世間解 第311号 平成26年 1月
 念仏もうさるべし
ーあたらしいとしにー


 新年あけましておめでとうございます。本年も阿弥陀さまのお照らしの中、ご一緒にご聴聞重ねさせていただき、お互いお念仏に触れ育てられる日暮らしを送らせていただきたいものであると思っております。なにとぞよろしくお願い申しあげます。
  なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、  かの土へはまゐるべきなり。
この御文は親鸞聖人のお弟子の唯円房さまが聖人お言葉を書き残してくださった『歎異抄』というお聖教の一節であります。

…どんなに心を残し、どんなに手を尽くしても私の“いのち”はやがてご縁がつきれば力なくこの娑婆の世界から離れて行かねばならないのだよ、しかしそれはそのままお浄土へと参らせていただく尊いご縁でもあるんだな…という親鸞聖人のご述懐であります。

 阿弥陀さまのご本願のおはたらきである浄土真宗にご縁をいただき、お育てをいただく身となった私の“いのち”の行き先には間違いなしに“阿弥陀さまのお浄土”が開かれていると安心させていただくことです。

 “お浄土”という実感をお持ちください。ハッキリ確認しなければ持てないのではありません。どうぞ“お浄土”があってくださるんやなぁという実感をお持ちください。

それは〈天国〉でもない。〈あの世〉でもない。“お浄土”です。

もう一度申しあげます。阿弥陀さまに願われている私の“いのち”の行き先は
‘何か良さそうなところかなぁ〜’というふわふわした感覚で捉えているような〈天国〉でもない。まして〈あの世〉などという‘なんか知らんけどこの世と違うところ’みたいな感覚で使っている言葉だけの代物でもありません。

 阿弥陀さまの智慧と慈悲の、無量の寿命と光の、あらゆる“いのち”を尊いものとして護り、導くことの出来るさとりが完成する“お浄土”が私の前には開かれている、いや、阿弥陀さまがお開きくださっているのであります。

 新年早々小言を申しあげて申し訳ありませんが、どうもこの頃〈天国〉〈天国〉と言い過ぎでないかなと…。どういうお気持ちでお使いなのかは分かりませんが、テレビでも何でも、訃報になるとすぐ〈天国で…〉てな事をおっしゃいます。
キリスト教徒の方はそれで結構です。仏教で言う天国とは全く違う独自の思想をお持ちですからそれで結構なのですが、問題は、キリスト教の信仰も何も関係なく。いとも簡単に〈天国〉〈天国〉と、なんか知らんけど〈天国〉言うといたら大体話しが丸く収まる…位の感覚でおっしゃってるように思うんですが…。あきません。
 仏教でいう〈天国〉と“お浄土”は全く別物です。

ハッキリ申しあげますと、仏教でいう〈天国〉などは〈只の迷いの世界〉です。
 少なくとも浄土真宗にご縁をいただいた我々は、“お浄土に往生させていただくんだ”という実感をハッキリと持たせていただきましょう。

私の“いのち”の行き先は〈天国〉でも〈あの世〉でもない。阿弥陀さまの“お浄土”です。娑婆の縁がつきて親しい人や大切な人と別れて行かねばならない。それはとっても辛く悲しいことであります。しかし、その避けることの出来ない現実を“往生”という阿弥陀さまの佛語が支えてくださるのであります。

 山本仏骨和上はご往生の少し前、病院のベッドで“帰悦”という文字を指で書かれていたそうであります。その時に「帰悦いうのはな、悦んで帰らしてもらう…、平とういうたらなぁ、親元へ帰らしてもらういうことなんだな」とおっしゃったくださったそうであります。

 梯和上はおっしゃいます。「親の居るところは自分の家やからね、“ただいまぁ”言うて帰って行くことが出来るでしょ。よその家やったら“お邪魔します”でしょ、邪魔なんやな。お浄土は親の居ってくれる自分の家やからね、“ただいまぁ”言うていけるとこですわ。“いのち”が終わると言うことはいろんな意味で悲しいことだけれども、それはそのまま“ただいまぁ”言うて親の居るところへ帰らせてもらうことでもあるんですよ。」とお教えくださいました。

 私には“往生”“浄土”という佛語があってくださっています。
新しい年になりました。どうぞ〈天国〉や〈あの世〉というあいまいな言葉に振り回され、使うことなく。“往生”“浄土”という佛語が開いてくださる豊かな世界を味わわせていただきましょう。                                   
                                                                                合 掌

世間解
 第312号 平成26年 2月
 念仏もうさるべし

 ーお詫びと共にー


有縁皆さまにはご本願のおはたらきの中、お念仏ご相続の事と存じます。
年が改まりましてから一月がたち二月であります。

今年もたくさんのお年賀状を頂戴いたしまして、「ああ、お正月やなぁ」と誠に有り難いことでありました。

 さて、今月はお詫びからであります。年が明けまして、一月八日頃だったでしょうか有縁の皆さまに〈寒中お見舞い〉のハガキを出させていただきました。
昨年の二月に母が臨終を迎えましたこともありまして、今年は年賀状ではなく寒中お見舞いとさせていただいたのでありました。

 寒中見舞いを出させていただきましてから、お会いする方ごとに「年賀状をお送りしまいまして本当に失礼しました…」とおっしゃっていただきまして、こちらが誠に失礼をしたのであります。

 この場をお借りいたしまして、改めてご心配をおかけいたしましたことお詫び申しあげます。誠に申し訳ございませんでした。

 言い訳をお許しいただきますと、暮れから年賀状をどうしたものかと考えてはおったのであります。

 私は行信教校という親鸞聖人の御法義を中心にしてお教えをいただく学校でお育てを受けました。

 騰 瑞夢という先生がおられました、この先生はお母様であったと思うのですが、ご往生になられた年に〔世情に習ってこのようなハガキを出すことにいたしました。〕とお断りを入れて喪中のお葉書をくださいました。

 梯 實圓和上は近しいご親戚がお隠れになられた時、十二月に入ってからの御法座のご縁で「今年は家の親戚が往生いたしましたので年賀ハガキは失礼させていただきます。」とおっしゃっていました。「そやけどいただくのはなんぼいただいても結構ですさかいご心配なく。」と必ず付け加えておられました。

 そんな先生方のお言葉を思い出しながら、騰先生の実直な形も有り難いし…、そやけど浄土真宗では本来喪中はないし…、喪中のハガキを出して年賀状がけえへんお正月もなんか寂しいし…、てな事を考えております間に時が過ぎてしまいまして、あのような形で寒中見舞いを出させていただいたのでありました。

 私がずぼらをせずにお年賀をすっとお出ししておればみなさまに「本当に失礼いたしました…」などとおっしゃっていただく事はなかったのであります。
誠に申し訳ございませんでした。

 浄土真宗では阿弥陀さまのご本願のおはたらきによって臨終を迎えると同時に阿弥陀さまのお浄土へ生まれさせていただき(往生)、阿弥陀さまと同じお覚りの身としていただく(成仏)のでありますから〔喪中〕という考え方はありません。

〔喪〕という思想も厳密にお話しし出しますととても難しいことがございますが、基本的には人の死を“けがれ”と見るところから出ています。“けがれ”とは今は転じて“穢れ”という文字を充てますが、本来は“気枯れ”であります。
‘生気が枯れる’事です。生気が枯れて息をしなくなるのです。

そういう状態を嫌ったのであります。“気枯れ”た人が出た家はその家族にも“気枯れ”が移る、“気枯れた状態である”と考えたのであります。そこで、
“気枯れ”が消えるまで他との交渉を控える。これが〔喪〕であります。

 しかし、阿弥陀さまのご本願のおはたらき浄土真宗では先だたれた方をそうは見ません。西法寺の前坊守、私の母は“覚りの身となって先に往生した父と共に我々を支えてくれる身となっている”と味わわせていただくのであります。

 しかしそれは決して覚りを開いたのであるからもうエエねんという無味乾燥なものではありません。

“ばあさんこんなこと言うとったなぁ”とか“こんなんやったなぁ”とか色々と思い出はありますし、思うことも色々あります。

そうして色々思い出すばあさんが阿弥陀さまと同じお覚りを開いてくれてるんやなぁという感慨であります。

“死んでしもてどないなってるんやろう”という心配を持たなくてよい御法義に遇わせていただいてるんやなぁと思うこの頃であります。      

                                                                               合 掌

世間解
 第313号 平成26年 3月
 念仏もうさるべし

 ー熨斗がついてあるー

 ♪はぁ〜るよこい はぁ〜やくこい…♪という童謡を久しぶりに思い出した二月でありました。有縁皆さま方には厳しい寒さの中にも、阿弥陀さまの慈光照護のもと「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことであったと思います。

 お念仏は何時でも何処でも称えようと思えば、称えそして聞き、いただく事の出来るものであります。

 お念仏の称えられない場所や時はありません。

 〔…誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだした  まひて、…〕

このご法語は親鸞聖人のお弟子であった唯円房さまが親鸞聖人のお言葉を集め、その当時御法義に迷っていた人々の心を正しい御法義を聞いてくれよという思いを込めてお書き残しをくださった『歎異抄』というお書物の一節であります。

 何時もいつもお聞かせをいただきますが、私の口から出て、私の耳に届き私の心をお育てくださる「なんまんだぶ」というお念仏は、阿弥陀さまの深い深いお心がこもってくださっておるのであります。

 阿弥陀さまは私に阿弥陀さまのおはたらきが間違いなしに届いていることを知らせるために“なもあみだぶつ”というお名号となって私を包み支え育てようとなさってくださったのであります。

 阿弥陀さまは〈やすくたもち、となへやすき名号を案じいだし〉てくださったのであります。全て、迷いを迷いとも知らず、自己中心の考えから離れることが出来ない私のためであります。

私のために一生懸命お考えをくださったのであります。

「伊井智量和上が何時もおっしゃっていた、と佐々木鉄城和上がおっしゃっていたのをお聞きしたのですが…」と梯實圓和上がおっしゃっていたお言葉を思い出します。

 ある布教使さんのお言葉だったそうでありますが、伊井智量和上は、
「なもあみだぶには熨斗がついたある」
とよくおっしゃっておられたそうであります。

 よその方にお贈りする品物、殊に大切な方に受け取っていただこうとする品物
には熨斗をかけます。

滅多に自分に買った物に熨斗をかけることはありません。ご飯に振りかけようと思て〈のりたま〉買うて「すんません、ちょっと熨斗かけてください…。」とは言わないのであります。

やっぱり人様に受け取っていただこうとする品物に熨斗をかけるのであります。
〈あの方、これ受け取ってくださったら喜んでくださるかなぁ〉〈こっちの方がエエかなぁ〉などと先様のことを思い巡らしながら最善の物を選ぶということがあります。その方を大切に思えば思う程その心は強くはたらきます。

 先様のことを思って最善の品物を選んで、それを買う、熨斗をかけてもらう。
熨斗をかけてもらった時点でその品物は“先様に受け取っていただく物”“先様の物”ということになります。

 お金を出したのは自分だし、先様のお宅までお届けするのも自分だけれども、熨斗がかかった瞬間からその品物は私の手の中にあっても“先様にもらっていただくもの”なのであります。

 阿弥陀さまの“なもあみだぶつ”は阿弥陀さまが一生懸命になってお仕上げくださったものであるけれども、それはとりもなおさず私のためにお仕上げくださったものであると頂戴するのであります。

‘ほんまかなぁ〜‘’どうかなぁ〜’などという自分の思いを挟まずに‘ありがとうございます’といただくことです。阿弥陀さまのお心を素直にいただけば阿弥陀さまが開いてくださった“必ず私の浄土に生まれてきて、私と同じ覚りの身となるねんで”という世界が私の世界となるんです。

「なんまんだぶ」は何かの気慰めでも、呪文でもありません。

阿弥陀さまが私を思って、これしかないと私のために心を込めて届いてくださった“熨斗付き”のお慈悲のおはたらきだったのであります。     
                                                                                  合 掌


世間解
 第314号 平成26年 4月
 念仏もうさるべし

 ーたまたま行信を獲ばー

 春、四月であります。日差しがぐっと明るくなり、お花が咲いたり色々と新しい事が動き出す季節であると共に「あら、もう四月か、はやいなぁ〜」と思うこの頃であります。有縁皆さまには阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏の日暮らしのことと存じます。

 毎度、毎度、同じ事を繰り返しお聞かせいただきますが、

“お念仏”ご相続いただく事であります。

  ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。  たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。

このご文は親鸞聖人がその後半生の全てをかけてお書きあげくださった、
『顕浄土真実教行証文類』略して『教行証文類』、学校などでは『教行信証』と習いますが、浄土真宗の阿弥陀さまのおはたらきを説き明かしてくださった一番大切な、根本のお聖教、聖典ということで『本典』、丁寧に
『ご本典』と申しあげるお聖教の一番最初、〈総序〉と申しあげる序分にある
お言葉であります。

難しそうなお言葉が並んでいますが、お寺でのご法話の最初にご講師の先生が時々このお言葉をおあげくださいますので、「どっかで聞いたことあるでぇ」とおっしゃってださるお方もおありのことと思います。

〔…何という有り難いことであろうか、阿弥陀さまの‘必ず私を救いきってみせる’というご本願のおはたらきに遇い、そのおはたらきを私の身にかけて‘ほんとうだなぁ’と味わわせていただけるという思いは、私の中からは決して出てくるものでも作りあげられるものでもなかった。その私の上に今“なんまんだぶ、なんまんだぶ…”とお念仏が出てくださっている。深い深い、大きい大きい阿弥陀さまの、あらゆるご縁のお育てがあってくださったんだなぁ…〕

という親鸞聖人さまの感慨であります。

〔たまたま行信を獲〕とは“なんまんだぶ、なんまんだぶ…”とお念仏もうさせていただく身にならせていただいたということであります。

私が“なんまんだぶ、なんまんだぶ…”とお念仏もうさせていただく身になるまでにとても私の思いの及ばない阿弥陀さまのお育てがあってくださっているのであります。それが〔遠く宿縁を慶べ〕であります。

 私の口から“なんまんだぶ、なんまんだぶ…”とお念仏が出てくださっていることの有り難さ、尊さを思うことであります。

〈総序〉のお言葉は、
  もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。
と、続いていきます。

〔お念仏に遇い、お念仏を称える身になっているのに、それが阿弥陀さまが私を支え、救いきってくださるおはたらきの顕れであるといただかずに‘これで大丈夫かなぁ’‘なんかようわからんなぁ’なんかいうてると、またずーっと迷いの世界を経巡らんとアカンで…〕

と言葉を尽くしてご注意くださるのであります。

 私の口から“なんまんだぶ、なんまんだぶ…”とお念仏が出てくださっていることの有り難さ、尊さをご自身のお念仏のひびきの中に思うていただくことであります。

 梯實圓和上のお師匠さまのお一人に、遠藤秀善という和上さまがあられました。もう十年以上も前に梯和上からお聞きしたお言葉であります、

「…遠藤和上がね、晩年に『私はこの頃、なもあみだぶつに‘さま’をつけて味わわせてもらってるんだぁ、なもあみだぶつさま、なもあみだぶつさま…』いうておっしゃっておられたことがあってね。…、いや、わしもこの頃、ほんまやなぁと思うんですよ。遠藤和上のお言葉ね、『なもあみだぶつさま、なもあみだぶつさま…』ほんまにそうやなぁと思うなぁ…」

 私の口から出て私の耳に届いてくださる「なもあみだぶつ」はそのまま阿弥陀さまが私を願い続け支え続けてくださっているおはたらきのあらわれなのであります。

新しいスタートがあり、いろんな事が変わってゆく四月でありますが、今までも全く変わらず、これからも決して変わることのない“お前さん必ず支えてるで”という阿弥陀さまのご本願とそのおはたらきを改めて思うことであります。                                                                                                                           合 掌


世間解
 第315号 平成26年 5月
 念仏もうさるべし

 ーみちみちたまへりー─────────────┐

 若葉が眩しい五月であります。有縁皆さまにはご本願のおはたらきの中、
「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と思います。

お念仏の申せる日暮らしであることのありがたさを思うこの頃であります。

  この如来はすなはち不可思議光仏と申す。この如来は智慧のかたちなり、
  十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり。

〈阿弥陀さまの、この私を必ず覚りの身としてくださるという思いはかることの出来ないおはたらきは、“必ず救いきってみせる”という言葉となって十方のあらゆる所に行き届ききってくださっていると安心させていただきなさい〉
という親鸞聖人さまのお言葉(ご法語)であります。

 どうぞ阿弥陀さまのおはたらきが私の身にも心にも“充ち満ちてくださっている”という実感をお持ちください。それが、お念仏出来ているということです。
お念仏が聞こえるご縁にある。お念仏を申す身になっている。全部阿弥陀さまのご本願のおはたらきが私に充ち満ちてくださっている顕れであります。

 楽しいことがあり、悲しいこともある。苦しいことも、寂しいこともやってくるけど、嬉しい事だってある。そんな事を何とも思はないで何となく日を送っていることもある。

 そんな私の全てを、一瞬、一瞬、片時も離れずに阿弥陀さまのご本願は包み支えてくださっているのであります。

 毎回、毎回同じ事をお聞かせいただきます。“お念仏ご相続いただく事”です。

「なもあみだぶつ」というお念仏は〈何かのおまじない〉でも〈何かの呪文〉でも〈単なる気慰め〉でもありません。

 阿弥陀さまの、いや、それだけではない、ご往生くださった方々の「お前さん必ず救いきってみせるで」というご本願のおはたらきの何よりもの顕れであります。

“お念仏申す”ということは“お念仏聞かせていただく”ことであります。

  みほとけの み名を称える我が聲は 我が聲ながら 尊とかりけり

これもたびたびとお聞かせをいただくお歌でありますが、甲斐和里子という京都女子大学という学校をお創りくださった先生がお詠みくださいました。

 お内仏さまの前で、ご往生くださった方のお写真の前で、ご本堂の阿弥陀さまの前で「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏を称える。

一人でお念仏を称えているとき聞こえてくるのは私の「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏を称える声だ。聞こえているのは私の声だけれども‘ありがたいなぁ〜’というお歌であります。

 聞こえている私の声の中に、聞こえている私の‘なんまんだぶ’に〈今、この私にお念仏させてくださっている阿弥陀さまや、ご往生くださった方のお力があってくださってるんだなぁ〉というお歌でありましょう。

 お念仏称えさせていただくということはお念仏聞かせていただくことなのであります。一声一声、なんまんだぶ、なんまんだぶ…とお念仏を称え。そのお念仏を‘間違いないぞ’‘必ず支えてるぞ’‘がんばって日暮らしするんやぞ’という阿弥陀さまの、ご往生くださった方の〈お喚び声〉とお聞かせいただくのであります。

 お念仏を〈おまじない〉や〈気慰め〉のようにお考えいただかないことです。
私が何時、何処で、どんな状況になっても。もっと言えば、私が阿弥陀さまのことやご往生くださった方のことを全く考えることが出来なくなっても。阿弥陀さまや、ご往生くださった方は私を願い、包み、支えてくださっているのであります。

 梯實圓和上は先の親鸞聖人のご法語を、
「阿弥陀さまのお心、おはたらきは十方世界にみちみちてくださってるんですね。逆に言えば、阿弥陀さまのおはたらきに遇わなければ私の人生は空虚なものに、虚しいものになるということでしょうね。…」
とお教えをくださいました。

 私の日暮らしの色んなコトと阿弥陀さまのおはたらき、佛法を別々のモノにしないことです。私の日暮らしの何処をとっても阿弥陀さまのお心が、おはたらきがみちみちてくださっているのです。                                                                              
                                                                                合 掌


世間解
 第316号 平成26年 6月
 念仏もうさるべし

 ー追悼 梯實圓和上ー


 さる平成二十六年五月七日 長年にわたってお育てをいただきました、行信教校名誉校長・本願寺派勧学の梯實圓和上がご往生の素懐をお遂げになられました。行年八十八歳 本当に多くのお育てをたまわりました。

 父とも大変ご懇意にしていただいておりまして、私が生まれる前から西法寺にご縁をいただいておったのであります。今年の初めからご体調を崩され、入退院を繰り返される中のご往生でありました。

私が最後にお目にかかりましたのは昨年の十二月二十四日、中之島の朝日カルチャーセンターの講座でした。長男の徳行は次の二十五日、行信教校でのご法座でお目にかかっています。

四年ほど前に胃の手術をされてから、ご体調のすぐれない中、各地でご法縁をお結びくださっておられました。そんな中でも、ご家族には「行信教校だけはどんな事があっても行くんだ」とおっしゃっておられたそうであります。結果的には最後にご法座としてお話になられたご縁が行信教校の講堂でありました。

 和上には長らく春の永代経さまにご縁をいただいておりましたが、平成二十年の西法寺本堂修復法要から報恩講さまにご出講いただいていました。
ここ二年間は、本当にご不例の中を報恩講さまにご出講くださったのであります。ご法育のありがたさを思わずにはおれません。

 昨年の 報恩講さまでの梯和上の西法寺での最後のご法話です。

『私みたいに八十も半ば過ぎるとな、何が起きるやわかりゃしませんからな…、今日あって明日のことは分かれへんねんから…、危ないもんや…ほんまの話し。お互い自分の後生の一大事シカッと決めとかなあきませんで。ほんまに大丈夫か。死に際にバタバタしたかて俺は知らんで!。
 “阿弥陀さまのお浄土へ生まれさせていただきます。”“親鸞聖人と同じところへやってもらいます”とちゃんと言えますか?言いなはれや!

皆さん。今日、何のためにここへ来てんねん。報恩講や、報恩講でっせ。報恩講に参って何言うねん…、〈ご開山さま、ありがとうございました。あなたのおかげで私もあなたと同じお念仏いただいて、あなたと同じ信心をいただいて、同じお浄土で今度は遇わせていただきます。〉いうてお礼言うためにきなはったんや。それが報恩講や。

…阿弥陀さまのお救いね、一番ハッキリするのは“なんまんだぶ”という声が聞こえてくるはずだ、…、聞こえなんだら称えなはれ!称えたら聞こえてくるだろう。なんぼ耳が遠うても自分のいうた声は聞こえるわ。これは阿弥陀さまがね、〈必ずたすけるぞ、私にまかせなさいや〉とおっしゃってくださっている。そうやったなぁと、気がついたら‘ありがとうございます’と言うたらええわ、気がつかなんだら黙っとったってええ。

…いや、〈たすける〉と言うてくださってんねんから黙っとったかて助けてくれるわい。そうでしょ。

…信心ちゅうのはワシがしっかりすることとちゃいまっせ。シッカリできる者と違うが…。病気でもしてみなはれシッカリなんか出来ますかいな。そしたらシッカリせよというのは仏さまが私におっしゃってるんと違うだろ。仏さまの方がが〈心配するな、私がシッカリしてるから俺に任せとけ〉とおっしゃってるんですよ。だから‘ありがとうございます’と言えたら言いなはれ、言えなんだらそれでもええわ、それでええ。まかせといたらエエンだ。それが“まかせる”いうことや。

阿弥陀さまは〈たすけてやるぞ〉とおっしゃる。それが‘なんまんだぶつ’という言葉ですよ。〈俺が引き受けたから心配するな〉というのが阿弥陀仏という言葉の意味なんだ。ご開山はそうおっしゃる。

‘なんまんだぶつ’はね‘たすけてくださ〜い’とすがりついてるんじゃないんだ。すがるのは俺やからな、なんぼ一生懸命すがってても手の力が無うなったら抜けてしまうで。

しかし、〈たすけてやる〉いうて阿弥陀さまが抱きかかえてくださってるんだから俺が手ぇ離したかて大丈夫なんだ。…、だから阿弥陀さまの前では手放しをして全部おまかせをすること。それが信心だ。だから信心はいっぺん心得たら無くなるもんじゃないんだ。そうでしょ、阿弥陀さんにまかせたんだから。その信心は私の臨終まで一貫するんだ。

だからね、たとえ私が忘れても如来さまは忘れてくださらん。…、安心しておまかせをする。これが浄土真宗の信心といわれるもんなんですね。‘なんまんだぶつ’という声が聞こえたら、〈俺がお前を引き受けたぞ〉と阿弥陀さまが一声一声、安心を与えてくださってるんやなぁといただくんだ。…』                        合掌                               

世間解
 第317号 平成26年 7月
 念仏もうさるべし

 ーつながってあるー                                                                                                   

七月であります。有縁皆さまにはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と思います。

 『……昨日、お寺へ押しかけました…。何とかお顔が見たいと思て…、ほんなら、いまのご院さんと、先の坊守さんとでお話し…、坊守さんは「私おこられたことないねん」ていい はって、院住さんは「わたしようおこられた」て、わたし両方ですねん。怒られた事ないんです。いっぺんも怒られた事ないんです、…、そやけど夢ん中で怒られるんです…。「何 も分かってへん」て…、優しいんやらこわいんやら分からへんねん…。

 でもええご縁で育てていただきました…、育て甲斐のない不承不承の教え子ですけど…、皆さんと同じように先生の後追っかけて、仏さんのご縁をいただきました。私、何かし ゃべれ言われてももう言う事あらしませんし、…特別な事て私何もないんです。どこ切っても出てくんのは先生しかありませんので…、 何方もが思ってくださっている事やと思う んですけども、こんなご縁にあえて、こんなお方にあえて…、よかったなぁ…ほんとに ありがたいなぁ…と しみじみと思っております。
 
 そして、これも少し以前に先生の奥さまとお話しさせていただいた折りに…「言いたい事みないうていいよ」いうて坊守さんおっしゃってくださって…、
 …ほんで…、言うてもよろしいか、…、ほんで 「五十六年ありがとう」って、あ、坊守さんは、奥さまはいつも先生の事‘お父ちゃん’てよんではりました。そして「五十六年ありが とう」っておっしゃって、そして「楽しかったね」っておっしゃったんだそうです…。
 ほんならご病床の先生が「今も!」っておっしゃたんやそうです。
 「楽しかったね」「今も!」。…もうご自身のお“いのち”が何処へ向かってるかというのは百も二百もご承知でしょうけれども…、先生には 過去形ないんですね、生老病死があ  っても、いつも「今も!」。
 そして今も「楽しかったね」って言われたら 「今も楽しい」。…病のあの厳しさの中で「今も楽しい」「今も」。…、ほんまに、常々の言葉のままの…、生老病死…の中を生き抜い  てくださったな…、』


去る五月九日津村別院における梯實圓和上のお通夜での天岸浄圓先生のご法話の一節であります。




さかのぼって、平成三年の二月七日、

 『…、五日ほど前の日でございましたが、病院へ先生のお見舞いにあがったのでございます…、山本和上が私を見て〈いつまでココに居らんといかんのかいのぉ〉とおっしゃい ましたので、‘山本先生、もう少しお身体お楽になられるまでここに居ってくださいや’と申しあげますと、先生は…、
 〈そうかのぉ〉とおっしゃって…、
 〈まあ、何処に居ってもお慈悲の中やでなぁ〉と…、
 それが私が先生からお聞かせをいただいた最後の…、最期のご法話でございました…。』

山本仏骨和上のお通夜の席で、梯實圓和上は、こう御法話をくださいました。




〈何処に居ってもお慈悲の中やでなぁ〉という山本和上のお言葉、「今も!」という梯和上のお言葉、どちらも見事に現在形であります。

‘あのときこうだった’という過去の記憶でも、‘これからこうなるだろう’という未来の予測でもありません。また、‘あのときはこうやったのになぁ’と過去の己の経験にすがりつくのでも、‘こうなってくれるはずやけどなぁ’と不確実な曖昧な未来におびえるのでもありません。

阿弥陀さまの  「お前さん必ず支えてるで、安心してお念仏もうしながら日暮らしするんやで」  というご本願は、いつでも“今”ここで“今”私の上に“今”間違いなくはたらき続けておってくださっておるのであります。

山本和上に   〈何処に居ってもお慈悲の中やでなぁ 〉  と言わしめさせてくださったのも、梯和上に  「今も!」  と全く不安のないお心をお育てくださっていたのもその根源は阿弥陀さまのご本願のおはたらきでありましょう。

〈まあ、何処に居ってもお慈悲の中やでなぁ〉そして 「今も!」お言葉は違いますが、同じものが、阿弥陀さまの、親鸞聖人がお説き残しをくださった阿弥陀さまのご本願のお心がつながって流れてくださっているんやなぁとしみじみ思わせていただいた事であります。

 そして、何よりも同じ阿弥陀さまのおはたらきが、“なんまんだぶ”が、今の私の上にもかかってくださっておるのであります。          合 掌



世間解
 第318号 平成26年 8月
 念仏もうさるべし

 ーなんまんだぶ の中にー    

八月、太陽、蝉の声、風鈴の音、突然の雷雨、夏本番であります。

 有縁みなさま方には「暑いなぁ〜」の思いと共に「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ…」とお念仏ご相続の事と存じます。

夏、八月といえば関西では“お盆”の月となります

先月の〈月刊こなつちゃん〉で坊守が書いてくれてましたように浄土真宗のお盆の味わいは〈ただ先立たれた人が帰ってきはる期間〉という形のモノではありません。(是非もう一度お読みいただければありがたく思います。)

 しかし、残った私どもには精一杯気持ちを込めてお内仏さま(お仏壇)をお荘厳いたしますし、精一杯気持ちを込めてお勤めさせていただく以外に出来る事はございませんので一生懸命お勤めさせていただくわけです。

〈じいちゃんこんなこと言うてたなぁ〉 とか〈ばあちゃんこんなんしてたなぁ〉とか私の場合なら〈大将(前住職)何時でもタバコくわえてたなぁ〉とか
ご縁の中では〈あの子いまおったら幾つになるんかなぁ〉などと先立たれた方々を偲び、こころを新たにご恩を思う大切な大切なお仏事の縁の月であります。
素朴に、素朴に、そうお偲びし、お勤めいただければエエのであります。

 そして、そこに聞こえてくださるお勤めの、お念仏の声を、
“いつでも何処でも”つまり“今、ここで”私を願い続け支え続けてくださっている阿弥陀さまの、そして阿弥陀さまと一緒のおはたらきをしてくださっている‘ご往生くださった方々の’おはたらきの顕れであるといただくのであります。

浄土真宗でことさらに‘初盆’であるとか‘お盆のお勤め’を強調しないのはこういうことであります。

‘お盆’の時だけやない、いつでも〈今〉、〈今〉、〈今〉なのであります。
だから我々は、いつでも何処でも‘なんまんだぶ、なんまんだぶ’とお念仏出来るのであります。

 お念仏が出来ない時間や場所がないというのは、いつでも何処でも決して途切れる事なく私を願い続け、支え続けてくださっているおはたらきがあるからであります。

 いつもいつもお聞かせをいただく事であります。阿弥陀さまの、ご往生くださった方々の私を願い続け支え続けてくださっているおはたらきの方が先にあってくださるとお知りください。

 その願いのおはたらきが、力が私の身にみちみちてくださっているとお味わいください。

 浄土真宗の、親鸞聖人さまのご確認くださった阿弥陀さまのおはたらきは決して引き替えではありません。私が〜したから、その引き替えにご利益が…、
私が〜しなかったらご先祖が…というような体裁のモノではないのであります。

 先立たれた方の“いのち”も今の私の“いのち”も阿弥陀さまのご本願のおはたらきに支えられ願われているモノであります。その証拠がお念仏です。私の口から出て私の耳に届いてくださる“なもあみだぶつ”です。

 今の私は“なもあみだぶつ”を通して先立たれた方と遇わせていただくんです。
先立たれた方は遠いところに行かれて、‘お盆の時だけ’そ〜ろっとお帰りになるのではありません。いつでも何処でも、つねに〈今〉、〈今〉、阿弥陀さまと共に私を支え続けてくださっておるのであります。

 暑い夏、日頃ほとんどお仏事に関心の無い方までもが「そういえばしばらくお墓参りを…」などとお仏事にこころを寄せる尊いご縁である‘お盆’を通して暑いときは暑い中、涼しいときは涼しい中、寒いときは寒い中、うれしいときはうれしいまま、悲しいときは悲しいまま、何ともないときは何ともないまま、何時も〈今〉、〈今〉、私を支えてくださっているおはたらきがあってくださる。

そうご安心いただく事です。色んな事がやってきて、色んなめにおうて行かねばならない日暮らしではありますが、その 一瞬一瞬 何処をとっても阿弥陀さまは、ご往生くださった方々は私を願い続け支え続けてくださっておるのであります。

どうぞお身体充分にお大切になさっていただきまして、ご本願のおはたらきの中、いつでも何処でも私と一緒に居ってくださるご往生くださった方々と共に「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏お聞きくださいませ。                                                                         合 掌




世間解 第319号 平成26年 9月
 念仏もうさるべし

 ー門徒もの知らず  か?ー    


 各地に雨による災害が多発した厳しい夏でありました。有縁皆さまにはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と存じます。

 八月のお盆参りには大変お世話になりました、なかなか皆さまのご希望のお時間にお参りでする事が出来ずに申し訳のないことでありました。

 また本年より若院・徳行がお参りをさせていただくようになりました。今後色々とお育てをいただくことであります。何卒よろしくお願い申しあげます。

 さて、お盆のご縁では皆さまそれぞれに先立たれた方をお偲びいただいた事であろうと思いますが、何軒かのお宅で「ご院さん、ウチらよろしいなぁ‘門徒もの知らず’いうて何にもせんでもようて…」というお言葉をお聞きいたしました。

私はそのたびに「うっ…、」とお返事に詰まったり、「あのぉ…、」と言葉をえらんで、「いや、それはですねぇ」とご説明をさせていただこうとすると「あっ、ご院さん次いかなあきませんねやろ、はよ行ったげなはれ」などと気を遣うていただいたりいたしまして…(笑)←〈月刊こなつちゃん 風〉

 もうだいぶん以前に『世間解』でもお聞かせをいただいたことでありますが、改めてお聞かせをいただきたいと思います。

“門徒もの知らず”今現在ほとんどこの言葉の浄土真宗で伝えるべき正確な意味は失われています。ともうしますより全く正反対に使われていると言ってもよいと思います。仏教の言葉は色々と誤用されて参りますが、その代表格と申しあげてもいいかもしれません。特にこの言葉は先ほどのように“お盆”や
“お彼岸”の頃になると耳にするようになります。

 他のご宗旨はお盆になると〈ご先祖様が帰ってきはる〉というんで、色々とお飾りをしたり、お膳をお供えしたり、とにかく何某かの決まり事の上にお盆をお迎えになられます。対して、浄土真宗では各々のお家ではそのお家ならではの習慣があったとしても、特別な決まり事がありません。

極端に申しあげるなら全く普段通りというコトになります。それをさして、「他所は色々せんならんのに浄土真宗はあんまり色々せんでもええねん“門徒もの知らず”いうて楽やわ〜」いうて使われるのであります。

他所のご宗旨の方がおっしゃれば、「あいつら仏教の常識を知りよらへん」という意味になりますし、浄土真宗の方がそのようにお使いになれば、「私ら何でもよろしいねん、ハハハ」という呑気な感じの言葉になります。

 桐溪順忍和上のお言葉をお借りすれば、「私らが、思たり、やったりすることは阿弥陀さまのご本願の前に立てばどちらも、邪魔にもならんが、役にもたたんのでないかいの」ということになるかも知れませんが、この“門徒もの知らず”
というお言葉、“門徒物忌み知らず”という浄土真宗のご法義に根ざした大変大切な用語として使わせていただくお言葉なのであります。この場合の物忌みとは、極端にバサッと申しあげれば祟り信仰であります。

 浄土真宗は阿弥陀さまの“いつでも何処でも支えているで”というご本願のおはたらきに包まれていますから、「こんなんしたらアカンのチャウか」という畏れから解放されるんよ、というのが“門徒物忌み知らず”であります。

 しかし、だからといって決して何事をも粗末にするのではありません。いや、逆に日々の暮らしにかまけては色んな事を粗末にしてしまう私を支え続け育て続けてくださっている阿弥陀さまのおはたらきを都度都度のご縁の、日暮らしの中で味わい慎ませていただくのであります。縁の中では、苦しいことも、悲しいことも、つらいこともやってくる、その何処をとっても阿弥陀さまのご本願は私を包んでくださっている。

 私の口から出て、私の耳に届いてくださる“なんまんだぶ”となって私を支えてくださっている。「何にもセンでもエエねん」「何でもかまへんねん」というエエ加減なことではありません。一生懸命するんです。一生懸命するけれどもスカタンもするし、ちゃんと出来ないこともある。その全てをお見通しの阿弥陀さまであったなぁ。「心配せんでよかってんなぁ」という思いが、安心が
“門徒物忌み知らず”であります。
                                                                                        合 掌

世間解 第320号 平成26年 10月
 念仏もうさるべし

 ー浄土をおもうー


 さわやかな秋晴れが…、などと言いづらいことが各地で起こっております。有縁みなさま方には各々の思いの中ご本願のお念仏のことと存じます。

 
さて、我々のご宗旨は“浄土真宗”と申します。

今、普通に浄土真宗と申しますと、たとえば天台宗や真言宗や日蓮宗やという宗派・宗教団体の名前として用いられています。

 それはそれで結構でありますが、度々お聞かせいただきますように親鸞聖人がそのお書物の中で“浄土真宗”とおっしゃったときには“阿弥陀さまの第十八願のおはたらき”を指します。

 阿弥陀さまが、「お前さん、必ず私の浄土に生まれてかえってくることが出来ると欲って、それまでの日暮らしはお念仏をしながら過ごして行ってくれよ」と願い、その通りにおはたらきくださっている本願力のことを“浄土真宗”とおっしゃってくださったのであります。

“お浄土に生まれさせていただく事を真のよりどころ、かなめ(宗)とさせていただく生き方”ということであります。

 ここしばらく、“お浄土”のことを思うのであります。

お聖教の中にはお浄土には三つの荘厳(相といってもいいし、無くてはならないものと味わわせていただくことも出来ましょう)があるとお説きくださるのであります。国土荘厳・仏荘厳・聖聚荘厳の三つであります。

難しいお言葉でありますが、早い話が、‘場所’と‘主人’と‘仲間’ということです。‘この三つがちゃんと揃うてくださってるのが阿弥陀さまのお浄土やで’ということであります。

 なんぼ綺麗なキラキラした場所だけあってもそこにポツンと一人で居っても周りがキラキラしてればしてるだけかえって寂しいのであります。場所だけあってもアカンのであります。
そこには待ってくれる人、迎えてくれる人が要るのであります。

娑婆のご縁で味わえば〈親〉であります。親のいるところは自分の家なんです。

利井明弘先生の奥さま、聡子坊守さまはお父様がご往生になられたとお聞きになって、涙をこらえてしずかに「だんだん家に帰りにくなるなぁ」とおっしゃったそうであります。

 梯實圓和上は
「私は姫路の奥の夢前という所の出ぇなんですが、父や母が元気な頃なんかに家に帰りますと、母が〈おお、よう戻ったなぁ〉いうて迎えてくれますし、父も〈今夜は久しぶりに一杯やるか〉なんかいうて言いますし、私は、私で〈ただいま〜〉いうて帰ったもんです。自分の家は〈ただいま〜〉いうて帰れるんですね。しかし父や母が居らんようになりますとね、自分が生まれた家であっても〈ただいま〜〉とは言いにくくなるんですね。これはしゃあないわ、今やったら甥っ子がちゃぁんと家を守ってくれてますけど、‘家に帰る’と言うよりも‘家に行く’という感じになりますもんね。やっぱり〈ただいま〜〉いうて帰れるのは親の居るとこですな。お浄土はそうなんですよ。〈お邪魔します…〉とちごて〈ただいま〜〉いうて帰って行けるとこですわ。ほんまでっせ」
とおっしゃっていました。

 山本仏骨和上はご病床で上向いて何か指を動かしておられる。看病をされていた攝叡先生の奥さまと和上の会話、
「お父さん何してはりますの」
「うん、字ぃを書いてるんだぁ」
「なんて書いてはりますの」
「これは、帰悦と書いてるんだ」
「帰悦てなんですの」
「悦んで帰らせてもらうちゅうこと、平とう言うたらなぁ親元に帰らせてもらう言うことだなぁ…」

 阿弥陀さまのお浄土はさとりの世界です。

娑婆ではエエの悪いの、好きの嫌いの、通るの通らんの…と自分の都合でしか物を考えられない私が、あらゆる“いのち”を尊いものとして願い、支え、育て、救うことの出来る身とならせていただく浄土とはそういう世界である。

そんな事を聞いても“わあ、すごいなぁ、それやったら行きたいなぁ”とも何とも思わん私に“あの人たちに会えんねやったら行ってみてもエエなぁ”とお浄土を慕うこころが恵まれる。

色んな方が、色んな形で私に浄土への、さとりへの道をつなげておってくださってあるんだなぁとこの頃思うのであります。
                                                                                 合 掌




世間解 第321号 平成26年 11月
 念仏もうさるべし

 ーお浄土をおもう 2ー


 十一月、どんどんと秋が深まり冬に向かう季節であります。ピリッとした気候の中で有縁皆さまには阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と存じます。

浄土真宗の祖師・親鸞聖人は言葉に大変厳格な、敏感なお方でありました…。それはそうです。“阿弥陀さまのご本願”といってもそれは〈言葉〉となって私に届き、私を支え、お育てくださってあるのです。そんな中にこんなご法語がございます。

  「恒」はつねにといふ、… いまつねにといふは、たえぬこころなり、をりにしたがうて、ときどきもねがへといふなり。いまつねにといふは、常の 義にはあらず。常といふは、つねなること、ひまなかれといふこころなり。
  ときとしてたえず、ところとしてへだてずきらはぬを常といふなり。

このご法語は「恒」という字の‘つね’と「常」という字の‘つね’では同じ
‘つね’と読む字でも意味が違いますよとご注意くださったご文であります。

「恒」という字の‘つね’は‘折りにしたがって時々’ということ。「常」という字の‘つね’は‘時として絶えず、所として隔てず嫌わぬ’という意味である…とおっしゃるのであります。つまり、同じ‘つね’でも、〈時々〉という‘つね’と、〈ずーっと〉という‘つね’があるんだとお教えくださるのであります。

 何度かお聞かせをいただいたことであったかと思いますが、「恒」という字の‘つね’は私の側の行い、つまり私は〈時々〉お念仏をさせていただくのですから、私の行いは「恒」という字の‘つね’であります。

それに対して、「常」という字の‘つね’は阿弥陀さまのおはたらきであります。どんな時にも途切れることなく、ずーっとこの私を願い続け支え続けてくださっておるのであります。そのおはたらきがあってくださるから、お念仏ご相続怠りまくりの私が、時々にでも「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏させていただくことが出来ておるのであります。

〈阿弥陀さまのおはたらきは何時でも私にかかってくださっている。
「お正信偈」さまに「大悲無倦常照我」
(大悲ものうきこと無くして常に我を照らしたもうといへり)
とおっしゃってくださるとおりであります…。〉
などとご縁があればお取り次ぎをさせていただいておったのであります。

〈阿弥陀さまは途切れることなくずーっと私を支えてくださってあんねんなぁ、有り難いなぁ〉などと、ただそう思っておったのであります。毎朝のようにお勤めをし、都度都度に味わわせていただいております「お正信偈」さまで、やっと気づかせていただいたことがございました。

  貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天

〈貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆へり〉…ほんまに途切れることなくずーっと続いておるのは私の欲や怒りの煩悩のこころだったのであります。

何度も何度も読ませていただいておったんです…。

 やっと阿弥陀さまの〈常に我を照らしてくださる〉意味を知らせていただいたような気がします。

阿弥陀さまが〈途切れることなくずーっと〉おはたらきくださっているというのは、私の煩悩が一瞬も途切れることが無いからであったかと、改めて気づかせていただいたのであります。煩悩のとれることのない私は、阿弥陀さまのお浄土へ往かなければ決して自分勝手な煩悩の束縛から解放された覚りの身とならせていただくことは出来ないのであります。

今の、この世をよりよく生きるために我々は色んな努力をいたします。大事なことです。言うてエエ事と悪いこと。してエエ事と悪いこと。思てエエ事と悪いこと。色んな事を考え、たしなみ、慎みながら日暮らしをさせていただかねばなりません。あたりまえのことです。

しかし、本当の意味で、あらゆる“いのち”を、事柄を、つながりを、尊いこととして包み、支えることが出来るのは阿弥陀さまのお浄土へ生まれさせていただいて、阿弥陀さまと同じお覚りを開かせていただいてからであります。

親鸞聖人は阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中で“お念仏をもうしながら生きて行くんだよ”とお教えをくださいました。お念仏をご相続させていただき、お念仏に支えられながら日暮らしをさせていただきましょう。

その日暮らしは、さとりの浄土へ向かった日暮らしであった。阿弥陀さまは、自分勝手な思いから離れることの出来ない私を、覚りの身とするためにご本願をおたてくださり、お浄土をしつらえてくださったのであります。                                         合 掌



世間解 第322号 平成26年 12月
 念仏もうさるべし

 ーお浄土をおもう 3ー

 十二月、年の暮れであります。本年に限ったことではありませんが、色々なことがありましたし、毎年この頃になりますと「もう年の暮れか、一年速いなぁ」と思うことであります。

年の暮れになりますと、過ぎし時を振り返り、新たな歳に思いをはせて…「よし、来年はこれをしよう!」などと思うことがありますが、白状いたしますと、私はその通り出来たためしがありません。

 だいたいエエ事なら直にやりゃぁええのに、「来年こそ!」などと先延ばしをしているところにやる気のない形が見え隠れしているのであります。
 桐溪順忍和上は「どうも私は怠け者で、“来年こそこころ新たに…”と言うけれども気がついたのならそこから始めればエエンだわね」とおっしゃっておられました。

 しかし、年の暮れに色々なことを考え、こころ新たに日暮らしをさせていただく。ぐうたらな私にとって、年があらたまるというのは色んなものを再確認させていただく大きなご縁であるかも知れません。

 今年の五月七日に西法寺にとっても、ご縁のお同行さまにとっても、私個人や家族にとっても大変お世話になりお育てをいただいた梯實圓和上がお浄土に
お還りになられました。

「和上お浄土へ往かれたなぁ、こっちは寂しなるけどあっちはにぎやこうなったやろなぁ、こっちで引き留める人もぎょうさんおったけどあっちで待ってはった方もぎょうさんおられるんやろなぁ…」

などと色んな事を考えつつも、改めて“お浄土”ということについて思わせていただくこの頃なのであります。

 梯和上は「お浄土は往生させていただくところに違いないけど、ただ行くとこと違いまっせ。やっぱり帰るとこやろなぁ、“ただいまぁ〜”いうて帰れるとこでっせ。帰るとこ言うのはね、親のおるとこですわ。親がおってくれるとこは帰って行けるとこですわ」とおっしゃっていました。

 阿弥陀さまは私を見そなわして…、これは今だけではありません。思いはかることの出来ない過去から、早い話が私が迷い続けてきた全てをご覧くださって、この私を“もう迷いの境界におくことはない”とお浄土を建立してくださったのであります。

『歎異抄』というお聖教の、
  久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養  浄土はこひしからず候ふこと、…
というご法語に言い訳を求めるわけではありませんが、阿弥陀さまのお浄土がどれだけ素晴らしいところであるとお聞きしても「そうですか、では悦んで寄せていただきます」とはならんのであります。

 梯和上がご往生になられて私は改めてお浄土のことについて何となく考えておったのであります。

「和上お浄土へ往ってしまわれたなぁ…」
「そやけどワシもお浄土へ寄せてもろたらまたお目にかかれんねんなぁ…」
そんな事を思いながらふと思いが巡ったのであります。

“お浄土へ往かせてもろたら阿弥陀さまと同じお覚りの身にさせていただく”ということであります。

 阿弥陀さまが私に“お浄土へ生まれて来いよ”とおっしゃってくださっている根本の意味は私を“生死を超え、怨憎と愛着に纏わられている“いのち”を支え包むことの出来る身”に仕上げてくださることであったことに改めて気づかせていただいたのであります。

 そのままなら覚りを開かせていただこうととする思いは勿論、お浄土へ往きたいとさえも思はない私を、浄土にこころ向けさせてくださる色々なお育てがあってくださったのであります。しかし、そんな事もすぐに忘れて“エエの、悪いの、好きの、嫌いの…”と自身の我執にとらわれる日暮らしをしておるのであります。

 そして、その私を途切れることなく“をさめまもりてすてず”という阿弥陀さまのご本願のおはたらきが“なんまんだぶ”というお念仏になって私に響き、
私の心が、“お覚りの身にならせていただかんとあかんねんなぁ”とお浄土に向くように、色んなご縁になっておはたらきくださっておるのであります。合掌


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