世間解    平成22年


せ けん げ
世間解 第二六三号
   平成二十二年 一 月
       発行 西法寺
 


  念仏もうさるべし
       ーあたらしいとしにー

 
  一、蓮如上人、順誓に対し仰せられ候ふ。法敬とわれとは兄弟よと仰せ  られ候ふ。法敬申され候ふ。これは冥加もなき御ことと申され候ふ。    蓮如上人仰せられ候ふ。信をえつれば、さきに生るるものは兄、後に生るる  ものは弟よ。法敬とは兄弟よと仰せられ候ふ。「仏恩を一同にうれば、  信心一致のうへは四海みな兄弟」といへり。
新しい年になりました。本年もご聴聞させていただきます。何卒宜しくお願い申しあげます。ご本願のおはたらきの中ご一緒にお念仏ご相続させていただきましょう。はじめのご法語は、本願寺第八代、蓮如上人のお言葉を集めた『御一代聞書』というお書物の一節であります。このお言葉を通して、野々村智剣先生にお聞きしたお話です。
【…蓮如上人の『御一代聞書』という本の中にね、いろんな蓮如上人のお言葉がありますけれども、あの中で私の好きな話がね、蓮如上人がお弟子の法敬房順誓という方にね〈法敬と私とは兄弟やな〉といった。御同朋・御同行でございますね、〈法敬と私とは兄弟やな〉といった。法敬は何時でも聞いてるんです。“念仏者はな血は通てへんでもみんな仏さんの子でな、御同朋・御同行やで”この考え方を聞いてるんです。聞いてるんですけどね、面と向かってね蓮如上人から〈あんたとわしとは念仏者として兄弟やな〉といわれますとね、やはりちょと謙虚な気持ちになるんでしょうね、冥加もなきこと≠ニいった。そうしたら蓮如上人はね、そういう謙虚な思いには応えずにね、なんと言われたかいうたらね〈信を得つれば四海みな兄弟〉信心慶んだらみんな兄弟やで、ということ言ってね、その後にね、どういうたか。〈先に生まるるものは兄、後に生まるるものは弟よ法敬と我とは兄弟よ〉といわれた。こういう有名な言葉がある。この場合の“先に生まるる”というのはこの世へ生まれてきたと言うんじゃないんですよ、この世へ生まれてきたのが先に生まれてきたから人生の先輩で兄、後から生まれてきたのは人生の後輩やから弟。こういってるんじゃぁない。どこに生まれるか?極楽浄土に生まれる。この世ではな先に生まれたら先輩、後から生まれたら後輩という、この世の序列というものはあるけれども、その序列通りにはいかへんで≠ニいうことを言っている。つまり、〈あんたは私より年下やけど先に参らしてもらうかもしれへんで〉先に参らせてもうた者が兄貴やったら、あんた私の先輩やな、ご先祖さまやなという思いにつながっていく。善太郎という妙好人は十年の内に四人子どもを亡くした。善太郎さんは二歳から四歳までの子どもに死に別れてね、法名を付けてもらって仏事を営んだときに我が子にね、“ご先祖さま〜”いうて“お念仏を称えるご縁をいただいたなぁ”いうてそういうお念仏を称えているに違いない。江戸後期の人なんです。妙好人はこういうお念仏を慶んだんです。
 こういうお念仏を慶んだという人たちによってお念仏のこころがが伝えられてきたという一面をわれわれはあまりにも重視しないで、理屈ばかりに走ってきたんではないでしょうか。私は何か違うなぁという思いがするのでございます。
 仏教を伝えてきた底力というものが、そういう念仏を伝えてきた人の中にあるというような思いがこのごろしているのであります。
ですから、いろんな方々と話をしておりましても、ご先祖のことを思い、仏さまのことを思い…ということを思っている人の話をするとびんびん伝わっていきますけれども、頭の中で考えたような親鸞聖人の話をしてもきょとんとしている。
 これは本当に今の仏教というものが力を失いつつある大きな欠点ではないかと思うのであります。どうぞみなさまがご相続いただくお念仏というものが、お念仏は本の知識として学びたいのであればいくらでも情報として話がありますけれどが、それよりも何よりもみなさまのお父さんやお母さんが、お爺さんやお婆さんが、慶んでおられた、あのお念仏のね、その肉声を思い出して、そういう中で「オレは先祖からご恩受けたな、わしらも先祖になんねんで」という大きな循環の世の中で、われわれはお念仏というものをもういっぺん力を取り戻す必要があるのではないかとこのごろ私は思っておるのであります。
どうぞみなさまのお伝えなさっているお念仏を喜んでいただければ有り難いと思います。】                       なもあみだぶつ
 

せ けん げ
世間解 第二六四号
   平成二十二年 二 月
       発行 西法寺
 
                  
                  
  念仏もうさるべし
       ー先立たれた方を偲ぶー 
                  
                  
 年が明けて一ヶ月が過ぎました。みなさまにはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと存じます。
 さて、昨年もお世話になった門徒様が往生になられました。これはもちろん昨年に限ったことではありません。毎年毎年、ご往生になられるお同行がおられます。これは親鸞聖人の晩年のお手紙に、
  なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふら  んことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の   説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。
というお言葉を待つまでもなく、〈“いのち”あるものが“いのち”終わってゆかねばならない〉これは避けようのないものであります。親鸞聖人はその“いのち”終わってゆかねばならない事を“おどろきおぼしめすべからず候ふ。”と言いきられています。〈“いのち”あるものが“いのち”終わってゆかねばならないのは別に驚くことではないんだ。お釈迦様がくわしく教えてくださっているじゃないか。〉とおっしゃるのであります。
梯實圓和上は「親鸞様、あなた“いのち”あるものが“いのち”終わってゆくことは別に不思議な事じゃないとおっしゃいますが、そうしたら、あなたにとって不思議なことて一体なんですか?と聞いてみたい気がする。」とおっしゃって「恐らくそうお尋ねすれば〈必ず“いのち”終わってゆかねばならないモノが、今、“いのち”恵まれているということが何より不思議で有り難いことだ〉とお答えになるでしょう。」とお教えくださったことがあります。先立たれた方が“いのち”終わってゆかれたという悲しい、厳しい現実を通して、そこに今私が“いのち”恵まれてあったという有り難さを思わせていただくのであります。
“そんなん言うたかて、別れることは寂しいやんか”という気持ちはなくなりましません。その通りなんです。親しい、大切な、お世話になった、ご恩になった方と別れなければならないことは悲しいことであります。
親鸞聖人がお味わいくださりお説き残しくださった阿弥陀さまのご本願のおはたらき、浄土真宗は〈その悲しさをなくせ〉〈その悲しさを乗り越えろ〉などという恐ろしいご法義ではありません。先立たれた方が、悲しい、寂しい思いの私を支え護ってくださってるよ、その事を私に教えてくださる仏さまからの言葉、仏語が「往生」という言葉だよ。とお教えくださるのであります。
今「往生」という言葉は半ば日常語になっています。残念ながらその多くは「〜で往生しましたわ」と困った時に使われています。しかし、浄土真宗では「願以此功徳〜往生安楽国」と「往生」という言葉で日々のお勤めが終わってゆくほど大切にされてきた仏語であります。言葉は生き物ですから今、色々な意味で使われることは止めようがありませんが、親鸞聖人のご縁に遇わせていただいた我々は出来るだけ慎んで「〜で往生しましたわ」などとは使わないようにしたいものです。
 さて、度々お聞かせいただく事でありますが往生の「往」はいくという字ですし、「生」は生まれるという字であります。先立たれた方は決してただお亡くなりになった方なのではなくて、阿弥陀さまのお浄土に往って、阿弥陀さまと同じお覚りの如来さまとお生まれくださった方であるということであります。
 ご恩を受けたお祖父さんやお祖母さん、育ててくれた父ちゃんや母ちゃん、ご縁の深い先立たれた人をどんなふうに偲んでゆけばよいのでしょうか。
野々村智剣先生は“真宗では先祖供養はしない”というけれども、その言葉だけに引きずられる必要はないと思います。とお教えくださいました。先立たれた方を精一杯に思う。偲ぶ。けれどもそこに、〈これこれこんな事をしなければ死んだ人が迷うんやないか〉というような心配をお持ちにならないことです。
“大切な方は死んだ人ではなく、ご往生くださった方”なのですから。
 先立たれた方がお念仏を慶ばれていたなら、私も同じようにお念仏慶ばせていただくことです。それがご往生くださった方が一番お慶びくださることです。なぜなら、ご往生くださった方は阿弥陀さまと一緒になって今の私を支え、私に「なもあみだぶつ」をお勧めくださり、私を念仏する者に育てあげてくださっているのですから。                         合 掌

せ けん げ
世間解 第二六五号
   平成二十二年 三 月
       発行 西法寺
 
                  
                  
  念仏もうさるべし
       ー永 代 経 の 心ー
                  
                  
 日を追う毎に暖かくなります。三月であります。みなさまには、ご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。
 我々がこうして、お念仏ご相続させていただく。お念仏を聞かせていただく。お念仏の意味を味わわせていただくようになるまでには色々なお育てやご縁があったのであります。今月は春のお彼岸の月、四月には例年のように永代経法要をお勤めさせていただきます。今回は浄土真宗のご法義の中で“永代経”をどのように味わわせていただくのかをお聞かせいただきたいと思います。
 お仏事にこれが大事で、これは適当でよいなどというものはございません。どのお勤めも、どのお仏事も大切に大切にお勤めをさせていただくものであります。 そのなかでも浄土真宗では親鸞聖人のご命日のお勤めである“報恩講法要”とならんで“永代経法要”を大切にいたします。浄土真宗での永代経は一般に考えられている“私の代わりに永代(ずーっと)にお経を上げてもらって故人を弔う”というものとはその意味が違います。何時もお聞かせをいただくことでありますが、私の声となり口から出てくださり、私に耳に届いてくださる“なもあみだぶつ”というお念仏やお経の言葉は、阿弥陀さまがその願いとお徳の全て込めて「お前さん必ず支えてるよ」というご本願のおはたらきそのものだからであります。そして、そこには〈お亡くなりになった方〉ではなく〈ご往生くださった方〉の阿弥陀さまと全く同じお徳のおはたらきも入ってくださっているのであります。それぞれのお家でお勤めをさせていただいたり、西法寺でご法話をお聞かせいただいたり、お家や寺でご法事をお勤めいただいたり…。そんな事を総称してお仏事と申しておりますが、このお仏事はただある・ほっといても出来る・そのうち出来る…というものではございません。と申しますか、お仏事が勤まる元には大きなご縁がある。ご縁がそろっているのであります。
 三壇と申しております。三つのダーナ(檀那)。布施のことです。つまり三種類の布施がそろって初めてお仏事がお仏事として成立し、意味を持つのであります。一つは財施、二つは法施、そして三つ目は無畏施といわれるものであります。平生のお仏事はこの三つの施しによって成り立っているのであります。
 財施とは財の施し、あえて申しあげれば、これはお同行さまの行いです。例えばご往生くださった方を尊いご縁として、親鸞聖人がお味わいくださった阿弥陀さまのご法義が何時までも安心して聞くことが出来るようにという思いを込めて縁の深い道場に対してお仏具や法衣、お道具、懇志などをあげることによって、財を施こす。これを財施といいます。財施をいただいた道場は、「はい、どうもありがとう」いうてそれで黙っていたらこれはあきません。お預かりた財施をよりどころとして、道場を整備し、ご法座を開き、読経をする。財施に支えられてご法義を伝えるお手伝いをさせていただく。これが法施です。法施は財施を受けた寺・道場の責任であります。その法施によって、お同行さまも寺の者も同じように阿弥陀さまのご本願のおはたらきを聞かせていただき共に、心豊かに生き、心豊かに“いのち”を全うじさせていただくという日暮らしを送る身に育てていただく。これが無畏施です。畏とはおそれること、何かにびくびく、びくびくとすることです。そういうおそれのない日暮らし。それを支えてくださるのが、阿弥陀さまのご本願のおはたらきであります。これも何時もお聞かせをいただくことでありますが、阿弥陀さまのご法義に遇わせていただき、お念仏申しているからといって、私の前から苦しみや禍が無くなるのではありません。梯實圓和上は「どんな苦しみや悲しみがやってきても、その苦しみや悲しみを乗り越える力と、苦しみや悲しみの中からでも阿弥陀さまのおはたらきを感じ取ってゆくことの出来る心の豊かさをいただく。それが阿弥陀さまのご法義に遇わせていただいた所詮の一つです。」とお教えをくださいました。三壇の中心はこの無畏施にあります。この無畏、おそれれなき心の豊かさを我々に与え、それに気づかせ、そのようにお育てくださるものこそが阿弥陀さまのご本願のおはたらきであり、そのあらわれが「なもあみだぶつ」というお念仏だったなぁと。その事をご往生くださった方のお徳を偲び、ご恩に報いながら改めてお聞かせいただき。このご法義が何時までも安心して聞けるようにと願いお勤めさせていただくのが、浄土真宗の永代経法要なのであります。  合 掌

せ けん げ
世間解 第二六六号
   平成二十二年 四 月
       発行 西法寺
 
                  
                  
  念仏もうさるべし
       ー布施・ダーナのこころー
                  
                  
 春・四月であります。世情穏やかならざるこの頃、色々なご縁はありましょうが、入学や、就職や、と何となく世の中が明るくなる季節であります。
みなさま方にはご本願のおはたらきの中、「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと思います。
 先月は「永代経さま」にちなんで財・法・無畏の三施についてお聞かせをいただきました。三施、三つの布施であります。
 “お寺や神社にお参りをして一番お賽銭を出さないのが坊さんそのものだ”とよくいわれます。もらうことは当たり前で、出すことは全くしない…私自身が深く反省しなければならないことであります。
 今回はその〈布施〉について改めて、もう少しお聞かせをいただきたいと思います。
 布施、元々の言葉はダーナ。漢字で〈檀那〉と音訳されることがあります。
ダーナとは施すこと。檀那さんとは施しをする人のことであります。
 今は、檀那といえば男の人のことを指しますが、元々は施しをする人のことを男であれ女であれ檀那と申しあげたそうであります。
 お同行さまのお家を檀家さんと申しあげるのも同じ事であります。施しをもって寺を支えてくださるお家ということで“檀家”であります。
さて、ダーナ。音だけ漢字に当てますと檀那となりますが、その意味を翻訳してくださった言葉も伝わっております。
〈喜捨〉といいます。「喜ぶ」という字と「捨てる」という字であります。
「喜ぶ」というのは“心から”とか“ほんとうに”というような意味になりましょう。「捨てる」というのはこの場合“離れる”という意味です。
〈施しをするということは離れることだよ〉ということであります。何から離れるかというと、〈三つのものから離れなさい〉とお釈迦さまはお教えくださるのであります。‘施したモノ’と‘施した相手’と‘施したという行為’であります。つまり、『私が、あの人に、あれをしてあげた』という思いから離れなさいということであります。
これが〈布施〉の心なんだよということであります。
 布施とは、ただ単に施すことではありません。これは大切な修行の一つなのであります。物や、行為や相手への執着から離れる、つまり「あの人にはあげるけど、こいつにはイヤや」「これはあげるけどこれはアカン」「こんだけやったたのに…」という私の自分勝手な思いから離れる稽古をさせていただく、それが布施であります。
野々村智剣先生からこんなお話をお聞きしました。
 『…丸山勇さんというインドの仏跡を中心に写真を撮っておられる写真家がおいでになります。その丸山さんと色々なお話しをしていた。そこでバクシーシの話になったんです。バクシーシというのは物乞です。丸山さんがある年の秋に仏跡で夕陽の写真を撮ろうと思って、三脚を立てて夕陽がちょうど良い位置にくるのを待っていた。そうすると十歳くらいの女の子が来ましてね、丸山さんに向かって“バクシーシ”、お金ちょうだい、施してちょうだいといった。丸山さん、いつもはバクシーシには「NO!」で応えるんだけれども、〈あの夕陽が落ちるのにもう少し時間があるな〉という心の余裕が少しいたずら心を生んだ。丸山さん何をしたかというと“バクシーシ”と手を出している女の子に丸山さんが“バクシーシ”と手を出したというんです。
「どないしたと思います。女の子ね、今まで出していた手を慌ただしく引っ込めましてね、ポケットからクシャクシャになった1ルピー札を出して私の手の上に置いてニッコリ笑いましたよ。私はインドに何年と居ながら、バクシーシは富んでいる我らが貧しいインドの民に与えてやるもんやと思てた。インドの人はそうやないんや、“あなたに布施をする徳を積ませてあげますよ”といってバクシーシをいっている。」丸山さんはこうおっしゃいました。丸山さんがバクシーシといったら貧しい女の子が〈布施の徳を積ませてくれてありがとう〉といって丸山さんの手の上に1ルピー札を乗せたんです。布施…大事なことですね。…』
〈布施〉大切な心であります。               なもあみだぶつ

せ けん げ
世間解 第二六七号
   平成二十二年 五 月
       発行 西法寺
 
                    
                    
  念仏もうさるべし  
       ー阿弥陀さまの眼差しー 
                    
                    
 風薫る五月であります。清々しい日が多くなることでしょう。みなさま方にはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。
先月の永代経様には大変お世話になりました。改めてお礼申しあげます。
 本年は、行信教校の山本攝叡先生にご出講をいただきご法話をご聴聞させていただきました。
「私たちが、お勤めをしたり、ご法話を聞いたり、お仏壇のお給仕をしたり…、色んなことをしますけれども全てはお念仏を申させていただくためのご縁でないかな、と思うんです。」
とおっしゃっていただきながら、次のようなお話しをお聞かせいただきました。
『〈飾らない相でお念仏するんですよ。〉法然聖人は何時もおっしゃっておられたんです。我々はじきに飾ります。大阪弁でいうたら‘エエかっこ’するいうことです。阿弥陀さまの前で飾る必要はないんだよということです。ありのままの相でお念仏しなさいよということでしょう。何でやいうたら、お念仏は、阿弥陀さまの方から私に一番合う行として“お念仏”をお決めになってくださったんです。阿弥陀さまは私の何をご覧になったかというと、私のありのままをご覧になって、そのありのままの私に合う行、私にかなう行が何であるかということを考え抜かれた結果が“我が名を称えよ”ということやったんです。
 うちの家にはね今、牡丹が三本あるんです。私、牡丹やら草花の世話すんの好きなんです。もう咲いてるのがあります。今年は早いですね。一本咲いてます。これね、一番日当たりの良いところに植わってる牡丹なんです。緋色の牡丹です。ところがチョット横に蘇鉄の影になってる牡丹があるんです。それはまだ蕾です。で、可哀想に大きな木の陰にある牡丹はまだ蕾もついてません。しょぼんとしてます。同じように肥料をあげているのにそれぞれ違います。皆さんどうですか、私、花を育てる楽しみというのは、花そのものよりも‘いつ頃蕾がつくやろうかな’とか‘新芽が出てきたな’なんかいうのが楽しみであり慶びだと思うんです。新芽の頃というのは本当にいいですね…、緑が美しいです。もしかしたら阿弥陀さまが私をご覧くださる。お念仏申している私をご覧くださっているのは、ちょうどそんなふうに、私が新緑を観るように今育ち始めた私をご覧になってるんと違うかなぁと思うんですよ。で、残念ながら人それぞれにご縁があるから、日当たりのエエところの人はバーッと咲くやろうし、日当たりの悪いところならばまだ蕾の者もあるかもしれない。でも育ち始めていることには変わりがない。 阿弥陀さまはお念仏する者を〈ようお念仏してくれたな〉と慶んでくれてはるやろうし。今はまだチョットはずかしそうにね、飾りながら、照れくさいなぁなんか思いながらポソポソとしている蕾のようなお念仏もあるでしょうけど阿弥陀さまは〈ようお念仏し始めてくれたね〉と慶んでご覧になってくれてはるんじゃないかな、と思うんですよね。だから縁によって育ちの早い遅いはあるかもしれないけれども、みんな今、育ち始めた相なんだ。だから今、私の口からお念仏が出てきたということはね、阿弥陀さまのご本願に応えた相なんだ。その応え方は人それぞれ縁によって違いはあるかもしれないけれども間違いなく今、仏さまの願いに私の心が向いて育ちつつある相が、私がお念仏している相だと阿弥陀さまはご覧になってくださってるんじゃないかなと思うんです。お念仏したということがすでに阿弥陀さまの願いにかなっていることなんだよ、お念仏が出たその相そのものが‘必得往生’という相なんだよと聞いてゆきなさいよ、自分の耳に届く‘なんまんだぶ’の一声一声が“間違いない必ず往生できる”ということなんだよと聞いてゆきなさいとおっしゃったんでしょうね。私は仏さまを見たこともないし、お会いしたこともないけれども、私の声が‘なんまんだぶつ’と動いた時、よばしてもらった時にね、ちょうど新緑の新芽がポッと出始めたときのように私のことを〈なんて美しい相なんだろう〉と思って仏さまがご覧になってくださっておるんでしょうね…。お互いどうしは愚癡や罵りあいの言葉をいうかもしれん、その私の口からたった一つ美しい言葉がでってくださる。それがお念仏なんでしょう。お念仏をするお前はこの上なく美しいよと見てくださる。これが仏さまの眼差しだったのでしょう。』
ありがたいご法縁とお言葉でありました。念仏申さるべしであります。 合 掌

せ けん げ
世間解 第二六八号
   平成二十二年 六 月
       発行 西法寺
 
                   
                   
  念仏もうさるべし 
       ー引き替えではないー 
                   
                   
 六月になってしまいました。みなさま方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏ご相続のことと思います。
 私が「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏出来てるということは、阿弥陀さまの〈お前さん必ず支えてるで、お念仏しながら日暮らしするねんで〉というご本願が私に届き、私を動かしてくださっているあらわれなのであります。
私の口から出てくださる、もっとハッキリ言えば私が称えている「なんまんだぶ」というお念仏を通してその声の中に阿弥陀さまの〈必ず救う〉というおはたらきを聞いてゆく。阿弥陀さまは私にそういうお味わいが出来るようにご本願をたて、私をお育てくださったということであります。今年の永代経法要で、
「私たちが、お勤めをしたり、ご法話を聞いたり、お仏壇のお給仕をしたり…、色んなことをしますけれども全てはお念仏を申させていただくためのご縁でないかな、と思うんです。」とお教えくださった山本攝叡先生から、
『…もしもね、私に充分に勉強をする力があると阿弥陀さまがご覧になってくださっていたら“一生懸命勉強しなさい、そうしたらお浄土に生まれさせてあげるよ”というご本願になったんじゃないでしょうか?もし私に山を駆け巡る力があると阿弥陀さまがご覧になってくださっていたら“死にものぐるいで山を駆け巡りなさい、そうしたらお浄土に生まれさせてあげるよ”とご本願にお誓いになったんじゃないでしょうか?阿弥陀さまのご本願はそうでなかったですね。』
と、こんなお話もお聞きしたことがありました。
 親鸞聖人がお味わいくださりお伝え残しをくださった浄土真宗、阿弥陀さまのご本願は“私は〈なもあみだぶつ〉になってお前に届き、お前を支え、お前を‘なもあみだぶつ’と念仏する者に育てて必ず私の浄土に生まれさせて私と同じ覚りの身にしてみせる”というものでありました。私の全てを見通して、私に一番合いそして間違いのない救いの法、もっといえばそれしか私が救われていくことのない道。それが「なもあみだぶつ」だったのであります。
 その「なもあみだぶつ」は阿弥陀さまが私を見通して、私のために完成してくださったものであります。お念仏は阿弥陀さまからの“いただきもの”であると味わわせていただくことであります。お念仏は引き替えではありません。私が称えて、それを阿弥陀さまが聞いてくださって、そして救いが私に届くというような交換条件の行ではないのであります。時々、お同行さまから「〜したらエエンですか」「〜した方が良いでしょうか」などとお尋ねをいただくことがあります。申し訳のないことですが、私は多くの場合「別に決まりはありません」と全く愛想のないお返事をします。先ほどの山本先生のお言葉をお借りすれば、
〈もし私に亡き人を弔うだけの力があったら“他ごとを止めて朝から晩まで亡き人を弔いなさい、そうしたらお浄土に生まれさせてあげるよ”とご本願にお誓いになったんじゃないでしょうか?〉ということでしょう。
浄土真宗のご法義ではいろんなお仏事のご作法としては約束事がありますが、
“こんなことをしてはいけない”ということをあまり申しません。逆に
“これさえしておけば絶体に大丈夫”ということもいいません。
私がやることを引き替えにしないからです。
大事なことはなんなのか?お念仏することです。
私の救いが間違いなしに完成し、もっといえば先立たれた人たちを間違いなしに往生(阿弥陀さまのお浄土へ往き、阿弥陀さまと同じお覚りの身と生まれ)させてくださった、ご本願のはたらきが、今私にその全てが届いてくださっている証が「なもあみだぶつ」なのであります。
 どんな簡単なことでも「これさえやれば」という条件が付いたとき、出来る場合と出来ない場合。出来る人と出来ない人。出来る時と出来ない時。…
いろんなことが出てきます。
 出来てる時はいいけれども出来なくなったら大変です。「どないしょ〜」ということになります。「わあ〜、でけへんようになった大変や〜」いうことになります。私にそういう思いをさせない。先立たれた方の行く末を心配させない。それが今私に届いてくださり私の声となり口から出てくださっている「なもあみだぶつ」なのです。念仏申さるべしであります。            合 掌

世間解 第二六九号
   平成二十二年 七 月
       発行 西法寺
 
                   
  念仏もうさるべし 
       ーこんなわたしのためにー   
                 
 
 七月になりました。暑さの最中、みなさまにはご本願のおはたらきの中「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ…」とお念仏ご相続のことと思います。
 お念仏をしましょう。少なくともお念仏を申している間は、人の悪口やらなんやら他のことは言えませんし、いわずに済みますから。いや、そんな事より「なもあみだぶつ」というお念仏だけが、私の口から出てくださる言葉の中でただ一つ、誰を悲しませることもなく、変わることもなく、どんな時でも、どこで何をして居っても私たちの全てを支え続け、育て続けてくださる“阿弥陀さまのおはたらき”なのですから。お念仏は私の口から、私の声で出てくださいますが、それは阿弥陀さまのおはたらきであったとお味わいくださりお教えくださったのが親鸞聖人でありました。私はお念仏に遇い、お念仏申す身にならせていただいてあった。私をお念仏申す身に、お念仏が聞こえるご縁に居らせてくださるようにお育てくださったのが阿弥陀さまのご本願だったのです。
 逆に言えば、いくらご本願があってくださっても、おはたらきがあってくださっても、私が「お念仏みたいなんしてどないなんねん…」などと思っているうちは本当にどないもナランのであります。
お念仏が、阿弥陀さまの、ご本願のおはたらきであり、あらわれである。そういただいて「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ…」とお念仏申すことであります。
 私の心を落ちつけて、私の心を清らかにしてお念仏申すのではありません。
心が落ちつき、清らかになってお念仏申せればそれはそれで大変結構なことであり、ありがたいことであります。そうありたいものであるとも思います。
 しかし、心落ちつけ、清らかにならなければ申すことは出来ないのだ、というようなお念仏ではありません。親鸞聖人がお味わいくださりお説き残しをくださった阿弥陀さまのご本願のお念仏は、いらいらし、ザワザワした心では称えてはならない!などというものではないのであります。
 ご縁によっては、心がいらいらし、ザワザワする私たちであるからこそ、阿弥陀さまご自身が〈南無阿弥陀仏〉というお念仏となって私のところに届き、私の声となり、私の口から出て、私の耳に届き、心に味わうことの出来るおはたらきとなってくださっておるのであります。
 しかし、だからといって、そのままでいいというのもでもありません。
梯實圓和上は「凡夫やから欲もおこすし、腹も立ちますわなぁ…、いうていうお方がおられますけど、あれあんまり言いなはんなや。凡夫いうのは仏さまの真実に背いてるいうことでっせ。凡夫だというのは恥ずかしいことなんです。真実に背いた生き方しかできない私なんだということなんですわ。」とお諭しくださいます。
 「真実に遇うとね、いよいよ不実の私が知らされるんやんか」とお教えくださったのは利井明弘先生でした。そして、“「お前アホか」いわれてね、「何いうとんねん、お前よりましじゃ」いうから「何を!」いうてケンカなるねんて。「ほんまにそうやねん、まあ、堪えてえな」なんか言われたらケンカでけへんもんね。僕は自分ではそう簡単にそんなこと出来へんけど、スッと「ほんまにそうでんねん」いうて、スッという事のできるお婆さんや、お爺さんには何人も会わせてもらいました。すごいいなぁ思てね。僕もああなりたいなぁ〜思うねんけどね。お念仏によって知らされんねんて。そやけど、知らされたらやっぱりちーとは嗜まな、慎んだり、嗜んだりさ。ほんでそこで、やっぱり慎みきれない私、嗜みきれない私を知らされるんです。それが〈なんまんだぶつ〉やんか。お念仏してそのお念仏に照らされて、お念仏するいうことは真実に遇うてるいうことやからね。真実に遇うて、いよいよ真実になりきれない私を知らされていくんです。その私、真実になれない私を真実の〈南無阿弥陀仏〉が包んでくださってるんです。みなさん、「あの人素晴らしいなぁ」とかね「あ〜あ、ワシなんでこんなアカンねやろ」なんか思た時にはねお念仏しなはれ、〈なんまんだぶ、なんまんだぶ…〉とお念仏することですわ。それしかないわ。そしたらね素直な心が育てられます。自分のアホさが分かったら人責めることないもんね。そやけど、ドナイカしたら人のことをあれこれ言うてまうねんて、そんな私をさ、お念仏して、真実の阿弥陀さんが居てくれてはる。こんな私をささえてくれてはる。そう味おうてください。”こうお教えくださったのあります。       合 掌

世間解 第二七〇号
   平成二十二年 八 月
       発行 西法寺
 
                  
  念仏もうさるべし
       ーなもあみだぶつを歓ぶー
                  
 
 八月。夏であります。暑さの中にも私にはお念仏さまがあってくださいます。
私が「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」と暑い中でもお念仏出来て、お念仏を私の耳に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」と聞かせていただくことが出来るのは阿弥陀さまのご本願が今私の上に届きはたらいてくださっているからです。
「みなさんね、今こうして本堂に座ってお話し聞いておられるけど、今、ここにこうして座れている。その事にご恩を感じていますか?今、ここにこうして座って、“なんまんだぶ、なんまんだぶ”とお念仏出来てる。それが何よりものご恩に遇うてるということですよ。阿弥陀さんのお育てが、阿弥陀さんのご法義を慶んでくださった方のお育てがなかったら我々は決してお念仏なんかしないんですから。ほんとうですよ。…。」利井明弘先生が晩年何時もこんなふうにおっしゃっていました。“なもあみだぶつ”漢字で書くと“南無阿弥陀仏”
これは、阿弥陀さまが自ら救いのはたらきとなって私に届いてくださっているお相であります。歓喜会のご縁にもう一度、南無阿弥陀仏の意味をお聞かせいただきましょう。梯實圓和上のご法話ふうに…。
「…、南無阿弥陀仏てこれ漢字で書くとこうですけど、元々はインドの言葉ですねん。ですから、漢字に意味はありません。〈ご院さん、阿弥陀さんのお浄土が西にある云うの分かりました。〉おっしゃった方があってね、〈ほう、なんで〉いうて聞いたら〈南に阿弥陀仏無して書いたありますやん〉いうていわれてひっくりかえったことあったけども、これ“南に阿弥陀仏無し”と読んだらあきませんねん。元々はインドのナマス・アミターバー・ブッダとナマス・アミターユス・ブッダという言葉の音訳なんです。音を漢字で当てて表したんです。ですから漢字の意味で読んだらスカタンになります。『仏説阿弥陀経』というお経あるでしょ。実はあのお経に阿弥陀さまのお名前の意味が説かれてるんです。『阿弥陀経』始まって途中でおリン打っていっぺん止めて、又始まるとこあるでしょ、あそこです。あそこにね阿弥陀さまは限りのない光(無量光)と限りのない寿(無量寿)の仏さまである。だから阿弥陀仏と申しあげるのだ。と書いてあるんです。アミターバーは“限りのない光”、アミターユスは“限りのない寿”ということなんです。ナマスというのは“おまかせする”という意味だと親鸞聖人はおっしゃいます。“言うこときく”ということです。阿弥陀さまはね、自らの用きを自らのお名前になさったんだ。無量寿・無量光いうたらなんや難しいことのようだけれども、簡単に言うたら“いつでも”“どこでも”いうことですわ。無量寿は“いつでも”無量光は“どこでも”。阿弥陀仏とは何時いかなる時、どこでどんな状態に私が居ろうともこの私を包み支えてくださるおはたらきである。ということです。ほんで、話しがチョット戻るけどアミターバやアミターユスを翻訳する時にどっちも云わんならんでしょ、無量寿も無量光も。そやけど無量寿いうたら無量光が隠れるし。無量光いうたら無量寿に意味が消えるし、そこでアミターバとアミターユスを音とって阿弥陀だけにしたんですわ。上手い事してくださったもんです。で、ナマスは南無、ブッダは仏ですから南無阿弥陀仏ということになるんです。いずれにしても南無阿弥陀仏というのは何時でも何処でも私を願い支えてくださっているおはたらきと云うことで、私の方から云えば〈阿弥陀さまあなたにおまかせいたします〉と言うてるのが
“南無阿弥陀仏”阿弥陀さまの方から言えば〈我にまかせよ必ず救う〉と仰ってくださってるのが“南無阿弥陀仏”です。」
 何時でも何処でも私を願い包み支えていこうとしてくださる阿弥陀さまのご本願が今、私に届いて、私を念仏する者に育て、私の口から〈なもあみだぶつ〉となって出てくださっておるのであります。私がお念仏するということは阿弥陀さまと、そしてご往生くださった方々と一緒におらせていただいておるということであります。私にお念仏させてくださっている力(本願力)がそのまま私を支えてくださっている力(本願力)なのであります。お盆のご縁に先立たれた方を思うけれども、先立たれた方はお亡くなりになって私がお弔いをする方ではなくてご往生くださって、阿弥陀さまと一緒になって何時でも何処でも私を願い続け支え続けてくださっている方だったのですよ。お盆のご縁にご往生くださった方々はお盆の時だけではなくて、何時でも何処でも私を支えてくださってるんやなと安心していく。だから浄土真宗のお盆は“歓喜会”なのです。合 掌

世間解 第二七一号
   平成二十二年 九 月
       発行 西法寺
 
                  
  念仏もうさるべし
       ーご 恩 三 題ー
                  
                  
 九月になりました。今年はことのほか暑い日の続いた夏でした。みなさま方にはご本願のおはたらきの中に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと思います。
宣伝をするものではありませんが、NHKの朝のドラマ『ゲゲゲの女房』を見ています。「しかし、今の人は妖怪でも損得で考えるんだな…、妖怪にも御利益を求める…。」今朝見たテレビ『ゲゲゲの女房』での台詞にこんなものがありました。
私たちは今、あらゆる物事を知らず知らずのうちに全て損得で考えてはいないか…、それも自分自身の損得を中心にして物事を考えていないか、そしてその事に気づきさえもしていないのでないか、ということでありましょう。
ここで、妖怪のことを申しあげることはありませんが、「妖怪は気配ですな、見えんけれどもあるんです。」というような言葉もありました。
昨年、七回忌をお迎えになった行信教校元校長・利井明弘先生が、
『…、うちの同行にね、何かご恩に感じてることあるか?どうや。いうて聞いたらね、チョット考えて。〈そうでんなぁ、考えたらこの家は先祖から受け継いだもんやし、田んぼや畑もそう。借金の無いのが財産で、まぁ考えたらご恩になってますなぁ。〉いうて言うねん。ほんで僕ね、お前なて、目で見えたり、触れたり、勘定できるもんでしかご恩を感じられんか。目に見えん、触れることもできんけど、ご恩やなぁ有り難いなぁ…。いうことを感じへんかいうていうんですわ。みなさんね、今皆さん方が、ここにこうしてお寺に参ってる。今、私の口からお念仏が出ている。私がお念仏する身になっている。それをご恩と感じることが出来るかどうかや、そうなんですよ。私がお念仏してなんかエエ事があってそれを慶ぶんや無いんです。今、お念仏出来ていることこそが阿弥陀さまのお育てに遇うてることや、阿弥陀さまの“お前、必ず救うぞ”という御利益をいただいてることや、阿弥陀さまが何時でも一緒におってくださると安心してください。目に見えない、損得ではない、しかしバッチリと感じる事のできる。有り難いなぁと感じる事のできるおはたらき、それがご本願のおはたらきですわ。…』
という内容のことをよく仰っていました。
〈気配を感じる〉というものとは全く同じということにはなりませんが、“見えはしないけれどもちゃんとある”ということになれば何か似たようなお味わいだなと、今朝テレビを見ていて思ったことでありました。
 
 青いお空のそこふかく、 海の小石のそのように
 夜がくるまでしずんでる、 昼のお星はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。
 ちってすがれたたんぽぽの、 かわらのすきに、だァまって、
 春のくるまでかくれてる、 つよいその根はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。
 金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」というお詩です。
 
 もう一つ、源左さんだったかどなただったか、いずれにしても妙好人のお言葉です。(とりあえず源左さんということにしといてください)
寒い、寒い冬のことです。在所の若者の元に郷の母親から〈綿入れ〉が送られてきました。若者は“ぬくい、ぬくい”とたいそう喜んでその〈綿入れ〉を着ていたそうです。それを見た源左さん「ほう、エエもん着とるのぉ」「そうよじいさん、郷から送ってれらたんじゃ。ぬくいぞ」と若者。そこで源左さん「ぬくい、い、ぬくいと綿入れを着とるのはけっこうじゃが、その綿入れを縫うて作ってくださった親の心を味わわねばいかん。親の心は温かいのぉ」とおっしゃったそうであります。私がお念仏もうさせていただけているのは阿弥陀さまの親心が私の力となってくださっているからなのであります。
来月は西法寺の報恩講法要。見えはしないけれども確実にある。阿弥陀さまのご恩をご一緒に味わわせていただきましょう。是非お参りください。  合 掌

世間解 第二七二号
   平成二十二年 十 月
       発行 西法寺
 
                  
  念仏もうさるべし
       ーなもあみだぶつー  
                  
                  
 酷暑の夏も過ぎ、秋の季節がやってきました。しばらくは気持ちのいい季節が続いてほしいものだと思います。お同行さま方にはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。何時もお育てをいただいております梯實圓和上は大変暑さに強い先生で、たいがい暑い日でもネクタイをして「わたし、暑いのは平気ですねん」と涼しい顔をなさっておられるのですが、その梯和上が「わたし、八十数年生きてますが、こんなに暑い夏は初めてですなぁ〜」と仰っていたほどこの夏は長く暑いものでした。ところがさすがに秋のお彼岸がすむ頃になりますと朝夕がぐっと涼しくなって参りました。「ほっとしますね」とか「やっと一息つきますね」などとご挨拶させていただくくようになりました。「いや〜、命拾いしました!」とおっしゃってくださったご門徒様もおられましたが、「ほんまですね〜」とお応えさせていただくほど本当に厳しい夏だったなと思います。
 私はご門徒様のお家にお参りに寄せていただきますと大体「こんにちは〜」いうて上げていただきまして、それから「お変わりございませんか」とか「お元気ですか」とかいうて、まあ、いわばご挨拶をさせていただくのであります。
そうしますと、これも大概、「はい、おかげさんで」とか「なんとか元気でやってます、お寺の方はどうですか」とかお応えをいただくのであります。
今年はその後に「しかし、暑いですね〜」という言葉が続くことがほとんどでした。私は「そうですね〜」とお応えをいたします。
 こんなこというと私のエエ加減さが露見するのですが、次のお宅で同じように言葉を交わして、その後に「今日はチョット暑さ楽ですねぇ」とおっしゃっていただいら私は「そうですね〜」とお応えをするのであります。で、又次のお家で「暑うてたまりませんね」いわれたら「そうですね〜」…
ズーッと私の後を付いて聞いてはる人が居ったら〈なんちゅうエエ加減なやっちゃ〉ということになるのであります。しかし、いいわけをさせていただきますと、これは「暑いですね」といわれて「いえ、私は暑いとは思いません」とか「今日はチョット暑さ楽ですねぇ」といわれて「なにいうてはりますねん、昨日より二℃高いでっせ」なんかいうていハッキリとさせねばならない問題ではないからであります。さて、今までは前置。
行信教校に遠藤秀善という和上先生が居られました。梯和上や山本仏骨和上のお師匠様です。私の父親もご縁にあって「有り難いお方だったなぁ」としみじみ申しておった先生でありました。戦後しばらくして、なんとか世情が落ち着いた頃、行信教校の先生たちが『一味』の記念号で対談をされたことがあったようです。当時としては大変売れた雑誌になったそうであります。
ご出席は、利井興弘校長・山本仏骨和上・三田秀道先生・井上智勇先生そして遠藤秀善和上、司会進行が当時まだ北實圓というお名前であった梯和上であったそうですご先年ご往生になられた利井明弘先生はまだ中学生か高校生で、録音係をされていたそうです。テーマが〈念仏と平和〉とか〈平和と教団〉とか〈仏教と平和〉とか、とにかくその時代を反映したものであったそうです。
で、梯先生が「では、こういう事について如何でしょうか?」いうていわれると各々の先生方が“お経にはこう書いてある”とか“親鸞聖人はこんな事おっしゃってる”とか、とにかく一人一話みたいな形で話しがズーッと進んで行く。どの先生も各々に有り難いお話しをしてくださる。
ところが遠藤和上のところに順番が来ると、
「それは不急のことであります。」
いうて一言で終わられる。どんなテーマが回ってきても
「それは不急のことであります。」
司会の梯先生が困ってしもて“遠藤和上、そんな事おっしゃらんと何か一言おっしゃってくださいな”いうて言われてたんを僕憶えてるねん。と利井明弘先生がおっしゃっていたことがあります。『仏説無量寿経』というお経さまに、
  世の人、薄俗にしてともに不急の事を諍ふ。
というお言葉があります。“本当に大切なことほっといてどうでもエエ事ばっかりに向きになっとる”ということであります。“ほんまに大事な事はなんや?”遠藤和上は「それは不急のことであります。」で私たちにお教えくださっておるのでありましょう。念仏申さるべしであります。          合 掌

世間解 第二七三号
   平成二十二年 十一 月
       発行 西法寺
 
                  
  念仏もうさるべし
       ー往って生まれる  
                  
 
 みなさま方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと思います。十一月になりました。時の流れの速さを感じます。時は止まることがありません。仏教では“無常”という言葉を使います。
あらゆるものは全てうつりかわって行くということです。会うこともあれば、別れて行かねばならないこともあります。
“無常”と聞きますと何か「寂しいなぁ〜」というマイナスのイメージを持つことがありますが、梯實圓和上は「なあに、無常だから花が咲くんでね」とお教えくださったことがありました。なるほど、種が何時までも種なら決して花が咲くことはありません。種がうつりかわって花になるのですからこれも無常のひとつの表れであります。
 佐々木慶哉という先生がおられました。行信教校の先生で、前住職も私も坊守もこの先生に教えていただきました。利井興弘校長先生の弟さんでした。西法寺にも二度だけでありましたが、ご法話のご縁をいただきました。色々とお育てをいただきお教えいただいたのですが、この九月の六日にご往生になりました。この佐々木先生が先月少しお聞かせいただいた遠藤秀善和上を心から尊敬されていて、ご法話でも講義でも遠藤和上のお話しをなさる時は何時も涙をためながらお偲びくださっていました。こんな感じで…。
『 え〜、我々の行信教校にね遠藤秀善という、まあ偉いお方がおられました。こんなありがたい人は日本でもそうはいらしゃらないと思とるんですがねぇ今でも。本当に仏さんみたいな人いうのは、ああいう方のことをいうんだろうと思いますが、え〜、遠藤先生、八十二才でおかくれになられましたが、総持寺というところから、何時も自転車に乗って行信教校まで教えに来てくださっていました。
体調を崩されまして、いよいよ遠藤先生危篤の報が学校へ入りまして、私は、学生を連れて遠藤先生のお見舞いに参りました。で、お休みになってる寝間の横へ学生がずらーっと取り巻きまして、まあ遠藤先生は肝硬変というご病気だったんですが、痛い痛い病気ですわこれね。えー、われわれ教師及び学生が遠藤先生の枕辺に座った時に…、え〜、「この不勉強の遠藤が今までお聖教を読むことが出来たのも君たちが聞いてくれたおかげや。この遠藤の“いのち”も、もうこれまでやと思う。先にお浄土に参っているから、必ずおいでや。間違わんと来るねんで…。」え〜、私この話すると必ず涙出てきますねん、…。ねぇ。
「先にお浄土へ参ってるで、必ずおいでや…」ちゅうておっしゃってね。
学生たちも皆んな泣いてましたね。
それから遠藤先生は“お内仏へ自分の寝間を運んでくれ”と云われ、そして、お嬢さんに “正信念仏偈を読んでくれ”と云われて、お嬢さんが高い声で「正信偈」をよんでおられる最中に…、えー、自らお念珠を持って手を合わせてですね…、もう、ちゃんとお浄土へついておられたんじゃないかな…。まぁ、にっこり笑うてですね、お浄土へおかえりになりました。「先にお浄土へ参ってるで、必ずおいでや…」ほんとに尊いご臨終のご様子でしたね。もう、ちゃんとお浄土へついておられたなぁ…。』
 「往生」という仏語があります。今は日常語として色々な意味で使われますが、親鸞聖人がお味わいくださりお説き残しをくださった阿弥陀さまのご法義の中では大変大事に使い護られてきたお言葉であります。
字の通りです。〈往って生まれる〉私の“いのち”の意味と行き先を知らせてくださっている大切な仏語であります。
 親鸞聖人は、「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。」とおっしゃいます。大変難しいお言葉でありますが、山本仏骨和上のお言葉をおかりすれば、
「息が切れたらそこがお浄土だよ」ということになるのでしょう。
梯和上は「臨終のその次は〈死〉ではなくって〈生〉なんだということです。臨終は何時か必ず私の上にやってくるけれども、臨終のその次は阿弥陀さまと同じ覚りの身に生まれさせていただくという世界が約束されているんだ。といただくんですわ」とお教えをくださいます。
“往生”という言葉が、そして「なもあみだぶつ」というお念仏が、別れて行かねばならない寂しさ、悲しさの中に“いのち”恵まれている私を包み支えてくださっているのであります。                   合 掌

世間解 第二七四号
   平成二十二年 十二 月
       発行 西法寺
 
                  
  念仏もうさるべし
       ー浄土真宗の心ー   
                  
                  
 本年も最後の月となりました。みなさまにはご本願のおはたらきの中お念仏ご相続のことと思います。今年も何かとお世話になりまして誠にありがとうございました。さて、私どものご宗旨、宗派は〈浄土真宗〉と申します。
一昨年でしたか本願寺が制定しなおしました『浄土真宗の教章』(私の歩む道)では 【宗名 浄土真宗】 となっております。
いまは一般に〈この教えをよりどころとしている教団の名前〉というふうに使われていまして、それはそれで結構なんですが、実は浄土真宗という教団名はとてもありがたい名前なのであります。
 もともと浄土真宗という言葉は親鸞聖人がハッキリとしたお心を持ってお使いになられた言葉であります。親鸞聖人のお師匠様である法然聖人は浄土宗ということをおっしゃいました。そのほか祖師方のお書物の中には真宗という言葉も出てまいりますが、浄土真宗という言葉を尊い意味を込めておっしゃってくださったのは親鸞聖人であります。
 親鸞聖人がお書物の中で浄土真宗とおっしゃった時には今の私たちが普通に使っている宗派の名前としての意味ではありませんでした。
それはそうです、親鸞聖人がおられた時にはまだ浄土真宗などという教団はないのですから。
 さて、では親鸞聖人がお使いになる〈浄土真宗〉とは何でしょう。
色々と御文をあげると勉強のようになって面白くないのですが、歳の暮れですのでお許しいただいて少しだけ親鸞聖人の御文をあげておきますと。
 ☆智慧光のちからより 本師源空あらはれて 浄土真宗をひらきつつ
  選択本願のべたまふ
 ★つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つに   は還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。
 △選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗の  なかの至極なり。
他にも色々とございますが、親鸞聖人が〈浄土真宗〉とおっしゃる時にはこのような意味でお使いになっておられるのであります。
☆はこの救いの教えはお師匠様の法然聖人(源空)が初めて明らかにしてくださった教えである。それは阿弥陀さまのご本願(第十八願)の“お前さんどんなことがあっても必ず救いきってみせるから、安心して、お念仏しながら生きていってくれよ”というおはたらきを選択本願となづけて説きあらわしてくださいました。ということであります。
★は阿弥陀さまのおはたらきは私を浄土に生まれさせるために私に届き私を育て(往相)そして浄土に生まれた私を阿弥陀さまと同じ救いのはたらきが出来る身にしてくださる(還相)という阿弥陀さまのおはたらきとお徳の全体をあらわす意味でお使いになられます。
△はお念仏(選択本願)となって私に届いてくださっている阿弥陀さまのおはたらきこそがどんなものをも漏らすことなく、あらゆるものの“いのち”を必ず救いきることが出来る究極の教え(大乗の至極)であるという意味でお使いになられるのであります。
 阿弥陀さまがその願いと徳の全てを込めて“なもあみだぶつ”となって私のお念仏の力となり、私を包み私の支えとなってくださっている。そのおはたらきを浄土真宗というのであります。浄土真宗とは宗派の名前でもありますが、実はそのまま阿弥陀さまの“お前さんどんなことがあっても必ず救いきってみせるから、安心して、お念仏しながら生きていってくれよ”というおはたらきの事なのであります。私の生き方は浄土真宗です。お念仏を申す、この私の生活が浄土真宗なのであります。梯實圓和上は「生活にならない宗教なんていうのは全く意味のないものだよ」とお教えくださいました。宗教を信仰を私の欲望の実現のために使うことになるからです。「お念仏を申している私の人生は浄土につながっていると気づかせていただくこと。お念仏だけして生きていくわけには参りませんが、豊に寄り道しながらお念仏の、浄土への道行きを生きて行くんです。」これも和上のお言葉です。浄土真宗とはただの宗派の名前ではなく、私の人生を支える言葉だったのであります。          合 掌
 

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