世間解 第299号 平成25年 1月
 念仏もうさるべし
ーあたらしいとしにー

 新年あけましておめでとうございます。本年もご一緒にご聴聞重ねさせていただきお互いお念仏に触れ育てられる日暮らしを送らせていただきたいものであると思っております。なにとぞよろしくお願い申しあげます。
 さて、西法寺のご本堂、中にお参りただきますと。正面に「遠慶宿縁」という扁額を掲げさせていただいております。
 数々のお育てをいただいている梯實圓和上にご揮毫いただいたものです。
 親鸞聖人がお書き残しをくださいました浄土真宗の根本聖典、『顕浄土真実教行證文類』(『教行証文類』)の序分に説かれているお言葉であります。
「遠く宿縁を慶べ」と読ませていただきます。序分のお言葉少し前からご拝読させていただきますと、
〈ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。〉
というご法語であります。現代語訳では、〈ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ。〉となっております。難しいお言葉が並んでおりますが、要するに“今こうして「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏させていただき、ご法義に親しむ身にならせていただいた、そこにはいろいろなご縁、お育てがあったに違いないその事を慶ばせていただこう。”ということであります。もっとつづめると「今、お念仏出来ていることが何より尊いことであったなぁ」と慶ばせていただく事であります。
 いつもお聞かせをいただくことでありますが、我々は自分の力だけでは決してお念仏をいたしません。私の口に“なんまんだぶ”とお念仏が出て、私の耳に
“なんまんだぶ”とお念仏が届いてくださるもとには必ず阿弥陀さまのご本願のおはたらきがあってくださっているのです。
もっといえば、お念仏申しているということは、それがそのまま“阿弥陀さまに出遇っている”ということであります。
 わたしがこうして「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申す身になるまでには阿弥陀さまのご本願がそのもとにあってくださるのはもちろんでありますが、そのほかにもいろいろな形で私に関わりお育てくださったご縁があってくださったに違いないのであります。
 さて、今年の「法語カレンダー」(お手元に無い方はご遠慮なくおっしゃってください)一月のご法語は、
 とにかく お慈悲の力は ぬくいでなあ
という、妙好人・足利源左さんのお言葉でありました。
あっさり拝読すれば“阿弥陀さまのお慈悲は暖かいなぁ”ということでありますが…、私は「とにかく」とおっしゃってくださるところに阿弥陀さまのおはたらきのありがたさを思うのであります。この「とにかく」というお言葉の中には‘言葉では言い表せない全ての思い’が包まれているのではないかなと…。
 日頃いろいろな出来事の中で、縁のある人や直接にご縁の無い方も含めて「良かったなぁ」とか「嬉しいなぁ」とか、逆に「うわー、大変やなぁ」とか「これからどないしはんねやろなぁ」とか思わせていただく事があります。
辛いことや悲しいことが自分自身の上に降りかかればなおさらです。
 嬉しいことや楽しいことはたやすく受容できますが、辛いこと悲しいこと苦しいこと、それをそのまま受容することはなかなか出来ません。
その苦しいことや悲しいことを無くしてくださるおはらたきではないけれども、
“どないしたらええやろう”“うわーっ”という苦しい、辛い、今は自分で自分をどうする事も出来ない、そんなどうにもならない私をそのまま包んでくださるおはたらきであるという思いが「とにかく」という表現であり「お慈悲の力は ぬくいでなあ」という安心のお言葉であろうかと味わわせていただくのであります。
私の一声一声の〈なもあみだぶつ〉に阿弥陀さまの大きな大きなおはたらきがかかってくださってあったんやなぁいう感慨の一つが「遠く宿縁を慶べ」というお言葉でありましょう。                        合 掌


世間解
 第300号 平成25年 2月
 念仏もうさるべし

ーなんまんだぶー

 皆さま方にはご本願のおはたらきの中、お念仏の日暮しをお送りのことと思います。ぽそぽそと綴りながらお聞かせ続けてまいりました『世間解』が号を重ねまして三百という事になりました。二十五年であります。
全く個人的なことですが、なにやら感慨深いものがあります。それと同時にいろいろな先生方やご縁のある皆さまから多くのお育てを受けているなぁ、たくさんのことをお聞かせいただいたなぁ…とありがたく思うことであります。
 そんな事で今月はしっかりと原点に立ち返ってお聞かせをいただきたいと思います。「南無阿弥陀仏」とは何か?であります。
 元々は、ナマスアミターバーあるいはナマスアミターユスというインドの言葉であります。それを中国の方が発音に近い字を充てて「南無阿弥陀仏」と音訳してくださったのであります。
 親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまのおはたらきの顕れであるとお説き残しくださいました。「南無阿弥陀仏」とは阿弥陀さまの方から言えば“必ず支え救いきってみせるぞ”というおはたらきであり、我々の心持ちとして味わう時は“たすけてくださる阿弥陀さま”ということであります。決して‘たすけてください阿弥陀さま’ではありません。“たすけてくださる阿弥陀さま”であります。それで充分なのですが、キッチリと分解をして意味をとりますと。〈ナマス〉とは「心から敬意を表す」という事ですが、浄土真宗では「おまかせをする」という意味で味わいます。
〈アミターバー〉は〈ア〉と〈ミター〉と〈アーバ〉に分解される言葉で、〈ア〉は〈〜出来ない〉という否定を表す語、〈ミター〉は〈計量する、計る〉という意味。〈アーバ〉は〈光〉であります。つまり〈量ることの出来ない光〉ということで翻訳すれば〈無量光〉ということです。
〈アミターユス〉も同じ事ですが、こちらは〈ア〉と〈ミター〉と〈アーユス〉に分解される言葉です。〈アーユス〉とは〈寿命〉の事ですから翻訳すれば〈無量寿〉ということになります。
 インドでは阿弥陀さまは〈限りの無い光の仏さま〉〈限りの無い寿の仏さま〉と二つの表現であがめられていました。
〈無量光〉限りの無い光とは、例えば太陽の光があらゆるところに届き万物を育むように阿弥陀さまのおはたらきの届かないところはありませんよ、ということでこれは“どこでも”というお味わいであります。
〈無量寿〉限りの無い寿とは、阿弥陀さまがはたらいてくださっていない時は一瞬も無いよ、ということでこれは“いつでも”というお味わいであります。
早い話が、阿弥陀仏とは“いつでも・どこでも”という意味であります。
親鸞聖人が「お正信偈」さまの最初に「帰命無量寿如来・南無不可思議光」と讃詠されているのは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とおっしゃってくださっているのと同じ事なのであります。
 中国の仏教者は〈アミターバー〉〈アミターユス〉この二つの意味のどちらにも偏ることの無いように「阿弥陀仏」という音訳語を紡ぎ出してくれてのであります。
 さて、この“いつでも・どこでも”について、山本仏骨という和上さまは「いつでも・どこでも と聞いたら、いつだろう・どこだろう と探すんじゃ無いのよ。“今・ここで”と安心させていただくんだ」とお教えくださいましたし、桐溪順忍和上は「阿弥陀さまのおはたらきは、“帰命無量寿如来”いつでも、“南無不可思議光”どこでも。それで結構、その通りではございましょうが、“いつでも・どこでも”そして“どんな者をも”というのが阿弥陀さまのおはたらきだと味おうてええんでないだろうか。“どんな者をも”とおっしゃってくださるので私が安心できるんでないんですか」とおっしゃってくださいました。
 私の“いのち”の一瞬、一瞬何処を切り取っても阿弥陀さまはご一緒です。離れてくださることはありません。わたしが、お念仏申そうと思えば「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」と称えることが出来る。それが阿弥陀さまがいつでも・どこでも、一緒に居ってくださっているからであります。私の口から出てくださる南無阿弥陀仏はそのままが阿弥陀さまのおはたらきの顕れだったのす。合 掌


世間解
 第301号 平成25年 3月
 念仏もうさるべし

ーなんまんだぶー
〔…弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと[云々]…〕
〔…しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。…〕この二つのご文は親鸞聖人のお言葉を集めて編纂された『歎異抄』というお書物の一節であります。どちらも私の“いのち”が間違いなく阿弥陀さまのご本願のおはたらき、すなわち“なもあみだぶつ”に支え続けられ、この娑婆の縁が臨終という形で切れると同時に阿弥陀さまのお浄土へ生まれさせていただくんだという浄土真宗の救い相を顕してくださっているご法語であります。
『…妙なことをいいますが、私は死ぬるときは有り難うのうても、有り難そうな顔して死にたいんじゃが、どうじゃろうか?賛成者おらんかいぉ。
まぁまぁ、これはいわんでも分かるっとるわね、みいんなそない思とるんでないかいのぉ。いっぺん聞いてみたいんじゃ。
これはね、一つは欲が深いんじゃ。〈あの人、死ぬとき有り難い顔して死んだそうな〉いうてほめてもらいたい欲があるんじゃ。もう一つはね、残った者に嫌な思いをさせたくない。〈鬼が来た!〉なんか言うて亡くなったらしい、なんか聞いたらええ気はせんわね。だからそういう、残った者のことを思うと…という思いも確かにあるでしょう。しかしね、その時の私の縁ならね、〈鬼が来た!〉いうて息が切れるかもしれんわね…。
 後でね、「桐溪先生、鬼が来た!いうて終わったそうねな、お気の毒に…」いうて同情して下さる方は同情して下さい。〈ありがとう〉いうてお礼いうとくわ。反対にね、「桐溪先生、鬼が来た!いうて終わったそうな、平生偉そうに言うとってから、あら、お浄土へ参っとらんぞ、あらぁ地獄行きじゃ」なんかいうて悪口言いたい人は言うて下さい。
 あんたらに、どう言われても、私はあんたらに連れて行ってもらうんじゃないんだから。どうでも好きなように言いなさいや。いやホントですよ。私の死に様がどんなふうで、人がどういうて下さっても、私の行くところは阿弥陀さまがお決め下さってあるんでないかいのぉ。』
これは桐溪順忍和上からお聞かせいただいたお言葉です。
梯實圓和上は、
『ワシはまだ死んだこと無いから、死ぬ時どんなことになるかわからんけどね、けど、苦しいんやろうと思うわ。ジタバタするかもしらんけどな、そやけど安心してジタバタしなはれ。』
『“いのち”終わって行くということは、おさとりを開かせていただくことなんだな。もちろん寂しさや、悲しさはあるけれども“いのち”終わっていった人を見て“おさとりを開かれたんやなぁ”と味わわせていただく、それが親鸞聖人のご法義です。』こうお教えくださいました。ありがたいお育てに遇わせていただいたものだと心から思います。
 皆さまにお世話になっておりました、西法寺前坊守・星野親子が去る二月八日、九十一歳をもって臨終を迎えさせていただきました。有縁皆さまにご連絡が行き届きませずお詫び申しあげますと共に、あらためてお礼申しあげます。 合 掌


世間解
 第302号 平成25年 4月
 念仏もうさるべし

ー春のおもいでー
 春、四月であります。有縁皆さま方にはご本願のおはたらきの中、お念仏ご相続のことと思います。ようやく春らしくなり、いろいろなお花も咲いてくる何か楽しくウキウキする季節であります。また、四月は年度が改まり入学・進級・就職…と新しい事の始まる月であります。
 私がずっとお育てをいただき続けている高槻の行信教校に入学させていただいたのは昭和五十九年でありましたから、今から二十九年前の四月でありました。
ご存じのように父である前住職が行信教校の卒業生でありましたので、「あのな、ここはこうなって、アレはこうで…。」などと色々と言うてくれておりましたが、浄土真宗のことを本格的に学んだことのない私は“これからどないなるかな〜”という漠然とした思いの中におったような気がします。
 そんな事で、父が「教科書はこれや」というて数冊の本を見せてくれました。
『真宗聖教全書』という部の厚い本でありました。今でこそご本山から『註釈版聖典』という大変読みやすいお聖教が出版されておりますが、当時はその『真宗聖教全書』というお聖教が教科書として基本的なものでありました。全部で五巻あります。その第一巻目が「三経七祖部」といいまして、
浄土三部経と七高僧のお書きくださったお書物を集めたものでした。当時はそんな事も全く知らずに「ふ〜ん」言うて手にとって開いてみますと、まあ中は
‘漢字’ばっかり。‘漢字、漢字、漢字…’何処のページ開いても漢字しか書いてありません。所々に小さい小さい字のカタカナが見えるくらい。見たこともないような字が並んでいるようなところもありました。
“かなんなぁ〜”こんなんずーっと読んで行かんならんのか“たまらんなぁ〜”というのが正直な感想でした。
…入学をさせていただいて一月くらいたった頃でしょうか、当時我々が
〈若先生〉とお呼びしていた後に校長先生になられる利井明弘先生が講義でこんな事をおっしゃってくださいました。
「君ら山本仏骨和上知ってるやろ…。」
山本和上は今、私がお育てをいただき続けている梯實圓和上や高田慈昭和上のお師匠さまで、当時は七十五歳くらい、勧学和上という学問の最高の位におられ龍谷大学教授、伝道院院長と浄土真宗だけにとどまらず仏教については端から端までご存じというまさに学徳兼備という和上さまでありました。
父の恩師でもあり、私も何度か授業でお顔を拝見しておりましたし、「山本和上は有り難い」という先のようなお話は聞いてはおりましてので、我々は「ハイ」という顔をして明弘先生のお話をお聞きしておったと思います。先生は続けて、
「山本和上な、あのお歳で、色々ご苦労もなさって、行信教校でずーっと勉強しはって今は勧学和上やんか。人生の酸いも甘いも噛み分けてや、まあ言うたら仏教の神髄を究めたような和上さまや。そんな和上やったら何時でもニコニコ、ニコニコしてはると思わへん?いや、思うでしょ。」
私は“まぁそんなもんやろなぁ”という感じで聞いていたはずです。すると、
「あのね、山本和上かて怒りはんねんで…、真っ赤な顔して怒りはる時あんねん。ほんまに…。そやけどね、怒りはってからがごっついねん。山本和上かて怒りはるけど僕らと違うんはね〈山本和上はすぐに怒ったことに気がつきはんねん〉…。」
もう三十年近く前のことですからその当時‘ハッキリとこう思った’ということは思い出せませんが、わたしはこの明弘先生のお話をお聞きした時に
“浄土真宗の勉強いうのは、なんかこうう難しぃ顔して漢字ばっかり読まんといかんということだけではなさそうやな…”と何となくホッとした覚えがあります。
 その後、数々のお育てをいただきながら今思いますことは、山本和上に〈また怒ってしもたな、ほんまは怒らんにこしたことないのにな…〉と気づかせてくださったおはたらきがあったんやなと。それが阿弥陀さまのおはたらきやねんなと。同じおはたらきが私にもかかってくださってて、そのおはらたきが私に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏させてくださってるんやなと…。有り難いお育てに遇わせていただいた事であると思うのであります。      合 掌


世間解
 第303号 平成25年 5月
 念仏もうさるべし

ー本願力ー
 
 薫風香る五月であります。有縁皆さま方にはご本願のおはたらきの中、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと思います。
 さて、私はこの『世間解』で度々〈ご本願のおはたらきの中〉という言葉を申しあげております。度々申しあげておりますので、「ああ、本願力のおはたらきなぁ」くらいですーっとお通りいただいておることかと思いますが、今回は「本願力」ということについて改めて少しお聞かせをいただきたいと思います。
「本願力」というお言葉は“本願”と“力”に分けることが出来ます。
“本願”をさらに分解すると、“本”と“願”に分かれますが、“本”は〈もと〉“願”は〈ねがい〉ですから“本願”とは〈もとの願い〉という意味でお考えいただければ良いと思います。具体的には〔阿弥陀さまがこの私を必ず救いきらずにはおかない、救いきってみせる〕と願ってくださったことをさします。なぜ〈願〉〈ねがい〉というものはおこるのでしょう。それは、そのようになっていない現実がある≠ゥらであります。難しいことではありません。早い話が、例えば七時に朝ご飯を召しあがった方には十時頃になって「ああ、朝ご飯食べたいよ〜」という願いはおこりません。朝、バタバタしていて朝ご飯があたっていないという方があられましたら、落ち着かれた瞬間に「朝ご飯食べたい!」という願いが起こりましょう、‘そのようになっていないからそのようにしようと思う心’〈願〉とはそういうものです。
 阿弥陀さまは〈願〉を発してくださったのであります。どのような願いかといえば、いつもお聞かせいただく通りであります。
“お前さん、ほんまに、疑いなく、浄土に生まれることが出来ると欲って、それまでの日暮らしはお念仏を申しながら生きていってくれよ”
と願ってくださったのであります。もう少し言い方を変えますと、“必ず覚りの身にしてみせる、念仏をもうしながら生きよ”ということであります。
私が、迷いの身であり、お念仏を申すことがないからこのような願いをおたてくださったのであります。
 そして、その阿弥陀さまの〈願〉は、ただ〈こ〜なってくれたらいいなぁ〉と願ってくださっているだけではありませんでした。「阿弥陀さまのご本願は〈力〉となって、はたらいてくださっているぞ」とお教えくださったのが親鸞聖人でありました。
〈力〉とは、ものの形を変えたり、動かしたりするはたらきのことです。
例えば、皆さんがお内仏さまにお参りいただく、バチをもってチーンとおリンをたたかれます。皆さまがお内仏さまの前にお座りになっただけでは決してチーンと音は鳴りません。鳴ったら不気味です。
 皆さんの手でバチを持っておリンをたたくからチーンと音が鳴るわけです、バチだけが勝手に動くことはありません。バチを動かしたのが皆さんの手の〈力〉であります。これが〈力〉というものです。
阿弥陀さまのご本願には〈力〉があってくださるのであります。〈本願力〉とは“ご本願の力”ということでありましょうが、“願いの通りにする力”と味わわせていただいても良いと思います。「お念仏してくれよ」という願いは私に「お念仏させる力」となってくださっておるのであります。
 私に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申させてくださっている力が私の“いのち”をまっすぐにお浄土へつなげ、私を必ず阿弥陀さまと同じ覚りの身としてくださる力なのであります。
 ご本願はいろんな形で私の“いのち”を支えてくださいますが、“ご本願のおはたらき”は目の当たりに見えるというものではありません。しかし、おじいちゃんでもええ、おばあちゃんでもええ、嫁さんでも、旦那さんでも子たちでも、隣の人でも自分自身でも誰でも結構です、その人の“なんまんだぶ”というお念仏に“ご本願のおはたらき”を感じ味わわせていただくのであります。ご本願を感じさせていただくのに一番手っ取り早いのはご自身で「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏いただくことです。そこには間違いなしに阿弥陀さまの、ご往生くださった方々の「お前さん、必ず支えてるで」というご本願のお力があってくださっておるのであります。                 合 掌


世間解 第304号 平成25年 6月
 念仏もうさるべし

ー往生 お盆に寄せて ー

 季節が進み、梅雨の頃となりました。皆さま方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と思います。
  〈願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国〉
この御文、お勤行にお遇いくださっている皆さまや、ご自身でお勤行くださる皆さまにはよくご存じの、あるいは‘どこかで聞いたような’というお言葉であろうと思います。元々は中国の善導大師さまがお書き残しくださったお聖教の中に説かれているお言葉でありますが、それを取り出しまして、浄土真宗のお勤行は多くの場合このお言葉でお勤行を終わっていきます。〔回向句〕と申します。〈願はくはこの功徳をもつて、平等に一切に施し、同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん。〉と読ませていただきます。
 
 私は子どもの時分、父親の隣に座らされて、何を言うてるのか、どこを読んでるのかさっぱり分からんお勤行を足の痛さを我慢しながらじーっと聞いておりました。父が「がぁ〜んにぃしぃ〜」いうていいますと、‘あぁ、もうすぐ終わりや’と、この御文を足の痛さから解放される合図くらいに思っておりました。申し訳のないことであります。さて、この御文のことに最後のお言葉、いや、仏さまからのお言葉と味わわせていただくならば佛語と申しあげるべきでありましょう。それが“往生”という佛語であります。

 往生という言葉は今、日常語として使われますので、いろんな意味で、いろんな場面で使われてはまいりますが、“往生”という言葉でお勤行を結んでいく程、阿弥陀さまの、浄土真宗のご法義の中では大切に、大切に使われ護られてきた佛語の一つであります。“往生”の往はゆく≠ニいう事ですし、生はうまれる≠ニいうことであります。

 梯實圓和上は「私の“いのち”の意味と方向をハッキリと知らせていただく事、ご法義に遇わせていただくというのはそういうことです。」とお教えくださいました。「皆さんが生まれてきてから今まで、何年あったか知らん、ドンだけ生きてきたか知らんけど、自分の“いのち”の意味と方向を考える時間は結構あったんとちゃいますか。困った時や弱った時に‘ど〜ぉしょう〜’言うてたんでは、私を願い続け支え続けてくださっている阿弥陀さまに義理悪いでっせ、ほんまのとこ…」とお覚しもくださいました。

 私の“いのち”の意味と方向を支え導いてくださる佛語の一つが“往生”という佛語です。私は何時、何処でどんな形でこの娑婆の縁を終わっていかねばならないかそれは分からない。それを臨終と言うけれども、しかし、何時、何処でどんな形で臨終を迎えてもその次に待ってくださっているのは“往生”という新しい開けである。臨終の次は決して‘虚しい滅び’ではない。阿弥陀さまのご本願のおはたらきによって、阿弥陀さまのお浄土にいって(往)そして阿弥陀さまと同じお覚りの身と生まれさせていただく(生)。私の“いのち”は阿弥陀さまによってそんなふうに願われ、そんな尊い意味を持たせていただいてあったんだな、と私の生きてあることと、やがて必ずやってくる臨終のさきに光を味わっていく。確認する必要はありません。「阿弥陀さんがそない決めてくれてはんのか」くらいで結構うです。“往生”という佛語がそれをちゃんと支えてくださっています。
 
 それはもちろん私の上に実現することでありますが、先立たれた方々を“ご往生くださった方”と味わわせていただけるということもあります。〈先立たれた方々は阿弥陀さまのお浄土に往って阿弥陀さまと同じおはたらきをしてくださってるんやなぁ〉〈今の私を阿弥陀さまと一緒になって支えてくださってるんやなぁ〉〈今の私の‘なんまんだぶ’というお念仏がそのおはたらきのあらわれなんやなぁ〉と味わわせていただく時、“往生”の生は‘生きる’と読める字ともなります。

 お隠れになったなと思っている先立たれた方は阿弥陀さまと共に私の上に生き続けてくださっておるのであります。浄土真宗でことさらに、「お盆や」「初盆や」「どないしたらエエンや」とバタバタしないわけがそこにあります。もちろん御仏事として丁寧におつとめはさせて頂きましょうけれども、それが「帰ってきはんねん、いつ頃帰ってきはんねやろ」という目に見えない、なんだかよく分からない漠然とした思いでお偲びするのでは無しに、私の「なんまんだぶ」というお念仏や日暮らしの中に“何時でも一緒に居ってくれてはんねんやんか”とハッキリと実感し安心させていただくのであります。                                               合 掌



世間解 第305号 平成25年 7月
 
念仏もうさるべし

そのままいただく ー

 皆さまにはご本願のおはたらきの中でお念仏ご相続の事と思います。
時が重なり七月になりました。本年もしっかり半年が過ぎたのであります。

さて、 先日テレビの情報番組を見ておりまして、「今、フランスの救急隊員が催眠術的な技術を応用して緊急のけが人や病人の方の気持ちや心身を和らげるという取り組みをしている。」というお話しをされておりました。
その中で、催眠効果が有効になるには、患者(けが人・病人)と救急隊員の間の信頼関係と、その場の状況が大切でしょうね…、という形でお話しが進んでおったように思います。そのままいただく事が出来れば状況が落ちつくということでしょうか、おもしろいなぁと思うてお聞きをしたのであります。例えば…、

隊員さん 「私がお助けしますよ、ダイジョウブですよ、安心してください。」
 私   「たすけてくださるんですね、ありがとうございます。」
これで話しが収まって、さあ急いで病院へ行きましょう〜となるのであります。

隊員さん 「私がお助けしますよ、ダイジョウブですよ、安心してください。」
 私   「いらん、いらん、ほっといてくれ」
これで終わってしまえば最後はどっちも‘困ったなぁ’ということになります。

 ほんまのところは分かりません。分かりませんが、お話をお聞きいたしておりまして、救急隊員の方が催眠術をもって患者さんに当たられようとする、呼びかけられるということは、まず患者さんの不安を和らげて安心させることが一番でしょうし、もう一ついえばいらん、ほっといてくれ≠ニいわない状態に気持ちを落ちつかせること…というのがあるのではないかと思たのであります。

催眠術とは全く一緒になりませんが、“先方の呼びかけに応じる”という点では我々のご法義と共通するものがあります。親鸞聖人は信心とは“無疑”“疑いのないことである”とおっしゃるのであります。言い方を変えますと〈阿弥陀さまのおっしゃることを聞き受けその通りにする、あるいはその通りになることだよ〉とお教えくださるのであります。自分で、今までの経験や好みから‘これこれこういうことだな’と決めるのではありません。親鸞聖人はそれを‘自力の計らい’とおっしゃるのであります。‘計らい’は日暮らしの上では大変大切なものです。

言うてエエ事とアカン事、してエエ事とアカン事、せなアカン事とせんでもエエ事…お互いさまの日暮らしの上で計らうことはとても大事です。
「計ろうたらあかんらしいで」いうて、計らいを全てなくして「な〜んにもせんでもええねん」などというぐうたらな事ではありません。

私の“いのち”の意味と方向という一点においては、自身の経験や考えというものを横に置いておく。阿弥陀さまの“お前さん必ず支えてるで、私のお浄土に生まれて帰ってくるねんで”とおっしゃってくださる阿弥陀さまのご本願、おはたらきに「はい、そうでございましたか」と順うことです。阿弥陀さまのおはたらきを「ほんまか?」「そんあことあるかい!」とはねのけるところには何万年たっても私の上に安心は恵まれません。
‘どないしたら信じれまっしゃろ’も…失礼ですが、無駄な抵抗です。私の口から出て、私の耳に届いてくださっている〈なんまんだぶ、なんまんだぶ…〉というお念仏さまを「私がお助けしますよ、ダイジョウブですよ、安心してください。」という阿弥陀さまからのお喚び声であったなぁといただく事です。先ず、お喚び声が、おはらきがあってくださっているのです。
 
探し回ったり、確認しようシッカリしよう、近づいていこうとこちらの
‘力み心’を横へ置いておくことです。
でもまた、そんな思いは出てきます。出てきてもかまいません。横へ置いたらええんです。〈なんぼ置いても出てくる、こんな事では…〉とご心配いただく事もありません。その度になんぼでも横へ置いたらええんです。
 
親鸞聖人のご確認くださった浄土真宗のご信心とは、自分の心と相談して自分の心の中に探すのではなく、阿弥陀さまの“お前さん必ず支えてるで、私のお浄土に生まれて帰ってくるねんで”というご本願のお言葉、おはたらきの中にいただくものでありました。                  合 掌

世間解
 第306号 平成25年 8月
 
念仏もうさるべし

ーわたしのために ー


 蝉の声と暑さの中、皆さまにはご本願のおはたらきの中にお念仏ご相続の事と思います。
暑い時は暑いままのお念仏であります。
 
さて、そのお念仏…
【誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとなへんものをむかへとらんと御約束あることなれば、まづ弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまゐらせて、生死を出づべしと信じて、念仏の申さるるも如来の御はからひなりとおもへば、すこしもみづからのはからひまじはらざるがゆゑに、本願に相応して、実報土に往生するなり。】

この御文は、親鸞聖人のお言葉やご法義をお弟子の唯円房さまが書き残してくださった『歎異抄』というお書物の中にあるご法語であります。
 
現代語訳では、
〔阿弥陀仏は、誓願の不可思議なはたらきにより、たもちやすく称えやすい南無阿弥陀仏の名号を考え出してくださり、この名号を称えるものを浄土に迎えとろうと約束されているのです。だから、まず一つには、大いなる慈悲の心でおこされた誓願の不可思議なはたらきにお救いいただいて、この迷いの世界を離れることができると信じ、念仏を称えるのも阿弥陀仏のおはからいであることを思うと、そこにはまったく自分のはからいがまじらないのですから、そのまま本願にかなって、真実の浄土に往生するのです。〕

こんなふうに味わわせていただく御文であります。

ゆっくりと何度も何度も出来れば声に出して読みかえしていただきたい御文であります。いつもいつも同じ事を巻き返し繰り返しお聞かせをいただきますが、私が、今、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申すことが出来ておることの有り難さ、不思議さを思うことであります。

…お同行さま方が、いつから、どんなご縁でお念仏申すようになられたのかは分かりません。気がついたら「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申すようになっておられた方もおられましょうし、中には“私はあの事柄が機縁となってお念仏申すようになった”とおっしゃることの出来る方もおられましょう。また、“なかなかお念仏でけへんなぁ”と言う方もおいでになるでしょう。
しかし、“お念仏”のことをお考えになるということはお念仏に遇うておられることであります。

〈誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて…〉という御文の有り難さを思います。
 
阿弥陀さまは、いろんな状況の、いろんな思いの、いろんなご縁の、どんな形の私をも包み込むはたらきとして「なんまんだぶ」というお念仏になってくださったのであります。
阿弥陀さまに遇おうと思たら「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏申すことです。
阿弥陀さまはこの私を間違いなしに支え救いきるために、“どないしたったらエエやろ”とず〜っとお考えくださったのであります。
そして、“やすくたもち、となへやすき名号を案じいだし”てくださったのであります。自ら〈南無阿弥陀仏〉となって私に届き、支え、育て、救いきっていこうとおはたらき続けてくださっておるのであります。
お念仏は阿弥陀さまが私のために考え出してくださった救いの法です。

 お念仏は阿弥陀さまが来てくださっていることなのですから、重たいことも無くすこともありません、忘れても必ずまたお念仏のご縁にあいます。阿弥陀さまが一緒に居ってくださっているからです。〈やすくたもち〉とはそういうことでしょう。〈となへやすき…〉これはお念仏が私の口から出てくださるのは阿弥陀さまのおはたらきである。ということでありましょう。

「なかなかお念仏称えられませんわ。」 とおっしゃる方がおられます。
無理していただく必要はありませんが、小さい声で結構です。ご自分の耳に届く程の声で結構ですから「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏されてみてください。

そしてそのお念仏を  〈ああ、阿弥陀さま出てくださってるんや〉  とお味わいください。そして、その上に、阿弥陀さんだけやない、御往生くださった方が阿弥陀さんと一緒になって今の私を支えてくださってるんやと、私の口から出て、耳に届いてくださるお念仏は阿弥陀さまや御往生くださった方々のおはたらきやったんやと、そうお味わいいただけば、先立たれた方々はただお盆の時だけやない、けったいな言い方になりますが、明けても暮れても私と一緒に生きて、阿弥陀さまと一緒になって私を支えてくださっておるんやなと、お念仏の、〈なんまんだぶ〉の声の中にお聞かせをいただくのあります。           合 掌




  世間解 第307号 平成25年 9月
 念仏もうさるべし

ーおねんぶつのこころ ー


 蝉の声が朝夕の虫の声にかわり秋が近づく九月であります。皆さま方には阿弥陀さまのおはたらきの元「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。
 
 さて、私の口から私の声で出、私の耳に届いてくださり、私の心に時に応じてさまざまな思いを抱かせてくださる「なもあみだぶつ」というお念仏。この「なもあみだぶつ」というお念仏が、

何時でも何処でも私がどんな状況にあり、どんな心の状態であっても全く変わることなく“お前さん、必ず支えてるで”とおっしゃってくださっている阿弥陀さまのお徳とおはたらきの全てである

といただく事であります。それが親鸞聖人が確認をしお取り次ぎをくださった浄土真宗のご法義であります。
 
お念仏の、阿弥陀さまのご本願のおはたらきが私の上に開き顕してくださる思いの一つが“往生”という佛語で顕される心であります。

 この“往生”という佛語が私の“いのち”全体を包み支えてくださるのであります。唯「生まれて死んで行く」と生と死を対立的にとらえるのではなく、私の“いのち”は残念ながら臨終という時を迎えるが、その先は‘不安の死’ではなく阿弥陀さまと同じお覚りを開かせていただく“往生”であったと安心させていただくのであります。
 
 梯實圓和上は「私はまだ死んだことないから、死ぬ時はジタバタするかも知らんねぇ、そやけど皆さんもね、安心してジタバタしなはれ」とおっしゃってくださいました。
 
「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏を称えるのは何も我々浄土真宗にご縁をいただいたものだけではありません。多くのご宗旨でお念仏はご相続されています。端から見ますとその人が口から「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」と声に出して称えている。その相は変わりません。しかしそのお念仏の意味、お徳、味わいは親鸞聖人のお説き残しくださったご法義と他のご宗旨では大きな違いがあります。
 
 バサッとお聞かせをいただくならば、
私が称えてその引き替えに何かご利益のようなものを頂くと考えるか、お念仏を称えているという事、出てくださっている“なもあみだぶつ”その全てが阿弥陀さまが私を支えてくださっているおはたらきの顕れであると味わい安心させていただいているかの違いであります。
 
 高田慈昭という行信教校の先生で、南米開教総長としてブラジルでもご活躍をくださり、西法寺にも度々ご縁を頂き、私も大きなお育てにあずかっている和上がおられます。
 
 その高田和上からお聞きしたお話であります。
 四年あまりに及ぶブラジルでの激務を終えられ帰国されて再び行信教校で講義をお持ちくださるようになって暫くたってからの事であります。

『…東京の方のお寺でお話ししててね、急にこう胸の辺りが苦しなってね。「ちょっと休ませてもらいますわ」いうてお話し一遍やめて控えで休んでね、疲れが出てんねんすぐに治まるやろ思てね、ちょっと様子おかしかったんやろな、そこの住職が心配してきて「救急車よびましょか」言うてくれたけど「そんな大層なことないわ、暫くしたら治るわ」いうて、そやけどだんだんひどくなってきてね。脂汗出てくるしね。結局救急車きてもろて病院連れて行ってもろてね。その救急車の中でね。胸は苦しいしね。

ブラジルでいろんな事あってようやく日本へ帰ってきて、しかしワシももうここで臨終かわからんなぁ思たけどね、
ふっとそうやワシは死ぬんと違うかったな、阿弥陀さまのお浄土へ生まれさせていただくんやったなと思たらね、
お浄土いったら父や、母にまた会えるねんなぁ、先に行かれた先生方にも会える。行信教校を創ってくださった鮮妙和上や、親鸞聖人にもお遇いできるんやなぁ…そう思たらね
なんやだんだん有り難うなってきてね、胸は苦しかったけど思わず口から「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏が出ましたわ。
 
そしたらね、一緒に乗っとった救急隊の人がね慌てて私の顔のぞき込んでね「大丈夫です。もうすぐ病院です!」言うたわ。
 
私は
何言うてんねん、命乞いの念仏やあらへんぞ、阿弥陀さまのおはたらきが私を包んで私の口を通して出てくださっている、大行というお念仏やぞいうてね心の中でね思たことです。

考えたら同じお念仏でも受け取り方が全く正反対ですな。親鸞聖人の開き顕してくださった真実の、他力のお念仏というものの尊さに改めて気づかせていただいた事であります。』

味わわせていただきましょう。                                

合 掌



世間解 第308号 平成25年 10月
 念仏もうさるべし

ー報恩のこころ ー

 十月であります。今年も時が重なったなぁと思います。うれしい事や悲しいことや思うようにならないことや、色々なことがあって、それでも「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とご本願のおはたらきの中、お念仏に支えられる日暮らしであります。
 これからの時期、関西各地のお寺では〈報恩講さま〉がお勤まりになります。
〈報恩講〉とは浄土真宗のご開山、親鸞聖人のご命日を通して改めて親鸞聖人のお徳とご苦労を偲ばせていただき御法義に潤わせていただいている日のこし方を味わい、心あらたにさせていただこうという浄土真宗にご縁をいただいた我々にとっては、ある意味ではお家のご法事よりも心をかけて勤めさせていただく大切なご法要であります。

 親鸞聖人のご命日は一月十六日で、この日をご満座として七日間、つまり一月九日から十六日まで京都の西本願寺では毎年報恩講さまが勤まります。
正に親鸞聖人のご命日にお勤めをいたしますので〈御正忌報恩講〉と申します。各寺の住職はその“御正忌”にお参りをさせていただきますので、“御正忌”の前に各寺でお勤めをさせていただきます報恩講を、〈御正忌報恩講〉に対して正式には〈お取り越し報恩講〉と申しあげるのであります。

 さて、西法寺の報恩講さまに平成五年からご往生になられる平成十五年まで毎年ご出講くださっていたのが行信教校校長でいらした利井明弘先生でした。

 晩年の明弘先生は西法寺の報恩講さまでいつも、
『…、この頃ね、言うねん。「ご恩やなぁ、有り難いなぁ」いうていうたらね、指折って数えよんねん、ほんでね「そうでんなぁ、そう言われたらこの家も先祖から受け継いだもんやし、土地かてそうでんなぁ。田んぼや畑もそうやし…。まぁ借金のないくらいが財産やと思たら、ご恩になってますなぁ」いうて言うからね、「あのなて、お前、指折ってかず数えたり、目に見えるもんにしかご恩感じられへんのか。目に見えん、数で数えられんご恩にはなってないのか」いうて言うねんけどね、なかなか感じられへんみたいやねぇ。皆さん。今この本堂に座れていることのご恩を感じることがありますか?。なんまんだぶ、なんまんだぶいうてお念仏出来てることにご恩を感じることがありますか?それが感じられたらほんまもんや。報恩講いうのはそれでっせ…』
と繰り返しおっしゃってくださっていました。

 親鸞聖人がお出ましくださって、九十年のご生涯をかけてさまざまなご苦労の縁にお遇いになりながら、阿弥陀さまのご本願のお心を味わいお伝えくださった。そこに今この私が「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏出来ていることの、お念仏さまが聞こえてくださるご縁に遇えていることの尊さ、不思議さ、有り難さを味わわせていただくのであります。

 今の私にそのお心が届いてくださっているのは阿弥陀さまのご本願のおはたらきがあってくださるからこそであります。

 その同じおはたらきが先立たれた方にもかかってくださってあったし、今はその方々が阿弥陀さまと一緒になって私を支え、願い続けてくださっている。
そのおはたらきが私の力となり、私に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続させてくださっている。

 逆に言えば私が今、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続させていただいているということが、先立たれた方が間違いなしにご往生くださっている証である。そして、今は私の“いのち”を“往生”する“阿弥陀さまと同じ覚りを開かせていただく”ものとして支えてくださってある。そのように先立たれた方と、今の私の“いのち”の行く先を味わわせていただくのであります。

 お家のご法事よりも…とお聞かせをいただいた意味がここにあります。
 
 先立たれた方を偲ぶ大切なご法事の中に
〈親鸞聖人さまの御法義があってくださってこそ、いや、親鸞聖人さまが阿弥陀さまのご本願のお心を間違いなしにお伝えくださったからこそそこに、先立たれた方々の“いのち”の意味と今のおはたらきを“往生”という佛語でお聞かせをいただくし、そのおはたらきがそのまま今の私を包み私の“いのち”を“往生”するものとして意味づけてくださっている〉
と味わわせていただく。親鸞聖人がお伝えくださったものをそのままいただき慶ぶ。報恩とはそれでありましょう。           合 掌


世間解
 第309号 平成25年 11月
 念仏もうさるべし

ー如来さまは忘れてくださらん ー

 さまざまなご縁の中、日と時が重なり十一月を迎えました。皆さまには阿弥陀さまのご本願のおはたらきの中に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏の日暮らしをお送りのことと思います。

 先月の報恩講さまには大変お世話になりました。多くの方々のおかげで本年も無事にお勤めをさせていただくことが出来ました。改めてお礼申しあげます。誠にありがとうございました。

 報恩講さまには行信教校名誉校長をお勤めいただいております
梯實圓和上がご出講くださいました。御年八十六歳 渾身のお取り次ぎ、
ご法話をたまわりました。本当に有り難いご縁でありました。

 梯和上は三年前に胃の手術をされ、その後も万全のご体調でない中にご縁のあるところに ご出講くださっております。

『私みたいに八十も半ば過ぎるとな、何が起きるやわかりゃしませんからな…、今日あって明日のことは分かれへんねんから…、危ないもんや…ほんまの話し。』とおっしゃりながら、『お互い自分の後生の一大事シカッと決めとかなあきませんで。ほんまに大丈夫か。死に際にバタバタしたかて俺は知らんで!。』

『“阿弥陀さまのお浄土へ生まれさせていただきます。” “親鸞聖人と同じところへやってもらいます” と、ちゃんと言えますか? 言いなはれや!皆さん。  今日、何のためにここへ来てんねん。  報恩講や、報恩講でっせ。  報恩講に参って何言うねん…、 〈ご開山さま、ありがとうございました。あなたのおかげで私もあなたと同じお念仏いただいて、あなたと同じ信心をいただいて、同じお浄土で今度は遇わせていただきます。〉 いうてお礼言うためにきなはったんや。それが報恩講や。』  と、厳しいご催促をくださいました。


お叱りをくださっているなぁと身の引き締まる思いでご聴聞させていただいた事でありました。

 浄土真宗の要である“ご信心”その意味である“まかせる”ということもご丁寧にお教えくださいました。


『…阿弥陀さまのお救いね、一番ハッキリするのは“なんまんだぶ”という声が聞こえてくるはずだ、…、聞こえなんだら称えなはれ!称えたら聞こえてくるだろう。なんぼ耳が遠うても自分のいうた声は聞こえるわ。
 これは阿弥陀さまがね、 〈必ずたすけるぞ、私にまかせなさいや 〉 とおっしゃってくださっている。そうやったなぁと、気がついたら‘ありがとうございます’と言うたらええわ、気がつかなんだら黙っとったってええ。…いや、〈たすける〉と言うてくださってんねんから黙っとったかて助けてくれるわい。そうでしょ。
…信心ちゅうのはワシがしっかりすることとちゃいまっせ。シッカリできる者と違うが…。病気でもしてみなはれシッカリなんか出来ますかいな。
そしたらシッカリせよというのは、仏さまが私におっしゃってるんと違うだろ。仏さまの方がが 〈心配するな、私がシッカリしてるから俺に任せとけ〉 とおっしゃってるんですよ。だから‘ありがとうございます’と言えたら言いなはれ、言えなんだらそれでもええわ、それでええ。まかせといたらエエンだ。それが“まかせる”いうことや。

 阿弥陀さまは 〈たすけてやるぞ〉 とおっしゃる。それが ‘なんまんだぶつ’ という言葉ですよ。
〈俺が引き受けたから心配するな〉 というのが阿弥陀仏という言葉の意味なんだ。ご開山はそうおっしゃる。

‘なんまんだぶつ’ はね ‘たすけてくださ〜い’ と、すがりついてるんじゃないんだ。すがるのは俺やからな、なんぼ一生懸命すがってても手の力が無うなったら抜けてしまうで。しかし、〈たすけてやる 〉いうて阿弥陀さまが抱きかかえてくださってるんだから俺が手ぇ離したかて大丈夫なんだ。

…、だから阿弥陀さまの前では手放しをして全部おまかせをすること。それが信心だ。だから信心はいっぺん心得たら無くなるもんじゃないんだ。そうでしょ、阿弥陀さんにまかせたんだから。その信心は私の臨終まで一貫するんだ。

だからね、たとえ私が忘れても如来さまは忘れてくださらん。…、安心しておまかせをする。これが浄土真宗の信心といわれるもんなんですね。 ‘なんまんだぶつ’ という声が聞こえたら、〈俺がお前を引き受けたぞ〉 と阿弥陀さまが一声一声、安心を与えてくださってるんやなぁといただくんだ。…』


有り難い尊いご縁でした。なもあみだぶつ なもあみだぶつ      合 掌




世間解 第310号 平成25年 12月
 念仏もうさるべし

ー如来さまは忘れてくださらん 2 ー


 皆さまにはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続の事と存じます。時が重なり今年も最後の月を迎えました。

 色々なことがおこった今年でありましたが、有縁皆さま方には大変お世話になりました。誠にありがとうございました。

 また、明年も阿弥陀さまのご照覧の中ご一緒にご聴聞重ねさせていただきたいと思います。さて、先月は今年の報恩講さまにご出講くださった梯實圓和上のご法話をお聞かせいただきました。

その中で和上は、
『‘なんまんだぶつ’はね‘たすけてくださ〜い’とすがりついてるんじゃないんだ。すがるのは俺やからな、なんぼ一生懸命すがってても手の力が無うなったら抜けてしまうで。しかし、〈たすけてやる〉いうて阿弥陀さまが抱きかかえてくださってるんだから俺が手ぇ離したかて大丈夫なんだ。…、だから阿弥陀さまの前では手放しをして全部おまかせをすること。それが信心だ。だから信心はいっぺん心得たら無くなるもんじゃないんだ。そうでしょ、阿弥陀さんにまかせたんだから。その信心は私の臨終まで一貫するんだ。だからね、たとえ私が忘れても如来さまは忘れてくださらん。…、』
とお取り次ぎをくださいました。

 明治から大正・昭和の始めにかけてご活躍をくださった是山恵覚という和上さまがおられました。昭和六年に七十五歳ご往生になられましたが、当時の浄土真宗の教学の屋台骨をお支えくださった和上さまでございました。龍谷大学や、ご本山のお仕事を終えられて京都からお郷の広島県にお帰りになられるのですが、後を託すはずのご子息がご往生になったり、ご自身もご病気になられてお身体の自由がままならなくなられたりと、そういう意味では大変おつらい晩年をお過ごしになられた和上さまでありました。

 是山和上にこんなお話しが伝わっています。

和上の最晩年、もうお歩きになるのもままならなくなられた和上は、ご本堂まで行くことがかなわなくなられ、庫裡(ご自宅)からご本堂の阿弥陀さまに向かって朝のお勤め(お晨朝)をなさっておられました。或る日、いつものように坊守さまが付き添ってお晨朝をお勤めになられた時、「きぃみょうむぅりょうじゅぅにょらぁい〜」とお正信偈を始められて二三行いかれるとパタッと和上が黙ってしまわれる。坊守さまは‘何かお考えになっておられるのかな’と暫く一緒に黙っておられた。
…しかし、いっこうに次の御文をおっしゃらないので、坊守さまが小さな声で次の一句をおっしゃると和上はハッと我に返られたようにそれに続いて暫くお勤めになる。…また止まる。坊守さまが次の句を誦えられる。ハッと和上がそれに続かれる。暫く行くと、…また止まる。坊守さまが次の句を発音される…。そんなふうにしていつもの何倍もの時間をかけてお正信偈のお勤めが終わる。

「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」和上がお念仏を申されて後ろにお座りになっている坊守さまの方に向き直る。

「…、病気というものは残酷なものですね。お聖教のことなら端から端までご存じの和上さまが、それも毎朝、毎夕、口にかけて慶んでおられたお正信偈さまの御文をお忘れになってしまわれることがあるんですね。…、でもさすがにお念仏だけはお忘れになりませんね。」
とおっしゃった坊守さまに、
是山和上は、
「いや、私も縁がきたらお念仏さまをも忘れてしまうことがあるじゃろう。しかし、私がお念仏を忘れたとしても阿弥陀さまは決して私を忘れてくださることはないからのう…。」
とおしゃったそうであります。

先の梯和上のお言葉と合わせて味わわせていただきたいお話しであります。
 何がやって来るか、どんな目に遭って行かねばならないか分からないのが娑婆の世の常でありますが、私がどんな境涯に境遇になろうとも阿弥陀さまの「お前さん、必ず支えてるからな、なんまんだぶ、なんまんだぶ…とお念仏しながら生ききっててきてくれよ」というご本願のおはたらきは決して変わらずに私の“いのち”と共にあってくださるのであります。        なもあみだぶつ



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