世間解 第323号 平成27年 1月
念仏もうさるべし ーあたらしいとしにー
新年あけましておめでとうございます。本年も阿弥陀さまのお照らしの中、ご一緒にご聴聞重ねさせていただき、お互いお念仏に触れ育てられる日暮らしを送らせていただきたいものであると思っております。なにとぞよろしくお願い申しあげます。
と、ここまでは昨年お正月の『世間解』と全く同じ書き出しであります。色々なことがあり、色々な事にあいながらも、大きく変わらずにおらせていただいておることの有り難さを思うのであります。
阪神淡路大震災からは二十年がたちました。東北地方を襲った東日本大震災はついこの前…。
様々なことを思います。
昨年の大晦日に、ご葬儀のご縁がございました。三十日がお通夜、大晦日がご葬儀、そして還骨(お骨あげ)をお勤めさせていただいたのは夕方六時前でした。
葬儀会館から帰りますとき、出口の所に御安置室案内として、○○家 △△家 □□家と三軒のお家のお名前がありました。
「…ご遺族は今晩は御安置室におられて年を越されるんやなぁ…」と思いながら車に乗って帰りました…。
遠藤秀善という和上様がおられました。昭和三十三年にご往生になっておられますから、私はお写真でしかお目にかかったことはございませんが、山本仏骨和上や梯實圓和上のお師匠様でございました。父の前住職・清観も教校で五年ほどお育てをいただいたと申しておりました。
父からこんな話を聞いたことがあります。
「…、教校入って三年か四年してな、遠藤先生がはじめて年賀状くださってな。“遠藤先生が年賀状くださった!”思て裏見たんや、何が書いたあったと思う?…。
一言、〈今日も人の死ぬ日にて候〉 や。…。」
この話を父から聞いたのは私が行信教校に入れていただいてすぐのことでありましたから三十年ほど前のことになります。
その時はただ、‘ほ〜、なるほどね’位のことで全くそのお心が響いておらなかったかと思うのでありますが、先の、大晦日の御安置室案内を眼にしました時に「ほんまにそうやなぁ」と遠藤和上の父にくださったお言葉を思い出したのであります。
その時まで私は漠然と遠藤和上のお言葉を‘大晦日であるから’‘お正月であるから’〈絶対に人の“いのち”が終わることはない〉ということは決して言えないんだよ。と、そんな風にしか考えておらなかったのでありますが、しかしこれは、よその人を見ておっしゃったお言葉ではなかったのであります。
この私の“いのち”は何時であろうが、何処であろうが切れてゆかねばならない時がくれば“臨終”という形で終わってゆかねばならないのであります。〈今日も人の死ぬ日にて候〉これは人ごとではなかったなぁと改めてお知らせいただいたような気がいたしております。
何度もお聞かせをいただきました、『歎異抄』の、
なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、か の土へはまゐるべきなり
というご法語がいよいよ思い合わされます。私の“いのち”は“何時何処で力なく”終わってゆかねばならないか分からないのであります。逆に言えば、何時何処で終わっても全く不思議ではないのであります。
仏教では“無常”というのであります。私の“いのち”も含めて何時までも変わらずにズーッとあり続けるモノは一つも無いのであります。
何時何処でどうなるか分からない、どうなっても不思議ではない処に“いのち”恵まれている私であるからこそ
“何時でも何処でもどんな風になっても大丈夫だぞ”という阿弥陀さまのご本願があってくださらねばならなかったのであります。“無常”は、何も「わあ、全部変わってしまうんかぁ虚しいなぁ」という
マイナスの面だけではありません。
『なぁに、無常だからこそ花が咲くんでね、種が何時までも種のままなら花は咲かんでしょ。人間が成長するのも無常だからですよ』という梯和上のお言葉を思い出します。
私の“いのち”が縁の中で終わってゆくことは決して〈死〉ではなく〈往生〉やってんな、〈今日も人の死ぬ日にて候〉遠藤和上のお言葉は“無常の私に往生というおはたらきがあってくださってんねんで”とお教えくださってたんやなと、改めて今は有り難く思わせていただいておるのであります。 合 掌
世間解 第324号 平成27年 2月
念仏もうさるべし ーあたらしいとしにー
年が明け早一月が過ぎました。有縁皆さまには阿弥陀さまご照覧のもと「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。
先月の「月刊こなつちゃん」でもお読みいただいた事であろうかと思いますが、長男の徳行が昨年十二月十二日に浄土真宗本願寺派より寺院住職の資格であります〈教師〉を拝受いたしました。今年より正式に西法寺の副住職として
お同行さまにお世話になることであります。
…とは申しましても行信教校でお育てをいただいておる最中であり、学校の寮におりますものですから、さいさいにお目にかかることは叶いませんが、休みの折りなどにはお参りさせていただくことと思います。何卒よろしくお願い申しあげます。
さて、その行信教校のご講師で中西昌弘という先生がおられます。大阪の旭区、千林というスーパーダイエー(もうこの名前も消えてしまうかも知れませんが…)発祥の地にお寺のご住職先生です。
お土地柄…と申しあげて良いかどうか分かりませんが、コテコテの大阪弁をお使いになります。大変有り難い先生です。
この中西先生のお母様(つまり、お寺の前坊守さま)が一月の十八日に
ご往生になられたのであります。八十九歳というお年でいらっしゃいました。
お通夜のご縁にお参りさせていただきました。
お勤めの後で、中西先生がご挨拶をされました。ざっとこんなお話しです。
『…母は昨年の六月頃に急に体調を崩しました。入院をいたしまして、八月にはいよいよ今生のお別れか…、と家族が思うほど容体が悪くなりました。しかし、それを乗り越えまして少し小康を取り戻しましたが、もう家で看病をすることはかなわない状況になりましたので、介護の施設に入れていただきました。それからは、施設と病院の往復という状況がズーッと続きました。最後の方は食事も摂れなくなりまして体重も三十キロを切るという状態でした…。』
とってつけて申しますが、長男が生まれてからは“ばあさん”と呼んでおりました、今月三回忌を迎えさせていただく母も同じような状況でありました。
母(西法寺の前坊守)も最期の一週間ほどは食事が全く摂れず、点滴も入らず、一日にコップ半分ほどの水分を口にするのがやっとでした。それでも、臨終を迎える一日前まではなんやかんやと話をしていましたから、身体の芯の強い人だったんだろうと思います。
で、中西先生のお話は次のように続きました。
『…、母でありますので、病気になってからの事やら、それまでの事やら色んな事を思い出します。しかし、そんな中で思うことは、母は病気になってからよく
“お浄土へ参らせてもらうねんなぁ”と申しておりました。…』
“お浄土へ参らせてもらうねんなぁ”有り難いお言葉であります。
中西先生のお母様ご自身の中で、ご病気になり、身体のあちこちが思うようにならなくなり、色んな事がつらくなり…そんな中でのお言葉でありましょう。
“お浄土へ参らせてもらうねんなぁ”何の飾りも、気張りもないお言葉でありますが、ご自身の“いのち”の行く先をシカッと見定め安心されているお言葉であるなぁとお聞かせをいただいたのであります。
何時もお聞かせをいただくことでありますが、私の“いのち”の行き先は私が私の力で決めるのではありませんでした。阿弥陀さまのご本願がそう決めてくださっているといただくのであります。
これが浄土真宗の、親鸞聖人がお説き残しくださった“信心”でありましょう。
浄土真宗の信心とは〈難しいことが分かったり〉〈ご文を覚えたり〉〈神秘的な体験をしたり〉〈悩みがなくなったり〉などというモノではありません。
阿弥陀さまの“お前さん必ず私の浄土に生まれさせてみせるから、お念仏申しながら生きてきてくれよ”というご本願をそのままいただくことであります。
私もやがて、病気にもなり、身体のあちこちが思うようにならなくもなり、色んな事がつらくもなり…となるでしょう。その時に「こんなんなってしもて…、」と嘆くのではなく、いや嘆きながらでも、たとえどんな状況の中でも“お浄土へ参らせてもらうねんなぁ”と言わせていただく事の出来るご本願が私の上にも間違いなしに届いてくださってんねんなぁと、
改めてお育てをいただいたお通夜のご縁でありました。
合 掌
世間解 第325号 平成27年 3月
念仏もうさるべし ーお念仏のひぐらしー
三月、もうすぐ春であります。皆さまには阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と思います。
先日、あるお同行さまから「結局、仏教てどんなことをいうてはりますの?」という趣旨のご質問をいただきました。
私の場合は仏教を「浄土真宗て」と置き換えた考えさせていただいたのですが、…あれこれ頭の中で考えて、口から出ましたのが、梯實圓和上が何時もおっしゃっておられた「阿弥陀さまの、親鸞聖人の教えに遇わせていただくということは〈自分の“いのち”の意味と方向がはっきりすることですよ〉というお言葉でありました。」
これも何時もお聞かせをいただくことでありますが、その具体的な相は「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申し、お念仏を聞かせていただきながら日暮らしをさせていただくところに開かれるものであります。
そこで、一昨年、十月十四日、西法寺での最期の梯和上の御法話であります。
『…〈ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべし〉というのは“なんまんだぶつ”と“摂取して捨てないぞ、お前を必ず助けるぞ”と如来さまがおっしゃってくださる。
そのお言葉が“なんまんだぶつ”と響いてくる。だから私は聞いて慶ぶだけだ。どんな心で称えてるか、どんな思いで称えてるか、そんな事考えんでよろしい。
それよりも「なんまんだぶつ」と称えれば“声につきて決定往生の思いをなすべし”これがね、法然聖人のお言葉なんです。
ご開山がちゃぁんと書き残してくださった法然聖人の法語集、『西方指南抄』という書物にもちゃんとその言葉が出ております。
だからご開山はね「お念仏は本願招喚の勅命だ」阿弥陀さまが願いを込めて私を招はまねく。喚はよび覚ます。喚は“よぶ”ということですがこれをご開山は〈ヨバフ〉と訓をうってはる。〈ヨバフ〉ていうのはね、〈よぶ〉というこれ動詞ですね、〈よぶ〉という動詞にね、〈ふ〉という継続を表す助動詞がついてある。これが〈ヨバフ〉です。これは‘よび続ける’ということです。如来さまは生涯私を喚び続けていてくださる。
何で仏さん喚び続けんならんかいうたら、なに、私たちの相見たら思うわ。
今聞いてるかと思たら他のこと考えたり。はぃ、ぽーっと横のこと考えたり。念仏しながらでも、他のことばーっかり考えてるでしょ。
お経読みながらでもアンタ、何処を、何を読んでるやわからへん、気がついたら終わっとった。そんな事でしょ。実に我々は心あっち向いたり、こっち向いたり、うろちょろ、うろちょろ、うりちょろしてるでしょ。だから仏さまは喚び続けるわけなんですよ。
“気づいてくれよ。どうぞ、気づいてくれよ”と喚び続ける。喚び覚まし続けるわけですね。で、それで私は「あっ、また喚んでいてくださるんやな」と、又じゃないわ、ほんとはズーッと喚び続けていらっしゃるんだけど。
そういうことでね、如来さまは喚び続けてくださる。そして私は喚び覚まされる。そしてね、お念仏を通して「あぁ、そういや仏さまはこういうふうに、こんな時にはこういうふうに考えろ、こんな時にはこういうふうに味わうんだで、こんな時にはこういうふうに思たらええやで。こう考えたら奈落の底へ落ち込んでしまうで。こんな事考えたら腹立つばっかりやで。それよりもこう考える、こう味わうんだ。こういうふうに受け取るんだ。」と仏さまは親切に色々教えてくださってる。それをお念仏の中で自然に思い出す。
「…、あっそやそや、仏さまこんな時にはこういうふうにせい、おっしゃってたなぁ。」と思いだすでしょ。その教えが私たちを軌道修正しながら、少ぉしずつだけれども仏さまのお心にかなった生き方しようとする。そういう人間に私たちをね、少ぉしずつ矯め直してくださるんですよ。 これがね、仏さまの救いのはたらきなんだ。生きるって事はね、こうして仏さまに喚び覚まされ、そして、仏さまの教えによって少ぉしずつ軌道修正してもらいながらものの考え方、味わい方を少しずつ矯め直してもらいながら生きる。
そこにね、教えに育てられ続けながら、そして浄土を目指して生きて行く。私の人生にはお浄土という目標がある。そして、私の浄土への道を照らしてくださる仏さまの教えの光がある。その教えの光に導かれながらお浄土への道を歩んで行く。それが我々の人生というものですわなぁ。これが、往生極楽の道としての人生を生きているわけです。親鸞聖人が生きられた法然聖人の教えというのはこういう教えだったんですね。…』
世間解 第326号 平成27年 4月
念仏もうさるべし ー往生浄土としての日暮らしー
春、四月であります。身の周りは色々なことがありましょうが、季節は明るい方へと向かってまいります。皆さまには各々のご縁の中、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と存じます。
けったいなことを申しますが、お念仏がご相続できる状態にあるということは実はとっても有り難いことであります。どんな身体の調子であろうとも、どんなに心にかかることがあろうとも「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続させていただけているという事実はそのまま私の今の“いのち”が有ってくださることの何よりもの証明なのであります。
いま、こうしてこの『世間解』をお読みくださっている皆さまも、少なくともこの『世間解』がお読みいただける状況とご縁が調っておられるわけでありましょう。早い話が、「そんなもん読んでるどころの騒ぎやあるかい!」というようなとんでもない状況に居られるということではなかろうということであります。
そして、もう一つ、これはあまり意識をすることがありませんが“今”が落ち着いていられるのは“先”の見通しがあるということであります。
「あら、今晩泊まるとこあらへんがな」というような状況になりますととたんに“今”が不安な不安定なものになるのであります。
「何とかなるがな」という強がりが通用するのはその一瞬だけであります。
五月に一周忌をおむかえになる梯 實圓和上のご法話であります。
『…〈本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき〉“むなしくすぎない”これはつまり、充実しているということだな、私の人生は阿弥陀さまのご法義に遇うことによってどこまでも充実したものとなる。法然聖人は“生けらば念仏の功積もり、死なば浄土に参りなん”と仰った。生も死も、イヤ私にとっては死はない、死ぬのではない。臨終はやってくるがそれは死ではない。阿弥陀さまの浄土へ生まれさせていただく尊いご縁だ。それが往生ということだ…。生きている間はいろんな事がやってくる。そのいろんな事を、よろこびも悲しみも、あらゆる事をお念仏の日暮らしの中で頂戴し、あらゆる出来事を阿弥陀さまのお心を味わうご縁といただき、息が切れた先に限りのない“光”と“いのち”のお浄土を思う。そして、浄土に生まれれば今度は阿弥陀さまとともに苦しみ悩むあらゆる“いのち”を支え救うはたらきをさせていただく。それが私の“いのち”の意味です…。
私の“いのち”の意味と方向をハッキリと知らせていただく事、ご法義に遇わせていただくというのはそういうことですよ。皆さんが生まれてきてから今まで、何年あったか知らん、ドンだけ生きてきたか知らんけど、自分の“いのち”の意味と方向を考える時間は結構あったんとちゃいますか。困った時や弱った時に‘ど〜ぉしょう〜’言うてたんでは、私を願い続け支え続けてくださっている阿弥陀さまに義理悪いでっせ、いやほんま…』
このお話しの時、和上は、「つまり、往生浄土とは死んで後のことではなく、どう生きるかということを示してくださる言葉なんだな。」とおっしゃっていました。
往生や浄土などというと何かずーっと先の方に、遠いところにあるモノのように思いがちでありますが、その先にあるモノが間違いのないものであるからこそ今の充実があるのであります。充実とは私の上から苦しみや悲しみがなくなることではありません。
どんな状況の私の上にもその私を支えてくださっているおはたらきに遇わせていただいておることであります。そのはたらき(本願力)がやがて私を阿弥陀さまと同じお覚りの身と仕上げてくださる。
私の“いのち”はそういう尊い大きな意味を持っているんだ。阿弥陀さまは私の“いのち”をそう見そなわし、支えてくださってあるんだ。
ならば、出来るだけそれにふさわしい生き方を心がけよう。縁の中では、腹も立つし、欲も起こす、申し訳ない事である。日暮らしの中では苦しいこと悲しいこともやってくる。だけど、阿弥陀さまが見なわしてくださっている私の“いのち”に恥ずかしくない生き方を目指そう、それが、親鸞聖人のお教えくださった阿弥陀さまのご法義に遇わせていただいた所詮じゃないか。
和上はそうおっしゃってくださっているように思います。
春、色んな事が新しく始まるときであります。私もまた、改めてこの和上のお言葉を味わわせていただきたいと思うことであります。 合 掌
世間解 第327号 平成27年 5月
念仏もうさるべし ー“いのち”は法の宝ー
初夏、五月であります。有縁皆さまには色々なご縁の中、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とご相続のお念仏をお聞きいただきながら阿弥陀さまのご本願のおはたらきをお味わいくださっていることと存じます。
なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふら んことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の 説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。ま づ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは疑な ければ正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、を はりもめでたく候へ。如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申さ れ候ひける、すこしもたがはず候ふなり。
このご法語は、親鸞聖人が八十八歳の十一月にお書き残しをくださったお手紙の書き出しであります。先月の「こなつちゃん」に坊守さんが書いてくれておりました、〈びっくりせなアカンのです…〉という葛野明規先生のお話しの元になるお手紙がこれであります。
〔去年から今年にかけて(大変な飢饉が続いて)年老いた者といわず若い者といわず、男といわず女といわず数え切れないほどの人が“いのち”終えていった。
本当に悲しいことでしたね。しかし、“いのち”あるモノは何時“いのち”終わってもおかしくないんだよということは如来さまが生死無常とすでに詳しくお教えくださっていることでありましたね。だから特別に驚くことではないんですよ。私自身もどのような臨終を迎えるかわ分かりませんが、臨終の善し悪しは問題ではありません。阿弥陀さまの“必ずすくう”というご本願を疑いなくいただいた者は正しく覚りをひらかせていただくなかま(正定聚)に入れいただいているのです。ですから愚癡から離れることの出来ない、真実の智慧から正反対の生き方をするような(私も)そのまま有り難く臨終を迎えさせていただくのです。
阿弥陀さまのご本願のおはたらきによってお浄土へ生まれさせていただくのです。決して間違いはありませんよ。…〕
というような内容のお手紙でありましょうか。
親鸞聖人は九十歳でご往生になられますから最晩年のお手紙であります。
先月の「こなつちゃん」を読んで私も少し考えたのであります。
飢饉で、食べるものが何にも無くて、目の前でバタバタと人が死んでゆく、その有様を目の当たりにして、〈どうすればよいのでしょう〉というお弟子のお尋ねに対するお返事であります。
“ただし生死無常のことわり、くはしく如来の 説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。”
〈人が死ぬことはあたりまえじゃないか、驚くな〉とおっしゃるのであります。
「そんな…、目の前でバタバタ人が死んでいって、それを驚くなって…、それを驚かないのなら何を驚くんですか…」いうて親鸞聖人に聞いてみたいな。
きっと親鸞聖人は「何時“いのち”終わってもおかしくない者が今こうして“いのち”恵まれているこれがなによりもの驚きだよ」とおっしゃるでしょうね…。梯實圓和上はよくこうお教えくださいました。
で、それだけでないんです。
阿弥陀さまのご本願は。必ず“いのち”終わってゆかねばならない私の“いのち”はそのまま必ず阿弥陀さまのお浄土へ生まれさせていただいて、阿弥陀さまと同じお覚りをひらかせていただくという尊い意味を持っていた。
「臨終の善悪をば申さず」ということは今の私の日暮らしの上にもかかるお言葉です。役に立つから良くて、役に立たなくなったから無意味なのではない。
“いのち”は“いのち”としてそれだけで尊いんです。
だからこそ大切に、大切にさせていただくんです。
「“いのち”は法の宝だ」
これも梯實圓和上がよくおっしゃったお言葉でした。
“いのち”の上に私は色んなお育てを受けるんです。つらいことも悲しいことも有るけれども大きなお育てを受けます。大事な人、懐かしい人と死に別れる、とっても悲しいことだけれども阿弥陀さまのご法義はその方をご往生くださった方と仰がせていただける心をお育てくださいます。
それだけではない、今の私の“いのち”も往生させていただく“いのち”だ、だから大切にするんだ。
役に立とうが立とまいが、大切に大切にお念仏と共にお念仏にくるまれ支えられながら精一杯日暮らしさせていただくんです。有り難いことです。 合 掌
合 掌
世間解 第328号 平成27年 6月
念仏もうさるべし ー途切れずに、途切れずにー
六月になりました。有縁みなさま方には阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と思います。
さて、私が何時も口にかけて称えさせていただいている「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまのお名前であり、おはたらきであります。
その“南無阿弥陀仏”元々はインドのお言葉を中国の方が発音のまま字を当ててくださった音訳であります。ですから“南無阿弥陀仏”という字そのものには特別な意味を見ることはありません。
漢文に長けた方が「なるほどぉ、南無阿弥陀仏か、ほんで阿弥陀さまのお浄土が西に有るんやなぁ〜。やっぱり〈南に阿弥陀仏無し〉やもんなぁ」とおっしゃったというウソのようなホンマノお話があるそうであります。
何時もお聞かせをいただきますが、南無阿弥陀仏とはインド語の“アミターバー”(無量光)と“アミターユス”(無量寿)の音訳であります。
阿弥陀さまのお名前でありますので、〔お名号〕と申しております。
南無阿弥陀仏の意味を取って知らせてくださった〔お名号〕があります。
帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)
南無阿弥陀仏と同じ事でありますが、文字数が十ありますので、十字名号と申しあげるのであります。お内仏さまにお参りいただいて、阿弥陀さまの両側にズラ〜ッと字が並んであるお軸があれば、阿弥陀さまのお左側にご安置されているお軸が十字名号さまであります。
「帰命尽十方無礙光如来」と申すは、「帰命」は南無なり、また帰命と申す は如来の勅命にしたがふこころなり。「尽十方無礙光如来」と申すはすなは ち阿弥陀如来なり、この如来は光明なり。「尽十方」といふは、「尽」はつ くすといふ、ことごとくといふ、十方世界をつくしてことごとくみちたまへ るなり。「無礙」といふは、さはることなしとなり。さはることなしと申す は、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。「光如来」と申すは阿弥陀仏なり。 この如来はすなはち不可思議光仏と申す。この如来は智慧のかたちなり、 十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり。
このご文は親鸞聖人が十字名号をご解釈くださったご文であります。
…「帰命」というのは南無阿弥陀仏の南無のことだよ、そして帰命というのは阿弥陀さまの「お前さん必ずすくいきってみせるよ、お念仏しながら生ききってくれよ」というおおせにしたがふこころでもあるんだよ。「尽十方無礙光如来」というのは阿弥陀如来さまのことなんだよ。この如来さまは光明なんだ。「尽十方」といふのは、「尽」はつくすといふこと、ことごとくといふこと、十方の世界をつくしてことごとくみちみちてくださっているおはたらきということだよ。「無礙」といのは、さえぎられることがないいうことで、さはることなしというのは、衆生の煩悩悪業にさえぎられることがないということだよ。「光如来」というのは阿弥陀のことだよ。この如来さまは不可思議光仏とも申しあげさせていただくんだよ。この如来さまは智慧のかたち、つまり言葉となって十方のあらゆる微塵刹土に充ち満ちて届きおはたらきくださる如来さまということだよ。…
細かく突き詰めればキリも際限もありませんが、ざっと文のまま味わわせていただけばこういうようなご指南でありましょう。
阿弥陀さまは「なもあみだぶつ」というお念仏となって、「必ずすくうぞ」という言葉となって、私に届き続けてくださっておるのであります。
そのおはたらきは「尽十方無礙」あらゆる時と所を尽くして一瞬たりとも途切れることがない。
阿弥陀さまのご本願のおはたらきはそうであります。
ご往生くださった方々も同じおはたらきの中に有ってくださるのであります。一瞬の途切れることなく私を願い続け、支え続けてくださっている…。
浄土真宗で殊更に“初盆や〜”“お盆や〜”とやかましく言わないのはこういうおはたらきの中に支えられていると安心させていただくからです。
そのうえで、先立たれた方のお徳を、ご恩をお盆ならお盆のお仏事として大切に偲ばせていただくのであります。
こっちは、「あっ、お盆や」いうてなんかの拍子に思い出す先立たれた方は、阿弥陀さまと共に途切れること無く私を願い続け、支え続けてくださっておるのであります。
合 掌
世間解 第329号 平成27年 7月
念仏もうさるべし ー時の流れの中にー
七月であります。「ほんまに速いですね〜」「ついこの前、お正月やったんですけどね〜」お同行さまとお話しさせていただくことであります。
ほんとに済んでしまった時というのは“あっ”という間であります。
年が明けて、確かに三月も四月もあったはずでありますが、「どこ行ってしもてんやろ」という感じがいたします。
反面、「あっという間やったなぁ」と言える事の有りがたさを思うことであります。
私の若干の経験から申しますと、つらい時間というのはどうも長く感じるように思います。私の心の持ちよう、その時置かれている状況によって時は長く感じたり短く感じたりするのでしょう。
「今日もあっという間やったなぁ」と言い得たということは、とっても心にひっかかることがあんまり無かった…ということでもあるのかも知れません。
“時”というのは不思議なモノです。一時間なら一時間、一日なら一日、五分なら五分…、どんな人にも全く同じ長さであるはずです。
しかし、その時その時の状況や心持ちによってその感じ方は違ってまいります。
さて、先月の定例では、西法寺前住職・順育院釋清観の二十五回忌と
前坊守・順楽院釋尼妙恵の三回忌法要をお勤めさせていただきました。多くの方にお参りをいただき誠にありがとうございました。改めてお礼申しあげます。
親しい人、お世話になった人、大切な人、仲のよい人、縁のあった人と別れていかねばならないことはこの世のならいとはいえ辛く寂しいものであります。
しかし、親鸞聖人がご確認をくださりお説き残しをくださった阿弥陀さまのご本願のご法義は、別れなければならなくなった方が阿弥陀さまと一緒になって色んな事にあい、色んな思いをもっていかねばならない私を支えてくださる方であったと味わわせていただく事の出来る教えでありました。
母親の場合は本当につい最近という感じですが、父は二十五回忌であります。
父の葬儀の時、長男の徳行は二歳、長女の道子は生後一ヶ月少し、次女の智子は写真でしか前住職を知りません。その次女がもう二十二歳になるのですから長いときが経ったなぁとも思いますし、済んでしもたらあっという間やったなぁとも思います。その間に色んな事がありました。
私は好き放題やっておりましたが、坊守さまなどは我慢の連続…であったでしょう、しかし、その中でも二十五回忌を迎えさせていただき、たくさんのお同行さま方と共にご一緒にお勤めをさせていただけた事を本当に有りがたく思うことであります。
五月の定例にお説教くださった芦谷大悟師、この方はお寺のお嬢さんと
ご結婚をされたのですが、そのお寺の一臣さんという跡取さんが小さなお子さんを一人残して急逝をされた。
そこで、「そのお子さんが大きくなるまで」といって僧侶になられたというお方なのですが、芦谷さんからすれば甥御さんにあたるその子が高校生になってお得度をされた。浄土真宗の僧侶となった。
次のご法座のご縁で、その君がお同行の前でご一緒にお勤めをなさった。
若い息子さんを亡くされたご住職先生、芦谷さんの助けを借りながら十数年、色んな事を思われたでしょう。お勤めが済んで一言。
「一臣がようはたらいてくれとるわい」
とおっしゃられたそうであります。
利井明弘先生のご葬儀でご本堂と境内中にあふれる人々から“なんまんだぶ、なんまんだぶ…”とお念仏があふれる。そのご様子を見ながら明弘先生の奥さまである聡子坊守さまは、
「お父ちゃま、もうちゃんとここにはたらいてくれてるんやねぇ」
とおっしゃいました。
“時”はまさにその時その時に色んな形で私を取り巻きます。
時の流れは楽しいことも連れて行ってしまいますが、悲しく辛いことも薄れさせてくださるはたらきがあるのでしょう。
私の思いでは長かったり短かったり色々と様子を変える“時”でありますが、その全ての“時”を包んで、時の流れの中で色んな事にあい、色んな思いをもっていかねばならない私を阿弥陀さまのおはたらきは私にかかってくださり私を支えお育てをくださるのであります。
「大将(父)がようはたらいとってくださり、ばあさん(母)がちゃんとはたらいてくれてるなぁ」と味わわせていただいたご法事のご縁でありました。合 掌
世間解 第330号 平成27年 8月
念仏もうさるべし ー盆は嬉しやー
八月、夏の盛りであります。有縁皆さまには暑さにくるまれながらお念仏ご相続の事と思います。
少し前までは、“暑さに負けずにがんばりましょう”などということを申しておったかと思いますが、もうあきません。〈負けて結構です〉暑さと無理に戦うことなく、上手に暑さをコントロールしながら乗り切っていただきたいと思うことであります。
「昔はこれくらい我慢できた」とか「前はこんなんやなかった」とか「今まではこうしてた」とか…決してご無理をいただかんことです。
暑さと戦っていただく必要は何処にもありません…、などと書かせていただいている内に思い出したことがあります。
山本仏骨という和上さまであります。
この山本和上はお相撲が大好きで、野球が大嫌いという和上さまでおられました。
我々学生が休み時間にキャッチボールなんかをしておりますと「毬投げなんかしてるヒマあったらお聖教を読みなさい」とお叱りをくださる和上さまでありました。
我々の時だけでなくずっと以前からそうでおられたようで、利井明弘先生がお若い頃も同じようにおっしゃっておられたそうであります。
ある時、明弘先生が山本和上に「先生、何で相撲はようて、野球はアカンのですか?」とお尋ねになったら山本和上は「相撲は国技です!」とおっしゃったそうであります。
そして、お相撲のお話しをされた時には必ず、
「君たち若乃花と百遍相撲取って一遍でも勝てるかね?」
「いえ、一遍も勝てるはずありません」
「そうだろ、若乃花と相撲取って勝てん者が、阿弥陀さんと相撲取ってどうする。阿弥陀さまと知恵比べするんじゃないよ。負けて本願に帰すんだ」
とお話しが続いたそうであります。
“負けて本願に帰す”有り難いお言葉であります。蓮如上人さまは“負けて信を取れ”とおっしゃいました。
私たちは「お前さん必ず救いきってみせるからな、お念仏しながら生ききってくれよ」という阿弥陀さまのご本願のお言葉を聞いても‘ほんまかなぁ’‘お念仏みたいなんしてどないなんのかなぁ’などと思っては阿弥陀さまのご本願のお言葉を計らってしまうのであります。
“負けて本願に帰す”この場合の‘負ける’は屈服しヒレ伏すことではありません。
計らいをやめて‘そうか、そうやってんなぁ’と安心させていただくことであります。私の経験や、常識を少し譲ることと申しあげてもよいかもしれません。
‘どんな事があっても譲ってはいけないモノ’と‘譲ったってなんということのないモノ’と‘譲らねばならないモノ’があるように思います。
阿弥陀さまのご本願に対する時は私の経験や常識は‘譲らねばならないモノ’でありましょう。思い返してみますと私などは‘譲ったってなんということのないモノ’に対してギャーギャー、ガーガー言いまくって、負けないようにしている気がいたします。申し訳のないことであります。
話は変わりますが、七月一日に組内の仏教婦人会の研修会がありました。山本攝叡先生のご法話をお聞かせいただきましたが、
そこで先生は、
「私の父(山本仏骨和上)は何時もお盆になると寺の掲示板に
“盆は嬉しや別れた人も 晴れてこの世に会いに来る”という歌を書いてはっていました…」
とおっしゃっていました。正直申しまして少し驚きました。
何時もお聞かせをいただいている浄土真宗の、阿弥陀さまのご法義、つまり
〈“いのち”終わったら阿弥陀さまと同じお覚りの身とさせていただくんやで〉というご法義とは少し違うな…、と思ったからであります。
しかし、何度も何度もこのお歌を口にかけてお聞かせをいただきますと‘なんとも温かく有り難いなぁ’と思わせていただくようになりました。
ごちゃごちゃ言い回る必要は無いと思います。
“盆は嬉しや別れた人も 晴れてこの世に会いに来る”であります。
これこそ山本仏骨和上が阿弥陀さまのご本願に負けて信を取られたお相(すがた)でなかったのかなぁと有り難く味わわせていただいておるのであります。
合 掌
世間解 第331号 平成27年 9月
念仏もうさるべし ーご院さん、どない思いはりますー
九月になりました。しかし、暑い夏でした。毎年「暑い〜」いうて言うてたとは思いますが、今年はなかなか値打ちのある暑さでございました。
お参りに寄せていただいていて、あるお同行さまが「昼過ぎに外出てみなはれ、そらストーブのそばにおるみたいでっせ」とおっしゃった事がありましたが、
ほんとにそんな感じのする日の多かった夏であったように思います。
有縁皆さまには、うだるような暑さの中のお念仏ご相続の事であったと思います。
夏のお疲れの出る時期です、どうぞお念仏の中にご自愛くださいませ。
昭和二十五年前後の頃のお話であります。門信徒会の皆さまにお配りしている『一味』という行信教校で出している法味愛楽誌があります。
この『一味』が何百号かの記念号を迎えるにあたって当時の教校の先生方が座談会を開かれたことがあったそうであります。
山本仏骨和上、利井興弘校長先生、三田秀道先生、京都大学の井上知勇先生など後の仏教界、思想界を代表するようなそうそうたる先生方が参加されて、その中に利井鮮妙和上の直弟子の遠藤秀善という和上も入っておられました。
司会進行は当時まだ北先生であった後の梯實圓和上。
戦後の復興の兆しが出てきた状況を反映して、〈念仏と平和〉とか〈教団と平和〉〈これからの教団〉みたいなテーマで各々の先生が各々のお味わいを述べられてそれに他の先生が呼応されて、そんな話がどんどん膨らんで、大いに盛りあがった時に先の遠藤秀善和上が、
「ちょっと待ってください、皆さん活発に色んな事をおっしゃっておられるが、どうも不急の話ばかりでないかな…」
と仰られたそうであります。
その遠藤和上の「どうも不急の話ばかりでないかな…」というお言葉を聞かれて今まで侃々諤々しておられた先生方が“しゅーん”となって、「いや、ほんまですね、話題を変えましょか」いうてそれから純粋にお念仏の、ご法義のお話になっていったそうであります。
遠藤和上は仏教徒として考えねばならない一番大切なモノは何かということを仰ってくださっているように思います。
今、色んな意味で〈平和〉ということが取りざたされています。
〈戦争〉という言葉も飛び交っています。戦後七十年、私は〈戦争〉の悲惨さを身をもって体験はいたしておりません。
直接体験され、大変なご苦労をくださった方々もご高齢となられ、その悲惨さを取り次いでくださる方もこれからますます少なくなられ、やがて最後の太平洋戦争経験者といわれるお方がお隠れになられるでしょう。
私はそのお方を最後に二度と戦争経験者は出てはならないと思っています。
「今の安保法案どない思いはります」と何人かの方にお尋ねいただきました。
戦争で中国に行っておられた、山本仏骨和上が
「国と国が“我々が正しい”というて正義を振りかざしてやがて戦争になるんです。正しいモノが何故戦争するのかね」
と仰っておられたことを思い出します。
『世間解』でこういう世情のことを申しあげるのは差し控えるべきでしょうし、色んな考えの方がおられて、色んな立場の方がおられて、それで結構であると思います。
しかし、
【いかなる理由があっても、直接的には勿論、たとえ間接的であっても人の“いのち”を取るという行為には加担をいたさない】
というのが仏教徒の生き方であろうと思っています。
何時もお聞かせをいただきますとおり、縁の中では私は何をしでかすか分かりません。そういう悲しさや、強いて言えば罪を背負った身であるという思いのモトにお念仏の日暮らしをさせていただくことが大切であると思います。
“人間は縁に触れるとどんなことでもしてしまう愚かな危険な生き物である”ということを忘れてはなりません。縁の中では何をしでかすか分からない私であって、それを身に受けて慎んでゆく。
たとえ〈戦争〉に導かれるような法律が出来たとしても、いや、その時にこそ「私は仏教徒として国や権力者の都合で人の“いのち”を取るような事はシマせんねん」と言い切る。何もしないのではない、出来る限りのことをする。しかし、どんな状況になってもそうした仏教徒としての生き方はあるんだと考えています。住職の現段階の個人的意見です。どうぞご放念くださいませ。 合 掌
世間解 第332号 平成27年10月
念仏もうさるべし ーそのままいただくんですー
十月であります。有縁みなさま方には阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と思います。
大晦日に除夜の鐘をつきに来ていただいたお方にお配りしている、「ほのぼのカレンダー」というのがあります。
九月には「力をぬいたとたん 世界がひらける」というご法語が書かれていました。このご法語について「どういう事です?」とご質問をいただきましたので、そのことを少しご一緒にお聞かせいただきたいと思います。
これは、東井義雄先生という大変尊い教育者であったご住職のお言葉であります。
このご法語は浄土真宗の、御法義の味わい方、受け取り方、突き詰めればお念仏の心を顕してくださっているお言葉であります。少し言いかえますと〈自力〉と〈他力〉の違いを、もっと言えば〈他力〉の心を明確におっしゃってくださっているご法語と味わわせていただいてよいかと思います。
“自力の力み心をやめると、自力の力み心から離れるとそこに阿弥陀さまから届いてくださってあった大きな世界を、境地を味わわせていただくことが出来るんだよ”というような意味であろうかと思います。
自力の力み心とは、仏法のことについて「これはこういう事やな」と今までの自分の経験や知識をもって世俗の常識に当てはめて決め込んでしまうことで、これを“自力の計らい”というのであります。
しかし、この“自力の計らい”は日暮らしの中ではとっても大切なことです。〈言うてエエ事・悪いこと〉〈しててエエ事・悪いこと〉など約束や決まり、対人関係などはキッチリと計らってゆかねばなりません。
しかし、阿弥陀さまと私の問題・私の“いのち”の行き先については私の計らいを入れるといかんのであります。
一声のお念仏をどう味わうかと言うことであります。
お念仏は私が私の声で、私が称えようと思って“なんまんだぶ”と称えるのであります。私が称えるから私のもんやと思うから“このお念仏で何とかしてもらおう”という思いになります。
言い方を変えれば“救てください阿弥陀さま”というお念仏であります。
これを自力の念仏というのであります。
“こんだけお念仏したからこれで大丈夫やろう”“今日は昨日よりちょっと少なかったからあかんかなぁ”これはどちらも自力の計らいであります。
阿弥陀さまの“お前さん必ず浄土に救いきってみせるからそれまでの日暮らしは 安心してお念仏しながら生きていってくれよ”というご本願のお言葉を‘そうかお念仏するんか、それやったら一声より十声、十声より百声…’と世俗の価値判断に当てはめて考える。これが自力の計らいであります。
そうではなくて、‘一声より十声、十声より百声…’という自力の力み心を横に置いて‘ああ、こないしてお念仏出来てるんは阿弥陀さまのおはたらきの中におらしてもろてるんやなぁ’と一声一声の“なんまんだぶ”を“救てくださる阿弥陀さま”といただく。
“私が分かる、私が理解する、いや、まだちょっと分からん…”などという計らいを横に置いて阿弥陀さまの“お前さん必ず浄土に生まれさすで”というご本願のお言葉を素直にいただいた時、‘ああ、そうか阿弥陀さんは私を浄土へ生まれさす言うてくれてはんねんなぁ、私は浄土へ生まれることが出来るねんなぁ’という自分の力や経験では決して開けることのない世界が、境地が味わわれるのであります。
阿弥陀さまのご本願のお言葉に素直に耳を傾けること、これが「力をぬいた」状態であります。
コップに蓋をしているとどれだけ清らかな水が注がれていてもコップが水で満たされることはありません。
‘ほんまかなぁ’‘ちょっと分からんなぁ’‘そんなこと無いやろ’などという自力の計らいという蓋を横に置いて阿弥陀さまの“お前さん必ず浄土に生まれさせてみせるから、お念仏申しながら生ききってくれよ”というご本願のお言葉をそのままいただいた時、苦しいことも悲しいことも辛いこともやって来るけれども‘私の“いのち”は阿弥陀さまや、ご往生くださった方々に願われ支えられているんだ、私の“いのち”は阿弥陀さまのお浄土へ向かってまっすぐにつながっているんだ’という世界が開けるのであります。
阿弥陀さまのお言葉だけはそのままいただくんです。 合 掌
世間解 第333号 平成27年11月
念仏もうさるべし ー気づかせてくださるんですー
十一月になりました。この頃になりますと「しかし、一年くらいあっという間ですね」とお同行さまに申しあげることが多いのですが、昨年そんな事を申しあげてから今年同じ事を申しあげる間隔がどんどん短くなっているような気がいたします。有縁皆さまには、色んな思いの中、色んな出来事の中お念仏ご相続の事と思います。
さて、先月は、「自力」「他力」ということについて少しお聞かせをいただきましたが、浄土真宗(阿弥陀さまのご本願のおはたらき)というご法義にとって大変大切なことでありますので、もうしばらくこのことをお聞かせいただきたいと思うのであります。
世間の普通の使い方は自力とは自分が一生懸命努力をすること…、他力とは自分以外の何かの力によって自分に何某かの効果を得ること…、というように考えられていますし、またそのような意味のある言葉であります。
しかし、何時もお聞かせをいただくことでありますが、親鸞聖人が「自力」「他力」とおっしゃる時はそうではありません。自分が努力するとか、しないとかという問題では無いのであります。一番はっきりとしているのが「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」というお念仏であります。
梯實圓和上は「お念仏をご相続しないところに、お念仏のない所に自力も他力の無いんだよ」とおっしゃっていました。
私がご相続している「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」というお念仏をどのようにいただき味わわせていただくのかということであります。
私はこの頃、“呼びかけ”と“気づき”かなと味わわせていただいております。
バサッと申しあげれば、お念仏は、ナンマンダブツは“阿弥陀さまのお喚び声であったといただくこと”これが他力に気づかせていただいたことでないかと思います。お念仏するんですよ、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続させていただくんです。そのご相続させていただき自分の耳に聞こえてくださる、あるいは心に届いてくださる“なんまんだぶ”を〈こんなお念仏しててドナイなんねやろな…〉とか〈お念仏てなんやろなぁ〉とか〈さっぱりわからんなぁ〉とか〈まぁとにかくいうといたらええんかなぁ〉とかごちゃごちゃ思わんと“このお念仏は阿弥陀さまが私を喚び続けてくださっている阿弥陀さまのおはたらきのあらわれやったんや”とスキッといただく事です。
たった今からで結構です。阿弥陀さまの“お前さん必ず私の浄土に生まれて帰ってきて、全ての“いのち”を支えることの出来る覚りの身となるねんで”というご本願のおはたらきが今の私の上に“なんまんだぶ”ととどいてくださってんねんなぁといただくのであります。
月刊『こなっちゃん』でおなじみ?の西法寺の番犬?‘こなつ’はしょっちゅうゴロッと横になって世間を観察しておりますが、「こなつ!」いうて呼びますと「ハイ、私ちゃんとやってます」みたいな感じでこちらを向きます。
自分が「こなつ」であることを分かっているようであります。
最初はそうではありませんでした、三年前に西法寺に来てくれました時にはまだ名前はありません。漱石の猫と同じであります。しかし、坊守さんや子どもたちが「こなつ、ご飯やで」「こなつ、散歩いこか」「こなつ、こなつ」いうてやっている内に、だんだんと知らんまに、こなつは「ああ、私‘こなつ’やねんなぁ」と“気づいた”に違いないのであります。“気づき”の前には気づかせるはたらきが必ずあってくださるのであります。“気づかせる呼びかけ”であります。
親鸞聖人は“阿弥陀さまはズーッと私を喚び続けてくださっているんだぁ”とお教えくださいました。私を喚び続けてくださっていたおはたらきがあってくださったんやなぁと気づいたことが他力のお救いにあったことであります。
私が一生懸命やったから、私が立派やから気づくのではありません。
ズーッと私を喚び続けてくださった阿弥陀さまのご本願のおはたらきが私に気づかせてくださったのであります。来月続きをお聞かせいただきます。 合 掌
世間解 第334号 平成27年12月
念仏もうさるべし ー気づかせてくださるんです 2ー
何やらアッという間に歳の暮れを迎えた気がいたします。しかし、何時も思いますが、「速いですね〜」と申しあげることの出来る有り難さを思います。
私は、何にも無く平穏に過ごせることが普通で、何か変わったことや辛いことがあるとすぐに「何でこんなめに遭わんといかんねんや」といいますが、今年も全国で、全世界で本当に色んな出来事がありましたが、実は“色んな事に遭っていかねばならないのがこの娑婆の世界なんやで”とおっしゃってくださるのが、仏さまの教えであり、“何がやってくるか分からない日暮らしだからこそ、何がやってきても大丈夫な救いを完成したぞ”と阿弥陀さまはおっしゃってくださるのでありました。
本当に「速いですね〜」と申しあげることの出来る有り難さを思います。
同時に、“何があっても必ず支えている”という阿弥陀さまのご本願が“何がやってくるか分からないところに“いのち”恵まれている”この私を包んでくださっているんだというおはたらきがあることをお聞かせていただくご縁に恵まれたことの有り難さを思うことであります。
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる
南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり
どちらも親鸞聖人がおつくり残しをくださったご和讃であります。「念仏の衆生」も「南無阿弥陀仏をとなふ」るのも私のことであります。
“なんまんだぶ、なんまんだぶ…”とお念仏する私を「ひとたび摂りて〈摂取〉ながく捨てない〈不捨〉」このおはたらきを“阿弥陀さま”というんだ。と親鸞聖人はおっしゃってくださいます。そうして“なんまんだぶ、なんまんだぶ…”とお念仏する私を、私には見ることは出来ないけれども十方の、あらゆる所の如来さまが百重にも千重にも取り囲んで“阿弥陀さまのお育てに遇えてよかったなぁ”とお慶びくださるんだ。とお讃えくださっておるのであります。
この二首のご和讃のお心を知らせていただいただけで充分なような気がいたします。
色んな事柄に、嬉しいことや楽しいことに遇い、辛いことや悲しいことに遭い、色んな事にあうたびに色んな思いを持ってゆかねばならない私だけれども、阿弥陀さまのご本願があってくださった、阿弥陀さまのご本願を一緒に聞かせていただくお同行さまがいてくださった。
何よりも「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」と阿弥陀さまの名をよばせていただく事の出来るお育てにあった。今こうしてお念仏申す身になられた皆さまには各々に色んなご縁がおありになったことでしょう。
しかし、今現実に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申せているということは阿弥陀さまから一子地(一人子のように)と願われて、阿弥陀さまを親さまとしたう事を許された身の上であるということなのです。
先月は、〈喚びかけ〉と〈気づき〉ということを少しお聞かせをいただきました。
今月はその続きをと思っておりましたが、思いが別の方向に進んでしまいました。来月は本当にその続きをお聞かせをいただきたいと思います。〈喚びかけ〉と〈気づき〉それは〈許し〉と〈うなずき〉なのかなぁとこの頃思っております。
阿弥陀さまの
「お前さん必ず支えてるよ、お念仏申しながら大切に生ききってくれよ」
というお喚び声に気づかせていただいた相が
私が「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申していることであり、
そのおねんぶつを、私が称えているお念仏を聞くことによって
阿弥陀さまの「おまえを決して迷いの世界におかないよ」というお心を味わわせていただくことが出来る。
これは私が阿弥陀さまから念仏申す者に育てられたことであり阿弥陀さまから念仏申すことを許された事でもあったのでありましょう。そんなあたりを歳明けに。
合 掌
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