるべし
追悼 高田慈昭 和上
9月です。有縁みなさま方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ。なんまんだぶ」とお念仏ご相続のことと存じます。
暑い夏でありました。地震や豪雨は各地に大きな被害をもたらしました。
被災を逃れた者として出来ることを出来るだけ続けさせていただくんやなぁと思うことであります。
八月の二十三日に行信教校講師・本願寺司教でいらっしゃった高田慈昭和上がご往生になられました。行年九十歳。
十三日に少ししんどいというので、ご自身で病院に行かれそのまま検査入院という形で病院におられたそうですが、ご往生になる前日には教校にお電話をされて九月からのことを色々とご相談くださっていたそうで…、突然のご往生に愕然といたしておるのであります。やさしい、ありがたい和上さまでいらっしゃいました。
ある時は訥々と、ある時は情熱を込めて、ある時が大変厳しく、そして折に触れてニコッとわらいながらご法義をお語りくださる和上さまでありました。
前住・清観と大変親しくしていただいておりまして、私が産まれる前から西法寺にはご縁のあった先生で、坊守も教校でお教えいただきましたし、若院・徳行は三年間教校の寮におりましたので、和上を最寄りの駅まで送り迎えさせていただくご縁が度々あり、わずかな時間でありますが、車の中で色々なお育てをいただいたようです。
教校から摂津富田の駅に着きますと「たこ焼き食べるか」とおっしゃって「買うて帰ってみんなで食べ」と度々お小遣いをくださったそうであります。
前住が臨終を迎えた平成三年、和上は開教総長としてブラジルにおられました。父の命日は八月四日でありますが、忘れもいたしません九月十三日のお昼頃であったと思います。定例法座の日に突然「星野さん亡くなってんてなぁ…」と和上がお尋ねをくださいました。
本堂余間の中陰壇の前でお勤めをくださって「長い付き合いでなぁ…」とおっしゃって「ほんなら京都行かんならんので」とサーッとお戻りになられました。
ご本山のご用で帰国されていたわずかな時間をぬってお参りにお越しくださったのであります。
昭和二十一年か二年とお聞きしたと思うのですが、いずれにしても戦後すぐの行信教校にお入りになり、以来、平成二十六年の五月七日にご往生になられた梯實圓和上とともに行信教校を支え続けてくださった和上さまでありました。
『…戦後の混乱期でね、食べるモノがないから水ばっかり呑んで…、動いたらお腹すくでしょだから私も梯先生も部屋でジーッとして仏教書やら哲学書やら本ばっかり読んでました。しかし、それが良かった。今の私の基礎になってますわ。リヤカーみたいなん引いて車作りの方まで食べるもんもらいに行ったり薪拾いに行ったりねぇ、今では隔世の感がありますねぇ…。』と教校での会合の折にはよくこんなご挨拶をしてくださっていました。
そして、「そんなときに山本仏骨和上が我々に漢詩を作ってくださってねぇ」とおっしゃって、
孔々として難に堪え道学厚し 諸生の困苦最も尊しと為す
人間賞せざれども敢えて悔ゆることなく 千載に誠を垂れて仏恩に報ぜん
と、朗々とご披露くださることがありました。
その時の梯和上はいつも「そうそう、あんた、よう覚えてるなぁ」とおっしゃりながら、感極まったお顔で涙をこらえておられたことを思い出します。
娑婆のならいとはいえ梯和上に続いて、高田和上とお別れさせていただかねばならなくなった寂しさはなくなりませんが、同時に私の「なんまんだぶ、なんまんだぶ」というお念仏さまの中に高田和上のおはたらきもあってくださるなと温顔とお声を偲ばせていただくのであります。合 掌
世間解 第368号 平成30年 10月
念仏もうさるべし
ー当相敬愛ー
十月であります。お念仏ご相続のことと存じます。
さて、これはご往生の数年前、梯實圓和上のある結婚式でのご祝辞であります。
「…本日はおめでとうございます。…おめでたいことと申しておりますけれども、仏教ではもともと僧侶が結婚するということはあり得なかった事なんですね。
出家をいたしますと家を捨て、家族を捨て文字通り裸一貫になって修行にいそしむというのが僧侶の生き方でございました。
従って女性であれ男性であれ結婚するということはしなかったのでございます。それを僧侶でありながら結婚をし家庭を営む、そういう世俗の生活の中で、しかし、出家の道を生き続ける。そういった生き方ていうものを新しく開いてくださった方が実は浄土真宗の宗祖、親鸞聖人だったわけでございます。
当時、隠れて結婚していた僧侶もいましたが、堂々と奥さんと子どもさんたちと一緒に生活をしながら、しかもそれを仏道として高めていった。そういう方が親鸞聖人というお方でした。
私たちはその流れを汲みまして、そしてこうして結婚もし家庭を持ち、その意味では世俗の生活をしておる。
しかし生活は世俗だけれども、やはり世俗を超えたそういう領域を目指して生きていく。そういった生き方というものをね、それを実際に生活の中で実践し、また人びとにそれをお勧めになっていらっしゃる。
そういった方が親鸞聖人であり、それから今日まで八百年、浄土真宗の僧侶は結婚し、そして家庭生活を送りながらその中で仏さまの救いというものを確認していく。そういう生き方をするようになりました。
そういう中でですね、やはり一番大切なことは「敬愛をする」ということですね。
“敬”は‘うやまう’ということ“愛”は‘あいする’ということですが「敬愛する」というのは『仏説無量寿経』というお経の中に出てくる言葉です。
「当相敬愛 無有憎嫉」とあります。まさにあい敬愛して、そして憎しみや嫉妬、ねたみの心を制御しながらお互いに敬いの心と深い相手への思いやりの心をもって生きようとする。そういうところに仏道としての人生があるんだ。
ということがお経の中にいわれているんですね。
ですから親鸞聖人もご結婚をされて世間の人たちから、おそらく嘲笑されたりあるいは非難攻撃されたりする事もございましたけれども、その中で営々として、やはり‘夫婦というのは人倫の一番根本である’と昔からいわれておりますけれども、人は一人だけで生きられるものではない。必ず関係性の中で生きている、その関係性の中で一番基本的な単位になるのが夫婦でございましょう。
そういう中で人間の温かい関係、つながりというものが生まれてくる。そういう中で仏さまの救いというものを確認していく。そういう仏道というモノがなければならん。またそれを実践された方が親鸞聖人というお方だったのですね。
今申しました、その根本にあるのが「敬愛」ということでございましょう。
仏さまのお言葉にしたがって生きていこうとする。
“敬”というのは相手に対する‘うやまい’の心ですね。お互いに世俗の生活の中ですべてをさらけ出しながら生きていくのが夫婦でございます。外の世界には見せない顔も夫婦なら見せていく、そして赤裸々な人としての生き方をしていくわけでございますが、その中で尚且つ相手に対する敬いの心というものを持つ、それは“いのち”への敬いであり“いのち”への畏れであるという思いを持ちながら相手の本当のしあわせを心から願ってゆく。
“愛する”ということは自分のために人を愛するんじゃなくて、相手の幸せ、なんかお役に立つこと、相手の人生に何かお役に立つことがあればそうさしていただきたいと…、そういう願いを持って行きていく。相手を本当に大切な者として、大切な“いのち”として見つめていくというそういう眼差しというものを生涯忘れてはならないと思います。
色んな事が起こる、決して生易しいことではございません。しかし、何が起こってこようとそこに見忘れてはならないことがある。それが慈悲の心であり敬愛の心です。新しい人生の門出に一言申しあげさせていただきました。」
合 掌
世間解 第369号 平成30年 11月
念仏もうさるべし
ー有り難いー
11月であります。本年もあと2ヶ月となりました。有縁皆さまにはご本願のおはたらきの中に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。
10月14日に若院・徳行が大阪の津村別院ご本堂において美緒さんと挙式させていただきました。
数えきれない方々のお育てとご恩の賜とあらためてお礼申しあげますとともに、今後も何かとご厄介になることと思いますが、ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします。
天岸浄圓先生が以前よく結婚式のスピーチで、
「…、今までお互いに環境の違う、価値観の違う中で育ってきたお二人が、不思議のご縁でこうして夫婦となる。これから様々なことが起こってきましょう。お二人だけならまだしも、お二人の周りの中からでも思いもかけないことが起こってくるかもしれません。そんなときに〈何でこんな事に…〉と考えないで、〈これであたりまえなんやな〉と、そして、たまたま平穏な日暮らしが続くことがあったらそれを〈有り難いことだな〉と慶んでいけるような家庭を築いてほしいと思います。」こうおっしゃっていました。
家庭生活だけではありません。今後も色々な事にあってゆかねばならないでしょうが、今年は6月の地震に加えて何度も台風に襲われ、その都度被災をされた方々がたくさん出られるという、近年にない荒れた年であるように思います。
「自然は我々に多くの恵みをもたらしてくれますが、ひとたび荒れ狂うと大きな被害を巻き起こします。我々は全く太刀打ちできませんねぇ。」
とおっしゃった浅井成海先生のお言葉を思い出します。
9月4日の台風21号は大阪を直撃いたしました。お昼間でしたが、3時間近く暴風が吹き荒れました。
台風の最中に寺に居たのは坊守さんと私とこなつだけでした。
西法寺の庫裏が建ったのは50年以上前ですし、阪神淡路大震災や6月の地震もくぐり抜けた建物で、今回も無事に建ってくれておりますが、さすがにあの暴風の最中は庫裏全体がガタガタと音を立てて揺れておりました。大げさではなく「次の風で屋根が飛んでゆくかもしれない」と思いました。
怖くなって、坊守さんと、こなつと、私はご本堂横の集会室に避難をしておったのであります。遠くからピューと風の音が聞こえてやがて庫裏がガタガタと音を立てて揺れているのが分かりました。
まさに非日常の体験でありました。“常”ではなかったのであります。
暴風が吹いている間の私の心もちは「大丈夫かなぁ、はよ台風いってくれへんかなぁ」「いざとなったら どないして逃げたらエエのかなぁ」等という思いばかりで、正直申しあげてその間には“なんまんだぶ”も“阿弥陀さま”もすっかりどこかに飛んでいってしまっていました。
我々は何事もなく平穏な日暮らしが“日常”であり、思いがけないことや自然災害などが起きるとそれを“非日常”と考えるのであります。
しかし、日暮らしの様々な“縁”の中では何が起こるか分かりませんし、何が起こってもおかしくないのであります。その意味では私の“いのち”は“何が起こってくるか分からない常”の中に生かされているのでありましょう
。
親鸞聖人は“常”についてこうおっしゃるのであります、
常といふは、つねなること、ひまなかれといふこころなり。ときとしてたえず、ところとしてへだてずきらはぬを常といふなり。
これは阿弥陀さまが私を照らし続け支え続けてくださる事をおっしゃるのであります。阿弥陀さまのおはたらきに非常はないのであります。
苦しいこと、悲しいことはやってこない方がいいし、やってきたときは大変だけれども、どんな事が私の上にやってきても、阿弥陀さまやご往生くださった方々は何時も一緒に居ってくださる。
何事もない平穏な日暮らしが
実はとても有り難いことであると改めて知らせていただいたようなこのごろであります。 合掌
世間解 第370号 平成30年 12月
念仏もうさるべし
ーつつみきってくださっているー
12月、歳の暮れであります。有縁みなさま方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。
本年も何かとお世話になりまして誠に有りがとうございました。
大阪の浄土真宗本願寺派寺院の住職は、毎11月の11日から16日まで勤修されます大阪本町にある本願寺津村別院の報恩講さまに数年に一度でありますが出勤させていただくご縁が巡ってまいります。
今年は私がそのご縁をいただきまして、最終日の11月16日に津村別院の
お内陣にあがらせていただきました。
津村別院の報恩講さまは毎年15、16の2日間、ご門主さまと前門さまが1年交代でお導師をなさってくださいまして、本年は大谷光真前ご門主さまがお出ましをくださいました。間近で前門さまのお勤めにあわせていただき
大変ありがたいご縁でありました。
お勤めに引き続いて前門さまのご法話をご聴聞させていただきました。
「恩徳讃」のお言葉によられながら一言一言大変ご丁寧にご法話くださいました。その中で「阿弥陀さまの救いは決してその時だけ、その場限りという一時的なものではありません」というお言葉がありました。改めて有りがたいなぁとお聞かせをいただいたのであります。
私はこの『世間解』で何時も“阿弥陀さまのお救いのおはたらきは途切れることがありません”というようなことをお聞かせいただいておりますが、そのおはたらきを客観的ではなくご自身が照らされている立場からおっしゃってくださったお言葉であるといただきました。
何か事が起こって、それが解決したりなんとかなったりすると 私は
「あぁ、よかった」「阿弥陀さん支えてくれてはったなぁ」等と思うのでありますが、何事もない時はなんとも思わないのであります。
前門さまは「阿弥陀さまは私が困っている時だけ支えてくださるのではありません。楽しい時も、何ともない時もそのおはたらきは変わりません。」というようなことをおっしゃってくださったのであります。
思い返せば今年は色々な事がありました。
大阪では先ず6月の地震、8月から9月にかけての台風…。日本各地で色々な災害に見舞われた年であったように思います。
辛いことだけではなく、西法寺には10月に慶ばしい事もございました。14日に若院・徳行と美緒さんの挙式を津村別院でお勤めさせていただきました。とても有りがたいことでした。
そんな中、今も書きながら思い起こすのでありますが、「6月の地震の前はどんなんやったかなぁ」と思うのであります。
特別な事がない限り“いつものこと”で流れていってしまっていることに改めて気づかされるのであります。
“日々の日暮らしのことを何から何まで覚えなければならない”と申しあげているのではありません。
これもよくお聞かせをいただきますが
「なんか1週間くらい“あっ”という間やったなぁ…」ということが言えている状態は、何事もなかったことの裏返しでありましょう。
先の前門さまのお言葉は“阿弥陀さまの私を救いきってみせる”というおはたらきはどんなときの私も包みきってくださっているということでありましょう。
『才市よい うれしいか ありがたいか ありがたいときや ありがたい なつともないときや なつともない 才市 なつともないときや どぎあすりや どがあもしよをがないよ なむあみだぶと どんぐりへんぐりしているよ 今日も来る日も やーい やーい』
妙好人・浅原才市さんのお歌であります。
くるしいなぁ うれしいなぁ たまらんなぁ たのしいなぁ かなんなぁ よかったなぁ…。色んな思いがありましょうが私の日暮らしの大半は、ありがたいことに“何ともないとも思わん”時間がしめているのではないでしょうか。
その私の“いのち”の何処をとっても阿弥陀さまのご本願のおはたらきは私を包みきってくださっておるのであります。
なもあみだぶつ
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