世間解 第335号 平成28年 1月
念仏もうさるべし - 気づかせてくださるんです 3 ー
新しい年を迎えました。有縁みなさま方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏ご相続の中、各々に良いお正月をお迎えになられたことと存じます。
今年(昨年)の除夜会・修正会にはたくさんの方にお参りいただき誠にありがとうございました。
西法寺のお同行さまでない方もたくさんお参りくださり、皆さまが阿弥陀さまとご縁を結んでくださったことに改めて有り難いご縁だなぁと味わわせていただいたことでありました。
西法寺に足をお運びくださったこと、
除夜会で鐘をお撞きくださったこと、ご本堂にお上がりくださったこと、
修正会でお正信偈さまのお勤めにお遇いくださったこと、
お勤めの合間にお焼香をしてくださったこと…。
その全てに阿弥陀さまのおはたらき〈本願力〉がかかってくださってあるんやなぁと改めてお育ていただいた事でありました。
本願寺第十四代ご門主さま寂如上人のお作であるとお聞きしている、
引く足も 称える口も 拝む手も
弥陀願力の 不思議なりけり
というお歌を味わい返させていただいたことでありました。
そのおはたらきの中、本年もご聴聞させていただくのであります。
さて、昨年末から、“私が「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏申させていただいてあることの意味を今私はこのように味わわせていただいております”というようなことをお聞かせいただいておるのであります。〈喚びかけ〉と〈気づき〉それは〈許し〉と〈うなずき〉というお話しであります。
私が「なんまんだぶ」とお念仏を申す。「なんまんだぶ」とお念仏を申す、ただそれだけの事実であります。
ただ「なんまんだぶ」とお念仏を申しているだけのことなのでありますが、そうなるまでには阿弥陀さまの「お前さん、必ず救いきってみせるから、浄土に生まれて覚りの身になることが出来るんだと安心して、それまではお念仏申しながら生ききってくれよ」という途切れることのない〈喚びかけ〉が、お育てがあってくださって私は今こうして「なんまんだぶ」とお念仏する身にならせていただいたのであります。
そのお念仏をどういただくか、味わうかであります。“お念仏みたいなんして何になんねや”“こんだけ唱えてたらまぁ大丈夫か”などと思っている間はほんまに‘只、唱えてるだけ’でありますし、‘しかし、ほんまに大丈夫かなぁ、いや大丈夫に違いない’という強がりか、心配の種にしかなりません。
そうではなくて、“ああ、こないしてお念仏称えさせていただいてるのは阿弥陀さまのご本願のおはたらきの、お育てのおかげやってんなぁ”といただいた時から、私の口から出てくださるお念仏は“阿弥陀さんが、ご往生くださった方々が私と一緒におってくださってる、支えてくださってるおはたらきの顕れやってんや”という安心の縁としていただく事が出来るのであります。
私にその思いをあらしめてくださったのも阿弥陀さまのご本願のおはたらきであったという〈気づき〉がそこにあります。
私が気づいたから阿弥陀さまのおはたらきが届いてくださるのではありません。
阿弥陀さまのおはたらきがずーっとあってくださっているから私が気づかせていただくことが出来たのであります。気づかねばならないのではありません。気づかせていただいたのであります。私が気づく前から、私を気づかせてくださるおはたらきがあり続けてくださっておったのであります。
“気づかねばならんのか”“どうすれば気づけるのか”などとご心配いただく必要はありません。
〈気づき〉とは“なんや、そうやったんや”という安心であります。
また、〈許し〉と〈うなずき〉を積み残してしまいました。
来月こそそこの所をお聞かせいただきます。 合 掌
世間解 第336号 平成28年 2月
念仏もうさるべし - 気づかせてくださるんです 4 ー
年が明けはや一ヶ月が過ぎました。有縁皆さまにはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏ご相続の事と存じます。
何時もお聞かせをいただくことでありますが、私のお念仏の元には阿弥陀さまのご本願のおはたらきがあってくださいます。逆に言えばご本願のおはたらきがなければ私の口から「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏さまがでてくださることはないのであります。もちろん“お念仏させていただこう”と思って“お念仏ご相続する”のは自分自身であります。
私が思って私が称えるのであります。もっと言えば阿弥陀さまの〈お念仏申してくれよ〉というご本願のお言葉をいただいて“そうかお念仏申させていただくんやなぁ”といただいてお念仏申しあげるのであります。
自分で自分の口でお念仏申しあげるのですが、その元に阿弥陀さまのご本願のお心を味わわせていただく事が、親鸞聖人がご確認くださったご本願の、浄土真宗のお念仏であります。
同じように「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏申しあげておっても‘ワシが唱えた’‘このお念仏で…’と考えるのではなくて“阿弥陀さまのおはたらきやねんなぁ”と安心させていただくのであります。
阿弥陀さまの〔お前さん必ず救いきってみせるから、私の名を称えながら生ききってくれよ〕という〈喚びかけ〉に〔ああそうやってんなぁ、お念仏申させていただきながら生ききらせてもらうねんなぁ〕と〈気づかせ〉ていただくのであります。さて、そのお念仏にはもう一つ〈許し〉と〈うなずき〉という事があるのかなと この頃味わわせていただいております。それは、こんなことです、
これは梯實圓和上からお聞きしたお話しであります。
『私は母親ことを子どもの頃「おかあちゃん」とよんでいました。何かあったら「おかあちゃん」「おかあちゃん」というてました。
しかしこれね、よく考えると私が母親のことを「おかあちゃん」と呼ぶというのは母親がそう言いながら私を育ててくれた言葉だったんでしょうね。
私が産まれて、それこそ何にも分からんうちから‘よし、よし、おかあちゃんやで’‘はい、はい、おかあちゃんが来たで’‘よっしゃ、よっしゃ、おかあちゃんがやったげるで’いうて大きくしてくれたんでしょうね。
ですから、私は今でも母親のことを色々思い出す時には〈おかあちゃんこんなんやったなぁ〉いうて‘おかあちゃん’という言葉で思い出します。
これはやっぱり〈おかあちゃん〉ですね、決して〈ママ〉ではありませんね、〈お母様〉でもないわ。〈ママ〉という響きで私は母親のことを思い出せません。どうしても〈おかあちゃん〉ですね。〈おかあちゃん〉という響きで私は母親の色々なことを思い出すんですね。
で、私は母親のことを〈おかあちゃん〉と呼んでましたけど、私が〈おかあちゃん〉いうと母親は〈なんや〉言うて返事しくれてました。これもね、ちょっと考えてください。誰にでも彼にでも〈おかあちゃん〉言うていわれへんでしょ。
全然知らん人に向かって急に〈おかあちゃん!〉いうたらびっくりされるでしょ。どないかしたら怒られるかもわからん。
これね、私が〈おかあちゃん〉いうて〈なんや〉いうて言うてくれる私の母親は、私が〈おかあちゃん〉と呼ぶことを許してくれていということなんですね。親だからでしょうな…』
私が「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申しているということは阿弥陀さまが私を〈なんまんだぶ〉やで、〈なんまんだぶ〉の親が支えてるねんでと私が阿弥陀さまのことなど何にも知らないうちから育て続けてくださり、支え続けてくださり、お念仏申すことの出来る身にお育てをくださった賜であります。それはまた私が阿弥陀さまから阿弥陀さまを「なんまんだぶ」と呼ぶことを許されているということでもありましょう。
私が、私の口で、私の声で、申すお念仏に違いはありませんが、そのお念仏は“阿弥陀さまが私を途切れることなく願い続け支え続けてくださっているおはたらきのあらわれやねんなぁ”そのお育てによって“私は阿弥陀さまに〈なんまんだぶ〉とよぶことを許されてるねんなぁ”と〈うなづかせて〉いただく心をひらいてくださるのであります。
合 掌
世間解 第337号 平成28年 3月
念仏もうさるべし - なもあみだぶつは力です ー
今月末にはもう「う〜、寒いなぁ〜」ということもないでしょう。三月であります。有縁みなさま方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。
お念仏には“力”があります。阿弥陀さまのご本願のお力であります。ご往生くださった方々の阿弥陀さまと共に「お前さん必ず支えてるよ」と途切れることなく私を願い続け支え続けてくださっておる“力”であります。
『まぁなんだな、君たちもこれから学問をしていって色んな事思うだろうけど、先ずはお念仏する事だな。自力だとか他力だとか色々な事をいう人がおるかも知らんけど、お念仏させていただくことですよ。こんなんしたら自力とチャウかなんかいらんこと思わんとお念仏する事だな。そうしたらね、そのご相続しているお念仏が自分自身を育ててくださるんですよ…』
三十年前に行信教校に入れていただいて暫くして講義の中で梯和上がこのようなことをおっしゃってくださいました。
『‘お念仏の意味やお心が分かって〈なるほど〉と思たらお念仏します。’なんか言う方がおられますけど、これはあきません。お心が分かってお念仏するんじゃないんです。反対です。お念仏ご相続させていただいていたらお念仏のお心、阿弥陀さまのお心が味わえるようになってくるんですわ』
これはご往生になられる数年前に梯實圓和上からお聞きしたお言葉でありました。どちらのお言葉も“お念仏”つまり“なんまんだぶ”と私が称えてゆく“お念仏”には私をお育てくださる“力”があってくださるのだと言うことをおっしゃってくださっておるお言葉であります。
阿弥陀さまのご本願のおはたらきは、私の上から ただ苦しいことや悲しいことを無くしてやろう、願いを叶えてやろうなどという気ままなおはたらきではありません。私の上に何がやってきてもその私の“いのち”を根底から支え育て続けてくださっているおはたらきであり、その何よりものあらわれが私の‘なんまんだぶ’というお念仏さまなのであります。
『…親鸞聖人のお味わいくださった阿弥陀さまのご法義、お救いに遇い得た所詮は〈どんな悲しみ〉や〈どんな苦しみ〉が私の上にやってきてもその〈苦しみ〉や〈悲しみ〉に押しつぶされることのないこころの強さと、その〈苦しみ〉や〈悲しみ〉の中にでも阿弥陀さまのお心を味わわせていただく事の出来るようなこころの豊かさをお育ていただいた…ということじゃないかなぁ…』
梯實圓和上から十年ほど前にお聞かせをいただいたお言葉であります。
この頃、よく思い返すのであります。色んな出来事(これは私自身だけではなく)にあったり聞いたりするたびに「えらいことやなぁ」という思いを持つことがあり、また場合によっては「どうしてあげることもでけへんなぁ」という自身の無力さを痛感することもあります。〈苦しみ〉や〈悲しみ〉が突然であったり、予想もしなかったりすることであればあるほど、その〈苦しみ〉や〈悲しみ〉は大きくおもく私の上にのしかかってきます。阿弥陀さまのご本願のお救いは、その〈苦しみ〉や〈悲しみ〉を押しのけてお念仏せよ!などという恐ろしげな教えではありません。
“縁の中では何がやってくるか分からない”この娑婆に“いのち”めぐまれた私たちであるからこそ“何がやってきても大丈夫”な阿弥陀さまのご本願があってくださるといただくのであります。辛いことや悲しいことはやってこないに越したことはありません。
しかし、残念ながら縁の中では何がやってくるのか全く分からないのであります。もちろん楽しいことや嬉しい事もあります。色んな出来事に包まれて私の“いのち”はあります。その中で色んなめに遇い色んな思いを持ってゆかねばならない私を阿弥陀さまやご往生くださった方々は決して途切れることなく願い続け支えつつけてくださっているのであります。
私にとって良いことも悪いことも嬉しい事も悲しいことも全て包んで支えてくださる。そして私の“いのち”の意味と方向をはっきりと知らせてくださる。
それが阿弥陀さまのご本願のおはたらきであり、お念仏の“力”でしょう。合掌
世間解 第338号 平成28年 4月
念仏もうさるべし - 願われているんです ー
4月であります。春であります。新しい出会いや別れや、色々と新しいことが始まる時であります。
私を取り巻く環境は都度都度に変わってゆきますが、決して変わらない阿弥陀さまのご本願のおはたらきを思うことであります。
何時もお聞かせをいただくことでありますが、阿弥陀さまのご本願のおはたらき、阿弥陀さまの「お前さん必ず支えてるよ」というお救いのおはたらきは、私の何かとの引き替えではありません。
“ご本願”という言葉を改めてもう一度味わわせていただきたいと思います。
“本願”読んで字の如く“願い”であります。“ご本願”をおたてくださった方、
“願い”を発してくださっているのは阿弥陀さまであります。
このところをハッキリといただいておかねばならないと思います。
宗教的な情操といいますか、お仏事といいますか、如来さまと私の関係といいますか、そういったことを考えます時に多くの場合、いやほとんどの場合、
〈私が仏さまに何かをお願いする〉
〈私の為したことの引き替えに何かが与えられる〉あるいは〈悪いこと、恐ろしいことが起こらないように何かをする。〉
というふうに考えがちであります。
親鸞聖人がご確認をくださった阿弥陀さまのご本願のおはたらきはそうではありませんでした。
“私は阿弥陀さまに何かをお願いする者”ではなくて“阿弥陀さまから願われている者”“阿弥陀さまから願い続けられている者”であったということでした。
“願い続けられている”ということを思っていただきたいと思います。
そしてこれも何時もお聞かせをいただくことであります。阿弥陀さまの“ご本願”願いというのは只単に「あ〜、こないなってくれたらエエのになぁ」などという呑気なものではありませんでした。その願いには“力”があってくださるのであります。“こんなふうにしてみせる”という力であります。具体的にお聞かせいただきますと。
「お前さん、必ず私の浄土に生まれて私と同じ覚りの身になることが出来るんだとおもいとって、それまでの日暮らしはお念仏を申して生ききってくれよ」
という阿弥陀さまの願いは
「私は必ずお前さんを私の浄土に生まれさせて私と同じ覚りの身にしてみせるよ。それまでの日暮らしはお念仏を申す身に育てあげてして安心して生ききることが出来るようにするよ」
というおはたらき“力”となってくださったおるのであります。
そういう阿弥陀さまの“力”が“私を念仏する身に育てあげ、お念仏申してみようというこころを育て、お念仏させてくださってあったんやなぁ”と
〈気づき〉〈うなずかせて〉くださっているのであります。
私がお念仏したから、お勤めしたから阿弥陀さまが私に何かをしてくださるのではありません。
阿弥陀さまがご往生くださった方々と共に途切れることなく私を願い続け支え続けてくださっているご本願の“力”が
“私を念仏する身に育てあげ、お念仏申してみようというこころを育て、お念仏させてくださってあったんやなぁ”と〈気づき〉〈うなずかせて〉くださっているのであります。
親鸞聖人がご確認くださった阿弥陀さまのご法義の中では願いの主体は私ではありません。
私が願いの主体だと考えるから、「これでいいだろうか?」という心配がついて回るのであります。決してなんでも構へんねんというのではありません。一生懸命させていただくことはさせていただかねばなりません。
これも何時もお聞かせをいただきますが、阿弥陀さまのご法義に遇いお念仏申す身になったからといって私の上から苦しみや悲しみがなくなるわけでも悩みが劇的に解決するわけでもありません。
縁の中では色んなめにあい、色んな思いを持ち、悩みを持ち続けなければならないけれども、そのどんな状況の私の上にも阿弥陀さまの「お前さん、必ず支えてるよ」というご本願は“力”となって私を支え続けてくださっておるのであります。
楽しい時は楽しいまま、辛い時は辛いまま称える“なんまんだぶ”という私のお念仏の中にそういう阿弥陀さまのお心を聞かせていただくのであります。
合 掌
世間解 第339号 平成28年 5月
念仏もうさるべし - 回路 ー
五月になりました。初夏であります。有縁みなさま方には阿弥陀さまのお育ての中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と存じます。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」というお念仏は、阿弥陀さまのご本願のおはたらきは私を色々な形でお育てくださいます。
『今、その状態で何か慶べることはないか?』
最近こんなお言葉をお聞かせいただいたのであります。
四月二十七日に大阪の津村別院で梯和上にご縁のある方が集まって和上の三回忌追悼法要がお勤まりくださいました。その中で天岸浄圓先生が梯和上をお偲びいただきながらこんなご法話をお聞かせくださいました。
「…私は和上から色んなお話しをお聞かせいただきました。これは中之島の佛教講演会の時だったと思うんですが、ご存じの方もたくさんおられると思いますが、和上のお話は“先生その場におられたんですか?”と聞き返したくなるような、臨場感あふれると言いますか、その方と同じ気持ち、全くひとつに融け合っておられるといいますかそんなお話でしたね。まあそんななかで妙好人のお一人、因幡の源左さんのお話をしてくださいました。田圃の世話をしに行った帰りに夕立に打たれてずぶ濡れになるという有名なあの話です。
ずぶぬれになりながらの帰り道にお手次の願生寺のご住職に「じいさん、よう濡れたのう」と声をかけられて「ご院下さん鼻が下向きについとるでありがとうござんす」とおっしゃったというあの話です。
一通りの話をされて和上は
“源左さんずーっとそない思て歩いてはったやろうか”
というようなことをおっしゃいました。
もしかしたら〈家の者はワシが何処に何をしに行ってるか知っとるはずやのに〉という思いで歩いておられたかもわからんでしょ?”とおっしゃるんです。
おわかりいただけます、家におる者は私が田圃の世話に行ってるというのは知ってるはずや、急に雨が降ってきて‘おじいちゃん田圃に行ってるなぁ笠もって迎えに行ったげなあかんなぁ’…という風にはならんか!という気持ちでおられたかもしれませんねとおっしゃるわけです。
そんな気持ちでおられた時に願生寺のご住職に声をかけられて「ほんまですわ。ご院さんこんなに降ってんのに家の者は一人も迎えにも来ません、おかげでずぶぬれです」と言わずに「鼻が下向きについとるでありがとうござんす」という言葉が出てきた。
和上はね“源左さんにそう言わすおはたらきが、回路がつながってたんでないですか”とおっしゃいました。
“源左、おまえ今このずぶぬれのままで慶べることはないか?
と源左さんに問いかける回路があったんでしょうね。
そこで源左さんは〈ああ、鼻が下向きについていてくださる〉ということに改めて気づかれたんじゃないかな”とおっしゃった事を思い出します。
その回路がお念仏のおそだてなんですね。…」
こんなようなお話しでした。
私もその講演会の場にはおらせていただいたかと思うのですが、
和上のこのお言葉はすっかり記憶の中から消え去っていました。
「雨降ってんの分かってんのにから誰も迎えに来やがれへん」恐らく同じ状況になれば私ならずーっとそう思い続けているでしょう。
一週間ぐらい思い続けて、知らん間に忘れて、なんかの拍子にまた思い出して…という繰り返しでしょう。
腹立ちが苦を生み苦を育てるのであります。
しかし、その自ら作り出す苦から解放してくださるおはたらきが、回路があってくださっているのでありましょう。
“おまえ、今の状況で慶べることは何や”
私の上から苦しみや悲しみや辛いことは決して無くならないけれどもどんな状況の私の上にも途切れることなく願い続け支え続けてくださっているおはたらきが、お念仏となって私の口に、耳に届いてくださっておるのであります。
私にも“おまえ、今慶べることは何や”という回路はつながってくださっているはずなのですが、なかなかその回路に反応することは出来ません。
しかし、和上の三回忌のご縁にこのお言葉をお聞かせいただいたことは大きなお育てにあったことであると思います。
大変有難くお聞かせをいただいたのであります。 合 掌
世間解 第340号 平成28年 6月
念仏もうさるべし - いつでもおってくださるー
六月になりました。お正月やなぁ〜というてからもう半年が経とうといたしております。皆さまにはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と思います。
我々はめぐまれてある“いのち”の中で色々な事柄にあい、色んな思いを持っていかねばなりません。娑婆のご縁はその中で色々考え、色々工夫をして出来るだけ穏やかに過ごしていけるようにしなければなりません。
その娑婆の日暮らしを支える何よりもの要が“お念仏”であります。
度々、重ね重ねお聞かせをいただくことでありますが、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」と私の口から出て私の耳に、心に届いてくださるお念仏はそのまま阿弥陀さまの、ご往生くださった方の〈お前さん、間違いなしに支えてるから一生懸命娑婆の“いのち”を生ききってくれよ、何時も一緒に居るよ〉という喚びかけであります。
浄土真宗では江戸時代の後半からこちらにかけて、ご法義を大変慶ばれた在家の方を妙好人(妙なる好ましい、白い蓮の花のようなお方)という呼び方で尊敬して呼んでまいりました。その妙好人のお一人に、庄松さんという明治の初めにご往生になられたお方が居られました。
讃岐の庄松さんとして有名なお方であります。庄松さんはその当時のほとんどの方がそうであったように成人後も文字はほとんど読み書きできなかったお方であったといわれております。
しかし、お寺参りを続けられる中でまさに阿弥陀さまに育てあげられた…というような大変有難いお方でありました。色んな方から慕われる庄松さんをみてある方が少しねたましく思われたことがあったようです。焼き餅であります。
その方がお同行が集まっている中、庄松さんを呼んで「庄松さんアンタお経が読めるか」と聞くんです。字ぃを読めないのを知って聞くわけです。
すると庄松さん。「おお、読めるわい」とお答えになる。
そしたらこれを読んでみぃとお経さまを庄松さんに突き出す。
庄松さんはそれを受け取けとられて、恭しく頂かれるとお経さまを開いて
「庄松を救くる、庄松を救くる、庄松を救くる、庄松を救くる、庄松を救くる、庄松を救くる…」とお読みになられたという話が伝わっています。
私がお勤めをし、お念仏をご相続させていただくということは阿弥陀さまの、ご往生くださった方の何時でも何処でも途切れることなく私を支え喚び続けてくださっている「お前さん必ず支えてるよ」というお喚び声を聞かせていただくことであったのです。
‘150年前の人がそんなこと仰った’という ただの物語ではなく今の私自身のこととしてお味わいいただく事です。
庄松さんはご自身が庄松さんですから「庄松を救くる、庄松を救くる…」で結構なんですが、私たちはこの庄松さんのお言葉をお借りして、“庄松”というところにご自分のお名前を入れて味わわせていただくのであります。
私なら自分のお念仏の声を、お勤めの声を阿弥陀さまや、父や母やお育ていただいた先生方の声で「親行を救くる、親行を救くる、親行を救くる、親行を救くる、親行を救くる、親行を救くる…」と仰ってくださってんねんなぁといただくのであります。
八月が来ますと関西ではお盆、正確には盂蘭盆会というお仏事が勤まります。
〈お盆はご先祖さまが帰ってきはる日〉と考えられていますが、浄土真宗ではことさらに“このお盆の時期にお勤めを!”ということを申しません。
なぜなら先立たれた方はお亡くなりになって私がお弔いをしなければならない方ではなく、阿弥陀さまとご一緒に何時でも何処でも途切れることなく私を願い続け支え続けてくださっている“ご往生くださった方”と仰いでゆくからであります。
しかし、佛教が先達が心を込めて守り伝えてきた大切なお仏事‘盂蘭盆会’。
何時も一緒に居ってくださってんねんけど、改めて先立たれた方のお徳を偲びながら、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」お念仏をご相続して「ああ、お前さんささえてるからなぁ」いうて何時でも一緒に居ってくださってんねんなぁといただくのであります。 合 掌
世間解 第341号 平成28年 7月
念仏もうさるべし - ひきかえでないねんなあー
7月、いよいよ暑さも本格的になってまいります。しかし、はや半年が過ぎてしまいました。色々な事にあっていかねばならないこの娑婆でありますが、みなさま方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏と共にお身体充分お大切にしていただきたいと思います。
六月の五日に例年の西法寺聖跡参拝で、ご縁の方と共に京都・嵯峨野の大覚寺さまにお参りをさせていただきました。
真言宗の名刹で、歴史と風格のあるお寺でした。弘法大師空海さまの流れを汲まれるお寺でありますので、あちこちに“真言”が書かれてありました。
〈オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン〉
これ、〈光明真言〉といわれる、バサッといってしまえば大日如来さまの徳を讃えその加護を祈ろうとする一種の呪文であります。
ここで、真言宗のご法義をとやかくするつもりはありませんが、私は大覚寺さまにお参りさせていただいて改めて阿弥陀さまのご法義のお念仏のありがたさを味わわせていただいたのであります。
前の、〈光明真言〉これ覚えんといかんのです。これだけではありません各々の如来さまや、菩薩さまに個別の真言があります。全部覚えんといかんのです。読んでても読み間違うたらいかんのです。効き目ありません…。これ、私が言うて、如来さまに聞いてもろて、そしてそれがかなえば御利益が恵まれるという引き替えの構造であります。尊いことではあるかもしれませんが、やっぱりそれなりの能力のある人にしか進める道ではありません。
行信教校をおつくりくださった利井鮮妙和上さまに、こんなお話しが伝わっています。
あるお寺で研修会のようなご法座があった。ご法座が済んで、
ご聴聞にこられてたお寺さんと和上で座談会になった。
和上が、「南無阿弥陀仏というお念仏は易行(誰でも称えることの出来る行い)といわれるが、何故じゃろうの?」とお尋ねになられた。
一人のお寺さんが、「そりゃ、和上さま“南無阿弥陀仏”というだけなら誰でも出来ます。それに加えて長いお経さまを読んだり、長い間修行をしたり、冬に滝に打たれたりなどという難行・苦行に比べたらそれは易行でございます。」とお答えになった。
すると鮮妙和上が、「確かに浄土三部経さまを全部ご拝読する、などということに比べたら“南無阿弥陀仏”と申すことは易かろう。しかしそれなら、
“南無阿弥陀仏”と申すより“あ”いうて申す方が易いのでないか?」と問い返された。
一同が「なるほど、仰るとおりでございますなぁ。ん〜」とうなっていると和上が、
「“南無阿弥陀仏”が易行であるというのはただ難しい、易いということではない。それは他力、阿弥陀さまのおはたらきじゃからぞ。」と仰ったそうであります。
親鸞聖人がご確認くださった阿弥陀さまの“なんまんだぶ”というお念仏さまは、確かに私が私の口で私の声で、私が称えようと思って称えるのでありますが、私にお念仏させてくださった阿弥陀さまのおはたらきがあってくださるんだったといただくのであります。
長い・短い 難しい・簡単 覚えやすい・覚えにくい、などという比べ方で他の行より易行といただくのではないのであります。
お念仏は阿弥陀さまのおはたらきのあらわれであった。私が考えて、覚えて、掴んで、確認して阿弥陀さまにお聞かせする、ご往生くださった方にお聞かせするモノではなかったのであります。
阿弥陀さまや、ご往生くださった方が何時でも、何処でも、途切れることなく私を願い、支え、育ててくださっている願いの力が私を包んで私にお念仏させてくださってるんやなぁといただくのであります。
“なんまんだぶ”でも“なもあみだぶつ”でも“まんまんちゃんあん”でも構いません。お念仏さまは阿弥陀さまの、ご往生くださった方の私を包むおはたらきのあらわれなのであります。そこのところを来月にもう少し…。 合 掌
世間解 第342号 平成28年 8月
念仏もうさるべし │ ーつながってあるんやなぁー
八月、真夏であります。まだまだ暑さが続きます。みなさま方には熱中症などに充分にご注意いただきながら、お過ごしいただきたいと思います。
〈これくらいは大丈夫や…〉〈まだ、辛抱できる…〉などと決して無理をされないことであります。早め、早めに水分補給と、涼しいところでの休憩を心がけてください。
さて、暑さの中ではありますが、私の口から出てくださるお念仏さまについて先月の続きをあらためてお聞かせをいただくのであります。
親鸞聖人がご確認くださり、お味わいくださりお説き残しをくださった阿弥陀さまのお救いのおはたらき、浄土真宗のご法義は
“お念仏”さまを私が唱えて、阿弥陀さまや先立たれた方に〈お届けをする〉〈聞いてもらう〉そしてどうかするとその引き替えに何か御利益を恵まれる…、などというものではありませんでした。
私がお念仏を称えさせていただいているという事実のズーッと前から、
私の“いのち”を願い続け支え続けてくださっている阿弥陀さまのおはたらきがあってくださってそのおはたらきによって私が今「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏させていただいているんだと味わわせていただくのであります。
もっと言えば、親鸞聖人のお味わいからすれば、私が今称え、私の口から出て、私の耳に届き、私の心を育ててくださっている
“なんまんだぶ”は
“阿弥陀さまのおはたらきであった”といただくのであります。
親鸞聖人はそれを〈本願招喚の勅命〉とおっしゃるのであります。
阿弥陀さまの「お前さん必ず私の浄土に生まれて帰ってくるんやで、そして私と同じ覚りの身になってあらゆる“いのち”を尊いモノとして願い支え続けるはたらきをするんやで、ほんでな、それまでの日暮らしは色んな事柄がやってきて色んな思いを持っていかんならんけどもお念仏を称えながら生ききってくるんやで」という、一言でもうせば“必ず救う、我にまかせよ”というお喚び声であるといただくのであります。
私が称えてから何かが始まるのではありません。
私にお念仏を称えさせてくださった、私を念仏する者に育てあげてくださった、そのおはたらきが私のお念仏より先に届いてくださっているのでありますから引き替えではないんです。私が覚えてるとか、間違わんと言えたとか、そんな事ではなかったのであります。
われ称え われ聞くなれど なもあみだ 連れて行くぞの 親の喚び声
原口針水という和上さまのお歌であります。
私の“お念仏”さまと阿弥陀さまの“必ず救う、我にまかせよ”というご本願のお心はつながってあるのであります。
「お念仏をね、阿弥陀さまのおはたらきだといただく事。お念仏称えたらお念仏が聞こえるでしょうが、そのお念仏を〈阿弥陀さまのおはたらきなんやなぁ〉といただく事です。そういただいた人は阿弥陀さまと一緒の日暮らしや、阿弥陀さまのまします日々を送ることが出来ます。私が称えて何とかせなならんと思てる人は阿弥陀さまと別々の日暮らしやろな…。どっちにします?」
梯 實圓和上の最晩年のお言葉を思い出すのであります。
私が“お念仏”したから阿弥陀さまやご往生くださった方々とつながるのではありません。阿弥陀さまやご往生くださった方々が何時でも何処でも途切れること無く私を願い続け支えつつけてくださっている。私とつながってくださっているからわたしは“お念仏”申すことが出来ておるのであります。
お盆の月のご法縁、改めてご自身の「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」という
“お念仏”さまの声を、
「お前さん色んな事がやってきて、色んな思いを持っていかんならんけど必ず支えてるねんからな」
という阿弥陀さまのご往生くださった方々のお声であるとご一緒にお味わせていいただきたいと思うのであります。 合 掌
世間解 第343号 平成28年 9月
念仏もうさるべし │ ーつつまれてあるねんなあー
九月。まだ、暫く残暑が続くかもしれませんが、ようやく暑さも一段落した感じがいたします。今年は「う〜、なついあつや!」と言ってしまっても気づかないのではないかと思うくらい暑い夏でありました。
皆さまにはそんな中、ご本願のおはたらきのお念仏と共にお過ごしくださったことと存じます。
毎月、毎回同じ事をお聞かせいただくのであります。「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏をご相続させていただくことであります。
阿弥陀さまが私を抱きかかえてお育てくださる。そういうおはたらきを私の日暮らしの全体に広げてお味わいくださったのが本願寺第八代の蓮如上人でした。
一 前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に 身をばまるめたることなりと仰せられ候ふと[云々]。いよいよ冥加を存ずべき のよしに候ふ。
一 丹後法眼 [蓮応] 衣装ととのへられ、前々住上人の御前に伺候候ひし 時、仰せられ候ふ。衣のえりを御たたきありて、南無阿弥陀仏よと仰せられ 候ふ。また前住上人(実如)は御たたみをたたかれ、南無阿弥陀仏にもたれた るよし仰せられ候ひき。南無阿弥陀仏に身をばまるめたると仰せられ候ふと符 合申し候ふ。
これは蓮如上人さまのおっしゃった事やなさったこと、蓮如上人のお子様や
お弟子の方々の行実を集めた『蓮如上人御一代記聞書』というお書物の一節であります。現代語訳をさせていただくと、
一、蓮如上人は、「弥陀を信じておまかせする人は、南無阿弥陀仏にその身を包 まれているのである」とおおせになりました。目に見えない阿弥陀さまのおはた らきをますますありがたく思はねばならないということです。
一、丹後法眼蓮応が正装して、蓮如上人のもとへおうかがいしたとき、上人は 蓮応の衣の襟をたたいて、「南無阿弥陀仏だぞ」と仰せになりました。また 実如上人は、座っておられる畳をたたいて、「南無阿弥陀仏にささえられて いるのである」と仰せになりました。この二つの仰せは、前条の 「南無阿弥陀仏にその身を包まれている」と示されたお言葉と一致しています。
“私がお念仏したくらいで何になりますねんなぁ”とお思いにならんことです。
また、“一生懸命お念仏せんなりませんねんなぁ”ともお思いにならんことであります。
私の口から出てくださり私の耳に届いてくださる「なんまんだぶ」というお念仏は阿弥陀さまの“お前さん必ず支えてるからな、色んな事にあい、色んな思いを持って日暮らしをせんならんけど必ず支えてるからお念仏称えながら、お念仏聞きながら生ききってきてくれよ”という阿弥陀さまのおはたらきのあらわれであったといただくのであります。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏させていただいてあるということは“阿弥陀さまと一緒の日暮らし”なんだということであります。
私が阿弥陀さまを探すのではない、私が阿弥陀さまを掴むのでもない。
阿弥陀さまが私の所へ来て私を包んでくださっているんだと、そのおはたらきが私の口からは「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とでてくださっているんだと安心させていただくのであります。
梯實圓和上は
「一生懸命なって掴まんとアカン言うか知らんけど、一生懸命掴むということは離れてるからでしょ、離れてると思てるから掴むんですわな。そうと違うんです。私が阿弥陀さまを掴むんじゃなくて阿弥陀さまが私を抱きかかえてくださっている。だから私は気張る必要がないということなんですよ。」と仰っていました。
南無阿弥陀仏というおはたらきは暑い時も、寒い時も、何ともない時も、私を包み支え育て続けてくださっておるのであります。私がお念仏したから包んでくださるのではありません。包まれてあるから私はお念仏出来ておるのであります。 合掌
世間解 第344号 平成28年 10月
念仏もうさるべし │ ー報 恩ー
十月になりました。秋であります。大阪あたりでは各地の浄土真宗のお寺さまで“報恩講さま”がお勤まりになります。
報恩講というご法要は、親鸞聖人のひ孫でおられる本願寺の第三代・覚如上人とおっしゃる方が親鸞聖人の三十三回忌にあたって『報恩講私記』というお書物をお書きくださり、親鸞聖人のご遺徳を讃えてくださったことに始まります。
それ以前にも親鸞聖人のご命日には毎年お祥月のご法事・ご法要がお勤まりでありましたが、特別な言い方はなく覚如上人のお書物以来、親鸞聖人のご命日のお勤めに限って“報恩講”と申しあげるようになったのであります。
西本願寺では毎年一月九日〜十六日までの一週間。お東さんでは十一月の二十一日から二十八日までの一週間、“報恩講さま”がお勤まりくださいます。
くり返しますが、報恩講さまは親鸞聖人のご命日のお勤めで、浄土真宗にご縁をいただいた私たちが、色々大切なお仏事があるけれどもそんな中でも特に大事をかけてお勤めさせていただきましょうというのが報恩講さまでありました。
お書物で確認できる親鸞聖人のご命日は十一月の二十八日であります。これは旧暦でございまして、この旧暦の十一月二十八日を今の暦に当てはめますと
一月十六日になるというので、浄土真宗本願寺派(西本願寺)では、親鸞聖人のご命日を一月十六日と定めてその日がご満座(最終日)になるように一週間、つまり一月九日からお勤まりくださるのであります。
各地の寺院ではご本山の報恩講さまの期間を繰り越してお勤めをさせていただきますので、“お取り越し報恩講”と申しあげたりいたすのであります。
西法寺でも例年十月に、今年は十月の十六日、十七日と二日間にわたってお勤めをさせていただきます。どうぞご縁をおつくりいただいて、西法寺にお参りいただきたいことと思います。
この『世間解』をご覧いただいて「もう済んでしもてるがな〜」とお思いの方はご心配なく。毎月十三日の定例法要や来年四月にはまた二日間にわたって“永代経さま”のご縁があります。
どうぞご縁をおつくりいただいて、西法寺にお参りいただきたいことと思います。
「連れがないからなぁ〜」とおっしゃる方もおありでしょうが、お越しいただいたら必ずお連れが出来ます。
『仏説無量寿経』に「独生独死独去独来」、
人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。
というお言葉があります。
『お経さま』のお言葉でありますから、お釈迦さまのもっと言えば阿弥陀さまのお言葉としてお聞かせいただかねばなりません。
『娑婆に“いのち”恵まれている私は自分中心の考え方に支配されているから〈エエの悪いの、好きの嫌いの、通るの通らんの…〉とそんな事ばかりに気を取られて、世間の色々な事に取り紛れて本当に聞かねばならないことを聞かずに最後は孤独の内に“いのち”終わってゆかねばならない。何も知らずにたった一人でこの娑婆に生まれてきたように…』という意味のお言葉であります。
きついお言葉でありますが、真実のお言葉であります。自分の執着に纏わられているならこうならざるを得ないのであります。
そんな私を“放っておくことが出来ない、決して孤独では終わらせない”と阿弥陀さまは“お前さん必ず支えてるから、お念仏申しながら生ききってくれよ”とご本願をおたてくださり、その通りにおはたらき続けてくださっているのであります。そんな阿弥陀さまのお心、それをお伝えくださった親鸞聖人のお心にふれさせていただくのが寺のご法座であります。
「そんなんいうたかて、身体悪うてお寺まで行けませんわ…」ご心配なさるな。来られんかったら、来られんでもかまいません。そんな私のために“阿弥陀さまの方から私の所へ来てくださってる”それが「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」というお念仏さまであります。
お念仏ご相続させていただき、お念仏お聞きいただくことです。
「ああ、阿弥陀さまこないして私をお育てくださってんねんなぁ」と、いただいたものをそのまま慶ぶ。利井明弘先生は“報恩ちゅうのはそれや”と仰ってました。 合 掌
世間解 第345号 平成28年 11月
念仏もうさるべし │ ー心 意 気でありますー
どんなときでもご本願のおはたらきの中にお念仏ご相続のことと存じます。
どうやら夏が終わったなぁと思ったら、十一月であります。これからは急に朝晩がひんやりしてまいりますので、有縁皆さまには充分にお大切になさっていただきたいと思います。
親鸞聖人がご確認くださり、お味わいくださり、お説き残しをくださった〈浄土真宗〉阿弥陀さまのご本願の救いのおはたらきは、
“阿弥陀さまのご本願のおはたらきによってお念仏ご相続させていただく”ということに尽きると申してよいでしょう。これは何も必ず“声に出なければいけない”というものではありません。“なもあみだぶつ”という言葉として阿弥陀さまの願いのこもったお徳をいただくのであります。
お念仏は、私が称えようと思って、私の口から、私の声で出て、私の耳に、私の心に響いてくださるものであります。が、そのお念仏の中に、
私に称えようと思わせて、私の口から、私の声となって出てくださって、私の耳に、私の心に響かせてくださっているおはたらきがあってくださるんだといただいてください。
お念仏は、私が称えてこれから私の上にええ事が起こるとか、悪いことが起こらんとか…、そういう安直なおまじないのようなものではありません。
また、私が称えたことが値打ちとなって、つまり、どない思て称えたとか、どんな格好で称えたとか、何回称えたとか、どんな声の大きさで称えたとか…、そんなことの功績として阿弥陀さまの救いのおはたらきに与るのでもありません。
引き換えではないのであります。
“お念仏”は近所の優しいおじちゃんやおばちゃんに「僕、これあげよ。これ持って行ったらなあのお店でアメちゃんと換えてくれるで」いうてもらう引換券のようなモノでは無いのであります。
私が称えてドナイかするとか、ドナイかなるというものであればそれは〈因〉原因の因であります。〈因〉であれば必ず果が開くとは限りません。リンゴの木があるからといいって必ずリンゴが収穫できるとは限らないのであります。
“お念仏”は“結果”であります。
阿弥陀さまが“お前さんを必ず覚りの身としてみせることが出来るようになったよ”というそのお徳の全てが、“なもあみだぶつ”となって私に届き私に“なんまんだぶ”とお念仏させてくださっておるおはたらきのあらわれであります。
まことにもつて人間は出づる息は入るをまたぬならひなり。あひかまへて
油断なく仏法をこころにいれて、信心決定すべきものなり。
蓮如上人の『御文章』に出てくるお言葉であります。
〈私の“いのち”は何時どういう形で臨終を迎えるのか分からないよ。しっかりと阿弥陀さまのご本願のお心をいただいて“必ずお浄土へ生まれさせていただいて覚りの身にならせていただくんだ”と安心させていただかねばならんよ。〉というお言葉でありましょう。
梯 實圓和上は
「死ぬ覚悟は出来なくても、“臨終の先はお浄土やな”という安心は持たせていただくことが出来るんですね。いや、是非ともそういう身にならせていただかなければなりません。」
とおっしゃっていました。
私の口から出てくださる“なんまんだぶ”がその証拠であるといただくことであります。
今年の報恩講さまにご出講くださった梯 信暁先生は
「私にはお浄土に生まれさせていただくことが約束されている。その安心の中で日暮らしをさせていただくのが浄土真宗にご縁をいただいた者の“心意気です”」とおっしゃってくださいました。
ご信心やとかご法義やとかゴチャゴチャと難しいこと言わんと、
私にはお浄土が、阿弥陀さまのお覚りが開かれている。
何がやってくるか知れない、どんなめに遭わねばならないか分からない所に“いのち”恵まれている私でありますが、そういう“心意気”を持たせていただく。いや、持たせていただくことが阿弥陀さまによって許されている有り難さを思ったのであります。
合 掌
世間解 第346号 平成28年 12月
念仏もうさるべし ーささえてくださってんねんなあー
歳の暮れになってしまいました。十二月であります。
今年も間違いなく三月も五月も十月もあったはずなのでありますが、そんなんあったかなぁ…という時の速さを感じます。
これは何時もお聞かせをいただきますが、「ほんまに速いなぁ〜」と言うことが出来るのはとても恵まれていることであろうと思います。苦しいことや悲しいことの最中には時は重くのしかかる感じがいたします。
しかし、どんな状況の私の上にも阿弥陀さまのご本願のおはたらきはかかってくださっていて、何時、何処で私が何をしておっても、起きていようが、寝ていようが、私が阿弥陀さまのことなど全く思いもしないときでも阿弥陀さまのご本願のおはたらきは私を願い続け、支え続け、育て続けてくださっておるのであります。そして、それは先立たれた方の今のおはたらきでもあります。
坊守が書かせていただいております『月刊 こなっちゃん』に少し前、過去帳の話題がございました。お参りのおりに何度かそのことをお尋ねいただきましたので、改めてお聞かせをいただこうと思います。
よく、「過去帳にはその家の人間しか載せたらいけませんでしょ?」「一軒に過去帳が二つあったらあきませんか?」というようなご質問をお受けすることがあります。私は、「過去帳には何方をご記入いただいても、何冊あっても構いませんよ」とお答えをいたします。
行信教校の利井明弘先生からこんなお話をお聞きしたことがあるからです。
『…うちのお同行でね、大家の御りょんさんみたいな人いてはってん。ほんで、その息子さんが大学の先生やねん、それも社会学 の…。面白いね、家は大地主やけど息子は社会主義やねん。
その息子さんがね「ご院さん、うちの母親ほど寂しい人はおりませんわ」いうとってん。「たまには温泉でも行こか」いうても「私は 留守番してるさかいあんたら家族だけで行っといで」いうてね、近所に友達もおれへんし、息子とは話し合わんしでね。もう家から 出はれへんねんて。
で、その御りょんさんがご往生になったんよ。
しばらくして息子さんがね、お仏壇の前座って“ああ、おばあち ゃん何時もここでお勤めしてたなぁ”思てね
フッと経机の引き出し 開けてんて、
そしたらね過去帳入っててんて。もう三百年くらい続いてるんやろ、その家ね。
そしたらね、そのおかあさんが亡くなる前の日の所が開いてたて。
なくなる前の日までお勤めしてはったんやね。
ほんで思てんて。
“ああ、おばあちゃん毎日こないして過去帳めくってお勤めしては、
〈この人には世話になったなぁとか、この人はあんな人やったなぁとか、この人は私が来た時にもうもう居てはれへんかったけどど んな人やったんかなぁ〉とか思いながらお勤めしとったんでしょうなぁ”言うてね。
ほんで、そないして思たら“先だった色んな人と話して、母親が一番賑やかやったかもしれませんなぁ”いうてね、この頃寺に参っ てくるようになったよその先生…』
過去帳は“ズーッと同じとこ開けとかんとアカン”とか“勝手に触ったらアカン”とかいう恐ろしげなものではありません。
過去帳は大切なものでありますが、その名の通り“帳面”であります。
ご縁の方を記録する帳面なのであります。日めくりと思っていただいて結構です。
多くの過去帳はパラパラと捲れる折り本のようになっています。
上に一日・二日…三一日まで日付のうってあるモノがあります。この場合はご命日の日付にご縁の方のご法名やお歳を書かせて いただくのであります。
毎日朝にお内仏さまにご挨拶させていただくときにその日の所を開けます。何にも書いてない場合もありましょうし、数人のお方 のお名前がある日もあるでしょう。しかし、ひと月、毎日めくってゆくと「ああ、今日はこの方のご命日やったなぁ」と私にご縁の あった方を一通りお偲びすることが出来るということです。
ですからご縁の有った方、お世話になった方をお載せいただければよいのです。
他所のご宗旨のお方であれば俗名(ご本名)をお載せいただければ結構です。
私はお育てをいただいた先生のお名前を載せさせていただいています。
時の流れは止まりませんが、どんなときでも私を支えてくださっている方々が阿弥陀さまと一緒におってくださってるんやなぁと、 過去帳はそれを教えてくださるのであります。 合 掌
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